あの頃は強い若気のいったりきたり@アルカリ落語中和になるか | まだ?いまだ!神戸ニニンガ日誌

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何の役にも立たないが、特段面白い訳でもない。ましてや間違っても何かの為になど毛頭ならぬこと十全に請合う。勿論誰がどうみても上品であるはずもなく、履歴書に読者と書けば間違いなく不利となる。有閑男が白昼夢で口走る400字の戯言寝言放談放屁。それが神戸ニニンガ日誌

神戸ニニンガ日誌(第2,207号)

○昭和60(1985)年、城東区の事務所から梅田本社勤務になった。自転車通勤から駅前ビルに通うサラリーマンだ。当時25歳。

 

○同じ頃、扇町に「ミュージアムスクエア」という小劇場がオープンした。最初に行ったのは「ノイズ」の公演だったと思う。

 

○当時すでに松本雄吉の「維新派」の活動ははじまっていたが、「ノイズ」は維新派をもっとスリムにしたような形式の演劇を見せた。

 

○何よりも主宰の如月小春が好きだった。賢くて美しい。「才媛」を絵に描いたら如月小春になるだろう。私は今でもそう思っている。

 

○「ミュージアムスクエア」では、映画もやっていて、林海象「夢見るように眠りたい」のリバイバルなどをここでみた。

 

○やがてここで落語会をやっていることを知る。桂雀三郎さんの「アルカリ落語会」である。

 

○時を同じくして近くの太融寺では桂吉朝の勉強会が開かれていたが、私は陽気な雀三郎さんの会に顔を出すようになった。(つづく)

 

まだいまだ。