ウンコかカレーかっていったら、やはり断然カレーだ。
世の中は全てが比較の産物で、多くの比較で成り立っている。ある物とある物の差異、圧倒的な優越、劣等。確固たる価値観なんて存在せず、全てが他者と比較した相対的な何かでしかない。
あの人はカッコイイ人なんてのはかっこ悪い人と比較してのことだし、あの人はバカな人、ってのは頭の良い人と比較していかにバカかってことだ。
全てが比較の中で生きている僕らだけど、それでも絶対に比較しちゃいけないものってあると思う。それはさすがに比較するもんじゃないだろーって言わずにはいられない、それがウンコとカレーだ。
この両者は、まず見た目が似ている。どちらも茶色いもので、ドロッとしてたりする。比較する気持ちも分からんでもないけど、よくよく考えなくても食物と排泄物だ。まかり間違っても比較するもんじゃない。
ちょっとした戯言なんかでよく聞くのが、「カレー味のウンコとウンコ味のカレーどっちがいい?」とかいう、お前、頭狂ってるんじゃないのかっていう質問なのだけど、これがよくよく考えるとおかしい。カレー味といえどもウンコはウンコだし、ウンコ味のカレーなんてスカトロ趣味で女王様のウンコ食ってるオッサンくらい知らない。ホント、バカらしい。でもまあ、僕はこの質問を投げつけられたらさんざ迷うだろうけど、間違いなく女神のオッパイ揉む、揉みしだく。それくらいカレーが好き。
ホント、比較するのもバカらしいくらいかけ離れている両者なのだけど、人っていうのは罪深いもので、しばしこの圧倒的違いを途方もなく無茶な言い訳に利用したりする。
小学校の時、身体検査という儀式が厳かに行われる時、男子全員がパンツ姿になって保健室に集結するのだけど、普段ありえないパンツ姿という非日常性から多くのドラマが誕生することになる。
その中でも比較的衝撃的だったのは竹原君で、彼はウンコでも漏らしたのか真っ白いブリーフの後ろ部分をまっ茶色に染め上げていた。職人が染めた京染めの和服みたいに見事にまっ茶色だった。
ウンコなんて小学生にとってダイナマイトワードそのもので、周りの連中は囃し立てた。やれウンコ、それウンコ、ウンコ竹原、ウンコ原思いつく限りの揶揄する言葉が保険室内を駆け巡った。その時、当の竹原君が口にした一言。
「違うよ!朝、カレー食ってきたからそれがついただけ!ウンコじゃないよ!」
どっからどう見ても、いや臭っても、その香りはウンコそのもので苦しい。おまけに朝っぱらからカレーというパワフルな食生活も説得力が薄いし、どこの世界に朝からブリーフ姿でカレーを食う人がいるだろうか、と誰もが疑問に思った。それよりなにより、その茶色い染みはどう見ても内部から染み出しており、その布地の向こうにはとんでもないブツがモコッとしてるのが伺えた。間違いない、それはウンコだ。
どう考えてもウンコをカレーと思わせるのは無茶なのだけど、ブリーフにウンコがついてればウンコマンもしくはベンキマン、カレーがついてれば悪くてもカレクック止まりだ、本人にとっては重大な問題だったのだろう。彼は最後までプンプン臭うそれをカレーだと言い張った。
ウンコとカレー、この両者はかけ離れてはいるものの、こうやって用いられることが多い。これはウンコじゃない、カレーだ。ちゃんちゃらおかしくてまかり通るはずがないのだけど、追い詰められた人間はしばし禁断の果実に手を出してしまう。
しかしながら、やはりカレーの方が圧倒的に上位で貴族階級。ウンコじゃない、カレーだと言われることはあっても逆はあまりありません。そりゃウンコって言ったらウンコですから、やっぱウンコよりもカレーである方が救われる場面があまりに多いですから、これもまあ仕方がないことなんです。
しかしながら、僕は見事にこの逆、つまりこれはカレーじゃないんです、ウンコなんです、と指摘した悲しき場面がありまして、狂ってるとしか思えないんですけど、今日はちょっとその話をしてみたいと思います。どっかで話したような気がするけど、とにかく話してみます。
僕が大学生の頃でした。大学では「製図」という訳の分からない授業があり、週に4時間だったか製図室に篭ってひたすら製図を書くという拷問みたいな授業がありました。
僕は物凄い手先が不器用で、こういった作業が大の苦手。なんか、寸分違わない精度で線を描き、よく分からない部品か何かの設計図を書くことが苦痛でしかありませんでした。
線を描けば定規を使ってるのに曲がる。やべーと消しゴムで消して描き直す。またやべーと描き直す。そのうちその部分が有閑マダムの生殖器みたいに真っ黒になってきちゃって、作業している手がその部分を擦るものだから黒い部分がどんどん広がっていく。結果、設計図と言うよりは何らかの地獄絵図みたいな黒いモヤがかかった絵が出来上がるわけですが、もうそれでも教授に提出するしかないほど下手だったのです。
