私のこの自信はどこから来るのかと考えてみると、両親からでないことだけは確かです。持って生まれた性格と、あとはやはり大人になってから出会った、友人や恋人の影響だと考えられます。


A. 私に最初に自信をくれたのは、23歳くらいのときに付き合っていたイギリス人の男の子でした。やっと大学を出たのはいいけれど、見知らぬ土地で独り暮らしを始めて、私は不安の塊でした。そんな私に、彼は繰り返し繰り返しreassuranceをくれました。「キミはいまのままでいいんだ」、「キミには値打ちがあるんだ」と、口に出しても出さなくてもメッセージを伝えてくれました。


恋人にはなれなかったけれど、彼は私の人生を確実に変えました。よい方向に。もともと女性的な気質のひとで、私は心底癒されました。


「気が合った」ということは別として、悩みの多い,疑心暗鬼の娘時代と決別するきっかけをくれた彼は、私の天使だったのかも知れません。


B. その後、現在の夫と出会いました。私は不完全なにんげんだし、そんなつもりはなくても夫を傷つけてしまったり、夫にとって決して理想的な妻ではないはずです。料理もアイロンかけも下手だし、妻としてはギリギリ及第点がもらえるかどうかといったところ(母としての方がまだマシかと自分では思っていますが・・・)。それでも、夫の私に対する愛は、決して揺るぎません。


彼はたぶん、相手が私だからリコンしたくないのではなくて、アタマのなかにリコンというオプションが入っていないのだろうと思われます。それはともかく、結婚後10数年が経った現在も、身も心も愛してくれています。


私がこれほどぬくぬくと自信を持って浮気に走れるのも、彼がいるお陰です。私がオトコの愛を疑わないのは、私に対する彼の愛を疑わないからです。「下山するために登山する」。


浮気もしてきましたが、夫よりもよい人間はいませんでした。夫よりも人間的に立派なひとにはまだ会っていません。これから先も、なんにんの男性と知り合っても、夫に勝るひとはおそらく現れないだろうという予感があります。私は世界一の果報者なのか、それとも呪われているのか、自分では分かりません。


初めての浮気旅行から帰ってきたとき。私はきっと罪悪感を覚えるだろうと思いました。でも、実際、帰宅してみるとなにも感じませんでした。空っぽ。心は空白。浮気相手のことは愛していなかったし、好きですらなかったけれど、夫がリンゴを剥いているのを見て、「いまこの瞬間、ここで、夫の手で殺されたい・・・」と感じたことを覚えています。夫は気持ちの優しいひとで、ハムスター1匹殺せないから、実際には絶対にムリな頼みごとだったのですが・・・。デズデモーナは無実の罪でオセロに殺されたのに、皮肉なものです。


C. 私の親友。日本人女性。

私がなにをしても絶対に責めません。いつも私の味方になってくれます。


考えてみれば、家族とは本来こういう存在ではないかと思うのです。誰かが、「あのひとは人を殺した。見つけて警察に突き出さなければ」とあなたのことを言っていても、「そんなはずはない。絶対になにかの間違いだ」と言ってくれるのが家族ではないでしょうか? 


現実にあなたが人を殺してしまったのだと確認された後ですら、「絶対になにかの間違いだ。彼女は軽軽しく人を殺めたりしない」、「もし万一殺してしまっていたとしても、それにはよくよくの事情があったはずだ。きっと事故だったんだ」、「事故じゃなかった? それでは正当防衛だったに違いない」、「どちらにしても、なにがあっても私は彼女を信じる。彼女は無実だ」と言ってくれるのが(本来あるべき)家族の姿ではないでしょうか?


そうして、私にとって、この役割を果たしてくれるのが彼女です。聡明な女性なので、私といっしょに情報の収集や分析をしてくれるし、いつも的確なアドバイスをくれます。弱気になったときにも、いつも無条件で励ましてくれます。


まとめ

自分に自信をつける前に、まず自信をつけてくれるひとを見つけるのが難しいかと思います。即効性のアドバイスはないけれど、ひとつだけ言えるのは普段から誠意を持ってひとと接することではないかと思います。普段からオープン・ハートで、誠実にひとと接していると、そういう得がたい友人を得る機会が増えるということはあるでしょう。