相手を信じぬくためには、自分を信じることができなければならない、と書きました。自分を信じる、と書いて「自信」と読みます。私は自著のなかで繰り返し繰り返し、「自分に自信をもたなければならない」、「もっと自分に自信を持って」と書いています。でも、では、自信とはそもそもどこから来るのでしょうか?


自信とは、基本的に経験から来るそうです。私たちが自動車を運転したりワープロを操ったりするたびに、ナーバスになったり「私にできるかしら?」と疑ったりしないのは、「できる」ということを事実として知っているから。つまり、「大丈夫、私は人生に愛されている」、あるいは、「どんなことが起こっても、私は私の面倒を見れる」と信じていられるひとというのは、これまでに困難や辛いことに遭っても、(自分の力で)乗り越えてきたはず。


でも、人生には波があるし、悪循環というものも存在します。本来は力のあるひとでも、ツイてないことが重なると、精神的に落ち込んでしまってもムリはありません。子供の頃から両親や周りのひとに愛され慈しまれて育ってきたひとの方が、自分に自信が持てやすいだろうと思われます。何不自由なく育ってきたひとの方が、生い立ちが不幸だったひとよりも自分に自信があるだろうと推測されます。


まあ、なにが幸福な子供時代だか分かったものではないし、親や環境は選べないのだから、過ぎてしまったことをくよくよ考えても仕方ありません。(もちろん、いま現在不幸だったり、子供時代の傷を引きずっている自覚があるひとは、そのことについて徹底的に考えてみたり分析してみたりするのは意味のあることだと思います。)