はじめまして

「ラ・ターブルアンシァンテ」心地よいテーブル

マダムおかみこと井上惠子です 

マダムおかみと言われた理由

 

また

いつも長年ブログを見てくださっている方

ありがとうございます

 

ただいまオンラインレッスンにて

世界中、日本中の方とお料理を一緒に作っています

 

 

 

    

マダムおかみこと井上惠子です
奈良県奈良市五重塔の下あたり近くで生まれました


その後大阪で育ち
小さい時は男の子の野球のメンバーに入れさせられたり
鋼鉄棒でグルグル回るのを日課にしたり
いわゆる
元気いっぱいおてんばの小さい子でした

 

 

小さい時はガリガリで、大好きな食べ物がきゅうり、

母の作る
和食(ひじきのたいたもの、切り干し大根、茄子の煮浸し)の
ザ・和食、ご飯、味噌汁の食生活 
これが今の健康な体を作った基盤なのかと
母に感謝

幼稚園の時は「学校の先生」になりたかったけど
いつしかそれも忘れて

「お医者さん」になりたいとか
小学生ながら、

お医者さんになるには

かなりのお金がいるとわかって
これは無理だなとさっさと諦めた記憶もはっきり 笑

英語が話せるようになりたくて
英文科に入り、友達たちと沖縄・石垣島に行った時

「あの海の向こうは、アメリカだ」「アメリカに行きたい」

1年間アルバイトでお金をコツコツため


アメリカ サンディエゴ、なぜかハワイ付きの英語を学ぶ
ツアーで1ヶ月を過ごすことになりました

帰国してからアメリカへ住みたい情熱は心の奥底に置きながら
就職活動へ

 

 

お料理を始める前は

「OL」→「パソコン講師」でした


たいていの方が

お料理関係の仕事をしていたから?

就職先が飲食・サービス関係?と思う方がほとんど

実は

OLさんだったんです

 

OLさんになりたかったんです

 

でも

 

甘く見ていた就職活動でした
アルバイトしすぎで成績は中の中
そしたら就職は希望のところができない

なんとか


OLさんになりました


最初は楽しかったOL生活も
配属された部署が暇すぎて
次に営業部へ配属され営業事務、、また暇で、、
なんだか「つまらないOL」生活
と感じてしまっていた頃

そんな時、友人から「パソコン」を触る人が欲しいということで
学校に入る学費は自己投資

 

、企業のプライベート講習を10万円ほどかけて受け、


企業からの仕事をするようになりました


次は「パソコン講師」教える人が欲しいということで



IBM、大手企業の講師研修に入り、講師資格試験のために勉強
分厚い取扱説明書、マニュアルもどこから出題されるかわからないということで


猛勉強


講師仕事で1年間1日もお休みがないほど数年が経ち、
フリーランスとして働いた日々が数年つづき

結婚
フランス駐在へ



フランス料理の外食は高くて、
お客さんやお友達が我が家に来るようになり、

「クックドゥ」を使って中華を作ったり、、


初めて外国でご飯を炊いた時炊飯器を開ける

「真っ黄色ご飯」炭酸水で炊いていた

ハンバーグ作ると、、箸が折れるほど固い

今の料理家の初めはこんなもの
 
そんな中、
本格的なフランス料理も習ってみたい
あのソースってどんな風にできているんだろうと、、

 

くいしぼう

漠然と考えながらここから料理への世界に踏み出そうとちょっとずつ考え始めました

当時パリに住んでいた時
「お料理教室はトップ(日本駐在企業)の奥様が入れるもの」


新人駐在員妻、しかも若いと順番待ち最後

パリにあった


学校は「コルドンブルー パリ」「リッツエスコフィエ」


ともに数百万円の学費

到底主婦にはその金額は出す勇気なく、
諦めてパリ駐在生活を終え、

再び、元いた会社の契約社員になり

その中阪神大震災

会社スタッフとのイザコザで

抗うつ剤まで飲むまでになりました



「本当にやりたかったことはパソコン講師?」と聞かれて

ハッっと気づきました

「パリに行ってお料理を勉強したい」

 

考え時、正社員となるか、契約社員のままで

中途半端な立場(会社他部署の仕事、

部署の仕事のどっちもしてる)でいるかを考え

 

