「愛」ってなんでしょう?

と訊かれたので考えてみました。

 

 

私にとって、愛とは、目に見えるもの、行為です。(ことばは、ちょっと別だと私は考えます)

 

 

つまりは、奥さんが(あるいは夫が)風邪を引いていて、医者に1日4回クスリをのむように言われたならば、目覚まし時計を夜中の3時にセットして、準備をして持っていき、起こして飲ませて、グラスを割ったりしないよう台所まで持っていく。

 

 

それは間違いなく「愛」だと思います。

 

 

「愛」というのは、相手のことを、自分を勘定に入れずに考えることかと思うので、「タイタニック」(映画)のように、自分と相手が遭難して、ライフ・ジャケットが1つしかないときに相手にそれを差し出すのは間違いなく「愛」でしょうし、

 

 

1つのライフ・ジャケットをふたりでシェアして、むなしく海に沈んでいくのも「愛」でしょう。

 

 

抱き合って海に飲み込まれていくのも「愛」ですし、子供を託し、自分を置いていくことを拒否する妻を説得し、救助船に乗り込ませるのも「愛」。

 

 

私が「愛」のためにしたことがあること。住めない土地に家族のために住もうと決めて、でも通常の精神状態ではいられなくて、アル中になろうと決心して結局はなれなかったこと(体質的に向いてなかったみたいです)。

 

そこで婚外恋愛に救いを求めてあがいたこと。ジタバタしたこと。

 

 

まあ、その辺はどうでもいいことですが。

 

 

「愛」というのは、騙されても、裏切られても、自分を勘定に入れないで、相手の幸せを祈ることかと私は理解しています。相手に正しい人生を送って欲しい、と、願うこと。やはり、自己犠牲とか、そうでなくても、究極の愛、というのは相手が手に入るかどうかに拘泥しないはずです。

 

 

今生では二度と相手に会えなくても、愛し続けて、相手の幸せを祈るのが究極の愛なのか・・・。「会いたい」などとわがままを言わないで。「会いたい」と思うのは自分のエゴなのか。

 

「自分を捨てても相手を生かす」ということなのではないか、と一応考えています。

 

 

そうして。

 

 

みんな間違えます。

愛と執着を取り違えます。

 

 

愛と執着は違います。

 

(続く)