智恵子の病院があったジェームズ坂を想いだして… | マダム侑加のロハスライフ

マダム侑加のロハスライフ

LOHAS(ロハス、ローハス)とはLifestyles Of Health And Sustainability ...   
持続可能な社会を目指して…



この炎天下、ちょっと用を足しに車を走らせた…
まるで彷徨えるサマリア人のように懐かしい街を走った…
大森山王の実家の周辺や智恵子の病院があったジェームズ坂周辺を…



マダム侑加のロハスライフ



親がいなくなるって、悲しく寂しいこと…
実家はあれど母亡き後ひとたびとて実家に入ることがないことは時折やりきれない気持になる


私が子供だった頃、少女だった頃、大森山王はどこかエキゾチックで、粋な街だった
ライトの建築かと思うようなハイカラな西洋館が建ち並んでいて…


駅前の池上通りも石畳で…
ジャーマンベーカリーが冬でもアイスクリームを売っていた


洒落た喫茶店や洋菓子店が並んでいた…、果物専門店も…
小粋な洋装店や生地屋さん、父は彼らを家に呼んで母と私の服をオーダーしてくれた


仮縫いの日がなんだかおもはゆかったことを昨日のように思い出したが…
今の街はフランチャイズの店が立ち並ぶチャチイ街になって古き良き時代の面影はない


大森駅前をすぎ池上通りを大井町方面に向かう…
大井町駅には父が好んで出かけていた阪急百貨店があったのだが…


私はジェームズ坂方面に抜けた…
小学生の頃、何年生だったか覚えていないが低学年だったと思う


ジェームズ坂と高村光太郎という詩人がいてその奥さんが智恵子ということを知っていた
智恵子はジェームズ坂辺りにあった精神病院に入っていたということも…


智恵子とレモン…
精神病院と智恵子、ジェームズ坂を通ると想い出す、想いを馳せていた少女の頃を…


後年知った、智恵子が「東京に空はない…」と詠ったことを…
夏至を過ぎたばかりの夕方はまだまだ明るくジェームズ坂を下るときに見た空には入道雲が…


真夏の空だった
真っ白な生まれたての入道雲は湧き続けていた


悲しくなるほど真っ白な美しい光景だった
彷徨えるサマリア人でよかった午後だった





私は真夏のあの入道雲が大好きだ
赤城山麓で見た入道雲を想い出した、幼い日々に過ごした霧ヶ峰高原の入道雲を想い出した