普通は製図室で作業するのですが、あまり下手だった僕は教授の部屋でマンツーマン指導、という特別待遇だったのですが、この先生が鬼のようにいちいち怖い。学部内でも最も怖いと噂される先生だったのです。なんかヤクザみたいな教授で、目がすげえ怖かった。おまけにホモって噂もあったので、部屋で二人っきりになるのも怖かった。
「もっと丁寧に書かなきゃイカンだろうが」
「ひい!」
大学生にもなってビビリまくっている僕の手は緊張と恐怖で震え、結果、さらに線が曲がってしまうという悪循環。それでもなんとか努力して最低限レベルの製図をこなせるようになったのです。
そして、この「製図」の授業ラストの課題の時がやってきました。確か、玉型弁というテクニカルな部品の製図をするというもので、玉型の名前が表すとおり、直線だけでなく曲線がテクニカルに配置された難易度A級の製図でした。
やっとこさ最低レベル描けるようになったといえども、人一倍時間をかけて描いても尚下手、という惨状だったのですが、なんとか描き終え、鬼の教授にも「よくがんばったな」と優しい言葉をかけてもらったのでした。
しかし、この製図はこれだけでは終わらなかった。ホント、今の製図の世界でこういうのやってるとこってないんですけど、なんか清書というか本番描きというか、インクとペン先を使ってモノホンの製図を描かなければならなかったのです。
まあ、今の段階の製図が、エンピツ描きですから、マンガの下書きだとするとそれにペン入れをして誰に見せても恥ずかしくない正規の設計図を作成せねばならなかったんですね。
トレーシングペーパーとよばれる半透明の紙を下書き製図に貼り付けまして、そこにうっすらと映る線をなぞってインクを入れていく。これがまた下書きとはレベルが違う難しさで、気を抜くとベロベロと線がグシャグシャになるし、ポトッとインクが落ちたりして大惨事になるんですよね。
で、失敗すると一からやり直しという地獄の展開。インク使ってますから、間違えたら訂正とかできなくて、紙自体を貼りなおして最初からやらないといけないんです。修正液とか使えばいいじゃんと思うんですけど、製図に対して神聖な何かを感じている教授は、「製図とは美しくなければいかん、汚れや修正液がついてるのなんて製図じゃねえ」と主張している人でしたから、僕らはそれに従うしかありませんでした。
どうしても不器用な僕は、どんなに一生懸命描いても成功しない。調子が良くて下手ながらも最後の方までペン入れができたとしても、最後の方でミスをして台無しになる。もう嫌になっちゃって、このまま大学辞めてやろうかと考えるまでに思いつめていたのですけど、なんとか頑張ってペン入れにチャレンジし続けたのです。
他の学生は製図の時間だけで描き上げ満面の笑みで提出して帰宅していく、ビバリーヒルズ青春白書みたいなキャンパスライフだったんですが、僕だけいつまでもいつまでも描きあがらず、ホモと噂される鬼のような教授の部屋で夜遅くまで作業するハメに。
「ワシ、もう帰るけど、間に合うのか?提出期限は明日だぞ」
「はい。家に帰って描いてきます」
「そうか、頑張ってこいよ」
僕のためだけに教授も夜遅くまで残って待っててくれて本当にありがたかったのですが、どうしても描け上げることができず、家に持ち帰って作業することに。
家でもね、コタツを製図台に見立てて作業していたんですけど、やっぱり上手に描けないんですよね。何度も失敗して、その度にトレーシングペーパーを破り捨てる。また新しいトレーシングペーパーを貼って描き直して失敗する。もうどれだけ失敗したのかも分からない状態になってイライラはマックスに。最終的には頭の中の何かが弾けたのか気が狂っちゃって、ペンを使って自分の腕にマンコマークとか無数に描いてました。耳なし芳一のマンコバージョンみたいになってた。
しかしですね、自分の中に何かが光臨したのか、もうこれ最後の一回にしよう、これで失敗したら諦めようという気持ちで望んだラストの一回、それを描いてる時、何だか清々しい、妙にコンセントレーションを高めたクオリティの高い状態になったのです。
自分でもこんなに集中できるのかと驚いたのですが、結果、見事に描き上げてしまいましてね、客観的に見ると線とかも汚くて下手なんですけど、自分の中では最高に光り輝いてみえる製図が完成したのです。本当に窓から差し込む朝日が反射して、完成品のトレーシングペーパーが光り輝いて見えた。
なんだってやればできるじゃないか。
ちょっと自分のことが誇らしい気持ちになりましてね、完成したばかりの製図を眺めつつ、そういえばずっと作業に没頭していたから異常に空腹じゃないか、とカレー味のカップヌードルを食べることにしたんです。
