都知事選が終わり、結果についてうんざりしている私です。

 

何というか最近の選挙の結果が保守的過ぎて、

かえって不正を疑いたくなるほどなのです。

 

今回ほど、なって欲しい人より、なって欲しくない人がはっきりしていた選挙も

なかったと私は思っています。

 

さて、選挙というのはわかりやすい多数決が結果を決めるものですが、

生まれつき普通とはちょっと違う身体に生まれた私は、

多数決によって出来上がる社会というのが、

暴力的に感じることがあるのです。

 

世の中には、大勢に合わせることでつくられる色々なものがあり、

合わせられずにそこからはみ出すものが苦労を強いられる。

 

わかりやすい例では、ハサミでしょうか。

今でこそ、左利き用のはさみがありますが、

昔はなかったし、現代でもどこにでもあるというものでもないでしょう。

 

東京は日本全国のどこよりもバリアフリーが進んだ町と言われていますが、

地下鉄の出口全部にエスカレーターかエレベーターがあるわけではないので、

目的地より遠い出口を使わざるを得ないことも車椅子の人達には多いでしょう。

 

こうした目に見える不自由さだけでなく、

社会的なルールのこともあるのです。

 

それは、不自由さや不満を感じた人でないとなかなか気づかないものであり、

気づく人がいてもそれが少数派であると、

その意見は通らなくなってしまう。

 

ですから、多数決には数の暴力という側面があると、

私は思っているのです。