素直なコトバ(Numeri日記より) | ヌメラーのヌメラーによるヌメラーの為のNumeri日記

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※私が書いてるのではありませんので悪しからず(^^)/

素直な気持ちで心から「ありがとう」と言えますか?

軽い気持ちではない、社交辞令ではない、行動に対する対価ではない、本当の意味での「ありがとう」。これまでの人生でアナタは何度、本当の意味での「ありがとう」を口にしましたか?

ちょっとした書類を、忙しい僕に代わって同僚が仕上げてくれた時の「ありがとう」。落とした携帯電話を見ず知らずの人が拾ってくれた時の「ありがとう」。ウンコをして紙がなくて焦ってる時に戸板の下から差し出されるポケットティッシュ「ありがとう」

巷に溢れるこれらの「ありがとう」は、言葉は悪いですが軽い意味での「ありがとう」だと思うのです。親切という行動を受け取った時に半ば反射的に口から出る言葉ではないでしょうか。それ自体は非常に大切なことですし、親切に対する感謝を忘れずに生きて行くことは大切なことであります。

しかし、これらの「ありがとう」が本当に心の底から感謝しているのかというと、これはまた別の話であったりするのです。感謝してないわけでもないし、親切にしてくれるのは有難いのだけど、本当の意味で心の底から感謝しているわけではない。確かに感謝しているのだけど「ありがとう」は反射的に繰り出される呪文のような言葉なんです。

親切を受け取った時に、受け取った側としては何か言葉を述べる必要がある。そこで「ありがとう」という言葉が出てくるのです。感謝はしているのですが、半ばシステマティックに繰り出される「ありがとう」という言葉自体にはそこまで感謝の気持ちは込められていない。

得てして、本当に心の底から感謝している時などは、照れ臭くて「ありがとう」なんて口には出せないものなんです。

両親に向かって「生んでくれてありがとう」「ここまで育ててくれてありがとう」なんて、感謝しているけど恥ずかしすぎて死んでも口には出せない。口に出すくらいなら死を選ぶ。

恋人に向かって「存在してくれてありがとう」「側にいてくれてありがとう」なんて死んでも言えない。

何十年も連れ添ったワイフに向かって「こんな身勝手な俺だけど、結婚して面倒までみてくれてありがとう」なんて言えないお父さんもいるはずです。

これらの「ありがとう」は絶対に口には出せない、出したとしても物凄く不器用に伝えるぐらいしか出来ないはずです。本当に本当に深く深く感謝してるからこそ口には出せない、そういうものです。

かくいう僕も、中学時代にこんな経験がありました。

その頃僕は、必死で貯金したお小遣いと両親からの援助を合わせて部屋にテレビを買ってもらったのです。自分の部屋に燦然と輝くマイテレビ、死ぬほど嬉しかったのを今でも憶えています。

しかもそのテレビは、当時発売されたばかりで一世を風靡したテレビとビデオの融合体、テレビデオだったのです。発売当時で価格は10万円ぐらい。14型のテレビなのに10万円してましたね。

テレビとビデオが一体形となったテレビデオの購入により、これでマイテレビと同時にマイビデオまで僕の部屋に配備されたわけです。これはもうエロビデオとか見放題なわけです。自分だけのマイスペースで自分のテレビでエロビデオを見る。これ以上の幸せがあるだろうかという想いでした。

もちろん、テレビデオ購入するお金を援助してくれた両親には感謝していました。けれども、それは本当に心の底から感謝している感謝ではなったので「テレビデオ買ってくれてありがとう」なんて感謝の言葉が自然と口から出ていました。

両親に社交辞令的な感謝の言葉を述べ、自分の部屋でマイテレビでビデオでも見ようかと思ったのですが、そこでどうしようもない事実に気がついたのです。そう、ビデオを見ようにもメディアがないのです。ビデオデッキはあるものの、それを再生するメディアがないのですよね。

