宅地建物取引主任者証取得まで① | 漠然としていた人生に「明確な指針を示してくれる」ような場『大人の学舎』

漠然としていた人生に「明確な指針を示してくれる」ような場『大人の学舎』

人生の後半を目の当たりにして、未だ自分の方向性がつかめずにいる人に、私は光をもたらせたい。「何だかわからないけど何故か不安・・・」であった自分から、「これでいいんだ!私」と思える自分に目覚めてもらいたい。

今日も一日お疲れ様でした。


※娘が庭の鉢に植えてくれたヴィオラ
 とてもかわいい 🎶  
花言葉は 「誠実}




今日の飯田市は、お昼頃から雨がぽつぽつと降り

出して、ずっと雨雨  肌寒い一日でした。


皆様、天候が不安定なこの時期、くれぐれも風邪など
ひきませんように、お大事にして下さいね。




さて、昨日は、年に一度の宅地建物取引主任者の

試験がありましたので、私が24年前に受験した時の

ことをお話しさせて頂きました。


今日はその続きです。


少々お話が長くなりそうなので、

何回かに分けてお話させて頂く事になりそうです。

宜しかったら、しばらくおつきあい下さいませ。




姉の勧めで受験チャレンジを決意したその頃の私は、

主婦業の傍ら、POPデザイナーとして、

地元のスーパーと外注契約をし、11店舗分の手描き

チラシを一手に引き受けていました。



そんな仕事を、うらやんでくれる人もいましたが、実は
週末に一気にやってくる仕事量は、結構きついものが

あり、しかも、収入的にも限界を感じているありさま

した。


が、


通信教育で自分なりに努力して取得したPOPデザイナー

としての仕事は、


まして馴れない営業をして頂い仕事でしたから、中々

手放す勇気がないままに、


他の仕事と並行しながら、結局30代前半から14年間もの
間、続けたのでした。



このままではいやだ。 何とか変わりたい。
自分を変えたい。


常に心のどこかで、そんな想いがありました。


自分に自信が持てるものを取得して、これこそが自分

だという生き方ができたらと、


そんな想いで悶々としていましたが、


いずれにしましてもその時点での私は、建築・不動産
の業界で働くイメージは、皆無でした。


私の中では、業界は男社会であり、


「私には無縁だわ」 くらいの認識で、その何たるかさえ

あまりよく知らなかったというのが実状でした。


そんな中、


姉から受験を進められたのが36歳の年末でした。

宅地建物取引主任者試験は、毎年10月の第3日曜日

です。  

学習期間は既に1年を切っていました。




まず市内の書店で、受験用の本を1冊買いました。

その日の事は今でも覚えていますが、机に向かって
購入した本を開き、2~3ページを見た途端、


  「私には無理!!」



と思いました。




今日はこの辺で。 この続きは又明日にでも。




ここまでおつきあい頂き、ありがとうございました。

明日も又、笑顔いっぱいの一日になりますように。