良いきっかけをいただいたと思いました

 

パリで本格的に料理の勉強に行こうー

 

 

パリに行きたい

全部やめてパリに行きたい

きちんとフランス料理を勉強したい

2000当時の学校 今は別の場所へ

 

※日本では料理レッスンに通い、お友達や会社のメンバーをよく自宅でおもてなししていた時

教えて欲しいと言われましたが、

何を聞かれても良いほど知識がまだない

本格的に勉強したいという思いがいつも根底にあったせいかもしれません

 

 

そこからシュミレーション

 

エクセルで計画表を作り

収入と必要金額を割り出し

 

 

いついつからスタートできる!!!か

 

家族(夫、両親、義両親)の了解を得て

資金繰りをし、

家も社宅に引越し、最低限の日本の経費に抑え

 

東京のルコンドルブルーに問い合わせ

パリのルコンドルブルーに問い合わせ

 

 

Go----

決心してから

丁度 10ヶ月ほどで旅立ちました

 

少し悩んでいた時、周りから

勝手だけど

 

私たちの励みになるから行って欲しい

 

 

と激励をいただきました

その後

keikoさんの勇気に何もできないと思っていた私も新聞を見て先生職に応募しました

keikoさんが頑張るなら私も税理士目指します

などなどたくさんの感謝の連絡をいただきました

 

もうダメと思っていた

みんなに勇気を与えた「決心」だった様です

 

パリからかえったら何をするの

投資(学費)した、回収の見込みは?

 

と厳しい意見もいただきました

今までがむしゃらに働いてきたから行くだけだよって

答えていました

 

お料理教室の先生になりたい

 

学校へ送金→学生ビザ取得→住まいの手配などなど

 

ということでパリへ行き

かなり勉強しました。

携帯電話も持ちませんでした

自分の時間を全て料理に使いたいからが理由

(学校の話はまた別のブログでしますね)

 

 

卒業後、ルコンドルブルーの主任の先生と

これからどこに修行に行きたい?

 

・お料理教室主宰したいのでコルドンブルーのアシスタントなりたい

・三ッ星レストランの研修したい

 

と二点お願いし、受理され

 

コルドンブルーのアシスタントをし、

(コルドンブルーアシスタントの話はまた別のブログでしますね)

当時三ッ星「タイユーバン」で研修させてもらいました。

 

家族の次の転勤先 香港に住んでいたので

 

私も研修後、パリから香港へ

 

 

またまた駐在員の妻です

良いことも窮屈なこともあります

色々なことがパリでもあったので

それを踏まえて

新しい国での駐在生活でした

 

それぞれの国では働いて良い帯同家族、働いてはいけない国

というのがあります

その時によって法律が変わる国があります

 

香港は働いても良い国

もちろんビジネスライセンスを政府に申請し、

取得することが条件です

 

最初は研修明けだったので

安価で労働の対価はなく

ほぼ材料費のみでしたが

3年間 満席

予約の取れない教室

理由として

フランス料理を日本人が教えているところがなかった

パリコルドンブルー卒業であった

安かった

 

などがあったと聞きました

 

そこから講師業がスタートしたんです

 

料理好き、お友達や家族をもてなしたい

喜んでもらいたい

という思いから、

今に至っています。

 

コースも当初は

 

フランス料理でも日本人の胃腸に優しい

 

オリーブオイルを使う

イタリアンパスタをコースに取り入れる

チーズもワインも

とても楽しい贅沢なレッスンをさせてもらっていました

 

利益なかったけど・・・笑

 

お料理最初から上手だつたの??と言われますが

炭酸水でご飯炊く人で

ハンバーグが硬くて箸が折れてしまつたのを作った人が

 

今では

美味しいが一番なんですよっ

なんていう人に、、、爆笑

 

普通の人だから、、

何もできないから、、

 

ではない、

こんな私も分岐点に

色々考えました

 

 

喜んでもらいたい

そんな喜んでもらいたいを

分かち合いたい

 

 

料理教室をしています

 

食べる、作る、満足してもらいたい

これに尽きるんだと

それが私にはお料理の世界でした

 

お店を始めるきっかけはまた回綴ります