これには愕然としました。折角テレビデオが部屋にあるのに、エロビデオどころか普通のビデオも見れないなんて。宝の持ち腐れじゃないかと憤慨しました。後に母親のビデオ屋のカードを悪用して人生初のエロビデオ「はまっちょバナナ」をレンタルすることになるのですが、この時はただただ使うことの出来ないビデオに対して嘆き悲しんでいました。

そんなこんなで、せっかくのテレビデオであるのにビデオ部分を活用することなく、ただただテレビだけを見る日々が続きました。

当時の僕は、毎日夕方から再放送される「スチュワーデス物語」に夢中で、学校が遅く終わる日なんかはランニングで帰宅してスチュワーデス物語を鑑賞していました。それほどあのドラマに夢中だった。自分の部屋のマイテレビで見るスチュワーデス物語、それこそが至福のひと時であったのです。

そんなある日、ひょんな事情から僕はそのスチュワーデス物語を見逃してしまったのです。こういった連続もののドラマで一話見逃すというのは致命傷であり、その後のドラマライフを脅かすことになりかねないだけに事態は深刻でした。

ああ、見逃したスチュワーデス物語の第八話が見たい。何に変えてでも見たい見たい、と熱望しておりました。

すると、クラスメイトの友人が言い出すのです

「ああ、スチュワーデス物語の8話なら録画して持ってるよ、貸してやろうか?」

天の助けとはこのことです。まさか僕以外にもスチュワーデス物語の再放送に夢中な中学生がいたなんて、なおかつ録画までしてるなんて。そのビデオさえ借りれば見ることができる、失われしスチュワーデス物語第八話を見ることができる。

第八話を見ることが可能になったことも嬉しかったのですが、それ以上にマイテレビデオを活用できることが嬉しかったです。眠れしテレビデオのビデオ部分の封印がついに解かれる、と大喜びでした。

早速、その友人からスチュワーデス物語第八話が収録されたビデオを、「ありがとう」なんていう口先だけの感謝の気持ちを述べて受け取りました。いや、本当に感謝はしてるんだけどやはり軽い気持ちの感謝なわけです。「ありがとう」って言えるレベルの感謝ですから。

それでもやっぱり嬉しいですから、大切な宝物を運ぶように小脇にビデオを抱え、小走りにランニングしながら家路へと着くのです。思うはスチュワーデス物語第八話のことばかり、早く帰って観たい。それよりなにより、愛しのマイテレビデオのビデオ部分を活用したいんだ。

息を弾ませつつ我が家に到着すると、「ただいま」も言わずに二階の自分の部屋へと駆け上がり、胸を弾ませながら借りたビデオテープをデッキへとセットします。ハァハァ・・・・ついにスチュワーデス物語第八話を観ることができる。ハァハァ・・・ついにテレビデオのビデオを活躍させることができる。固唾を呑んでガコガコとデッキ部に吸い込まれるビデオテープを見守りました。

そして、ついに僕の指はリモコンの「再生」ボタンへ。ついについに・・・・あのスチュワーデス物語第八話が・・・・・・そして、マイテレビデオのビデオが活躍を・・・・期待と不安が入り混じり、失神しそうな思いを抱えながらも画面を見守りました。

ああ・・・もう少ししたら画面には堀ちえみなんかが表れて、「のろまな亀なんです」とか言うに違いない。意地悪女が現れて、ピアノの前で「ヒロシ・・・」とか言いながら口で咥えて手袋を外すに違いない。ああ、スチュワーデス物語第八話・・・愛しのマイテレビデオ・・・・・

という期待とは裏腹に、画面に映し出されたのは「ドキッ!丸ごと水着!女だらけの水泳大会」のワンシーン。しかも騎馬戦のポロリの部分。

な・・・なぜ・・・・こんなコアなシーンが・・・・。

それでも、どうせ早送りしていけばスチュワーデス物語第八話が収録されているはずさ、などと思いながら見進めていくのですが、出てくるシーンはエロばかり。なんか洋画なんかのほのかにエロいベットシーンや、深夜にやっていた11PMのエロシーンなどが次々と。細切れにエロいシーンだけがダイジェストのように流れてくるのです。