こうなってくると皆さんお分かりだと思いますが、自分の成し遂げた功績に満足し、満面の笑みで完成したばかりの製図を眺め、カップヌードルのカレー味を食っておったのですわ。沢山苦労した後のカップヌードルは五臓六腑に染み渡る美味であり、労働の喜びというか努力が報われた喜びというか、これほど美味いカップヌードルもないんじゃないかと思うほどに嬉しかったのです。で、食い終わって、これからちょっと仮眠して朝一に教授に提出してやろう、と製図を見た瞬間ですよ。
ポチッとね、真っ白いトレーシングペーパーの端のほうに茶色いシミがついてやがるんですよ。注意して見ないと分からないレベルなんですけど、確かにカップヌードルカレー味の汁が飛んで、完成したばかりの製図に怒涛の存在感を示してやがるんです。
な、なんだってー!って思いましたよ。そりゃね、製図に関して鬼のように怖い教授ですよ。修正液すら使うことを許さないのに、どう考えても茶色い染みなんて許すはずがない。許されるはずがない。せっかく完成したのに描き直しなのか、と落胆するのも頷ける話です。
けれどもね、思ったのですよ。人間って追い詰められると途端に都合の良い考えばかりが支配的になるものなんですけど、もしかしたら教授はこの染みに気がつかないかもしれない、もしかしたら、気付いたとしても見逃してくれるかもしれない。なにせ、これだけ努力した僕だ、教授の中での好感度も少なからず上がっているに違いない。いける!絶対いける!きっと気付かない。きっと気付いても見逃してくれる。
こうして仮眠を取った僕は、朝一で飛び起きると大学に赴き、カレー付きの完成品を提出したのでした。
教授は笑顔で「おー完成したかー、頑張ったなー、どれどれ見せてみ」とか言ってたのですが、僕の製図を手にした瞬間。表情が一変しました。
「おまえ、これ、飯食いながら描いたのか・・・?」
その声は明らかに怒っていることが丸分かりです。どうやら、彼にとって飯を食いながらの製図なんてのは冒涜以外の何者でもなく、とてもじゃないけど許せない雰囲気がムンムンと感じられました。
「違います!」
僕は声を大にして言いました。
「違うと言ってもここにほら、茶色いシミがついてるじゃないか、これはカレーだろ」
そこにカレーがついてるのは僕が一番良く知っているのですが、教授はご丁寧にルーペまで使って拡大して見せてくれました。
やばい、教授は飯を食いながらの製図にご立腹だ。正確には完成した後についたのだけど、とにかく食物が製図についてることにご立腹だ。どうしたらいい、どうしたらいい。追い詰められた僕はこう言うしかありませんでした。
「それはカレーではありません。ウンコです」
飯を食いながら製図だなんてとんでもない。カップヌードルカレー味なんて食べていない。僕は死にそうな腹痛を抱えながら製図を描き上げた。その際、もう我慢できなくなってウンコをしながら描くしかなかったのだけど、不条理なものでウンコが飛んでそこについてしまった、みたいな線で主張してみたのです。
前述の通り、ウンコをカレーだと言い張る無茶な人はまま見かけます。しかしながら、カレーをウンコと主張した人はそうそういないのではないでしょうか。
「お腹が痛くても頑張って描きました」
もうこれでトドメ、その染みは僕の苦しみの結晶だ!わかってくれよ!と言わんばかりに主張したのですが、
「そうか、これはウンコか・・・」
教授はニッコリと微笑むと。
「なおのこと悪いわ!」
と、ブシャーと僕の目の前で製図をビリビリに破り捨てたのでした。僕はその光景を、「お代官様ー!」という心の叫びと共に見守ることしかできませんでした。必修なのに単位落とした。
カレーかウンコか、本質的には圧倒的な差異がありますが、実はあまり大した違いがあるわけではありません。製図にしても前述の竹原君のブリーフにしても、そこに茶色い染みがあったことに何ら変わりはないのです。
それでもそれが時にはカレーであると主張し、時にはウンコであると主張する。そこにはやはり比較する社会が存在するわけで、これがカレーだった方が比較的マシ、ウンコだったほうが比較的マシだからそう主張するわけなのだ。
高校生だったか中学生時代だったかに、部屋でウンコを漏らし、恥ずかしかったのでそれをそのまま放置していたらカチカチに固まってしまい、それが母親に発見され、すげえ怒られた時に、それはウンコじゃない!カレールーだ!と主張して怒った母親に本気でカレーに入れられかけた思い出も同時に思い出しつつ、仕事で急遽書くことになった製図作業をするのでした。
最近は何でもパソコンで出来るから楽だよね。あれだけ苦しんだ製図もパソコンで簡単に出来るし、驚くほど綺麗に完成する。もうちゃっちゃと描いてプリントアウトもし、完成したので、クライアントに提出する前に今からカレーうどんでも食おうかと思います。