「神戸ニニンガ日誌」(第2,602号)
○三島由紀夫との対談(「源泉の感情」)で、野坂昭如は終戦時は十四歳だったと語る。昭和五年十月生まれで、終戦日はまだ十四歳。
○小説「火垂るの墓」は、昭和二十年六月の神戸空襲に遭った体験がもとになっている。B29は三月、六月に大阪も襲った。
○前年より戦況は相当不利なものだったと思う。あまつさえ昭和二十年春の東京大空襲を受け、国威は相当衰えていたのではないか。
○その時点で降伏していればその後の大阪や神戸の大空襲は免れていた。併せて8月6日の広島、9日の長崎への原爆投下もなかった筈だ。
○当時の新聞は、各戦地での善戦を伝え、いづれ「神風」も吹く級の記事を載せた。国民の命よりも軍や政治の体裁保持が優先された。
○事程左様に昭和二十年のこととはいえ、ほんの76年前である。為政者が方針を変えたという確証はない。
○昭如少年は、「日本」「アメリカ」「大人」の不条理に対して、相当に疑念や怨みや遣る瀬無さを感じたと思う。
○私たちはこの「国」をどのように考えてゆけばよいのか。
まだいまだ。