なんかコレ、ビデオを貸してくれた友人のエロダイジェストテープみたいです。家庭にビデオがあった中学生男子などは経験あると思うのですが、家にビデオがある、なおかつエロスに興味満載の年頃であるにも関わらず、中学生という年齢がネックとなりエロビデオを見る自由はなかったと思うのです。

そういった理由から当時のエロ中学生どもは、通常のテレビのほのかにエロいシーンなんかを録画・編集し、自分だけのエロダイジェストテープを作成していたのです。苦労して作成したエロダイジェストテープ、まさに手作りの宝物とも言うべき物なのです。その苦労と情熱は計り知れない。

おそらく彼は、スチュワーデス物語第八話が入ったテープを貸してくれようとしたのですが、間違って秘蔵のエロダイジェストテープを貸してくれたのだと思います。本来なら「このやろう!スチュワーデス物語第八話が入ってねえじゃねえか」と怒りの電話の一本でも入れ、すぐにでも正規のテープを家に届けさせるくらいの事をするのですが、僕はブラウン管の前で涙を流して感動していました。いや、カウパーを流して興奮していました。

考えてもみてください、間違って渡されたテープの中にクソつまらない教養番組とか入っていたなら怒りますよ。でもね、渡されたのはエロテープですよ。地上波の通常番組にチョロチョロ出てくるようなエロシーンが満載のエロテープです、さすがにエロビデオよりはエロス度といった点では劣りますが、それでもエロビデオを見たことないエロビ童貞中学生の僕にとっては衝撃でした。

なんというか、様々なエロスを経験してしまった今となっては、シズカちゃんの入浴シーンで興奮すいないのですが、小学生ぐらいの頃は顕わにされるシズカちゃんのバディに魅了されてえらく興奮していたのと通じる感覚ですかね。

ショボいエロダイジェストテープであっても、当時の僕は最高級に興奮したのです。ハフー!ハフー!とか言いながら興奮してた。それでまあ、6回ほどオナニーをこなしました。

そして、次の日にそのテープを友人に返却することになっていたのですが、返却する際に言葉が出なかったのです。

エロスに興味津々な身でありながらエロビデオなどを観ることができない自分。そんな自分に間違いとは言えエロダイジェストテープを貸してくれてありがとう。ありがとう。と感謝の気持ちは募るのですが、感謝の言葉が出てこないのです。

なんだか、彼に感謝の言葉を言うのが照れ臭くって。

その時に実感したのです。テレビデオを買ってくれた両親に「ありがとう」は言えるのに、ビデオを貸してもらった時に「ありがとう」は言えるのに、それがエロダイジェストテープであっただけで言えないなんて、本当に深く深く感謝してるからだと。

様々な言葉が溢れる現代。氾濫した川のように溢れ出す言葉の大洪水。軽い気持ちで交わされる言葉や薄っぺらなセリフ。それらはもはや真の感情を表すコミュニケーションツールには成り得ないのかもしれない。

思えば僕は、素直な言葉を、嘘偽りのない自分の心情を吐露する言葉たちを、発したこともなければ聞いたこともない。いつだって言葉は薄っぺらく曖昧なものだったような気がする。

本当に悲しい時ほど「悲しい」とは言えない。

本当にショックな事に直面した時ほど言葉も出ない。

そして、本当に感謝してる時ほど「ありがとう」は言えない。

言葉に感情を出せる内は、まだまだそれが軽度であるからではないだろうか。悲しみも衝撃も感謝も軽度だから口に出すことができる。少なくとも僕はそうだ。

軽い感情の言葉たちも、社会生活をしていく上で当たり前のように必要なものだけど、本当の感情も口に出すことができたら、どんなに楽だろう、どんなに素敵だろう、どんなに救われるだろうと思う。それでもやっぱり口にはできないのだけど。

今日も僕は、軽い気持ちで「ありがとう」と同僚に言い、ショックだとか悲しいだとか軽やかに言う。いつかきっと本当の感情を口に出すことができる日が来ると信じながら、軽い感情の言葉を口から紡ぎ出している。いつか、いつか・・・・。

アナタは素直な感情を言葉に出すことができますか?