デフラグ(Numeri日記より) | ヌメラーのヌメラーによるヌメラーの為のNumeri日記

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※私が書いてるのではありませんので悪しからず(^^)/

その行動自体には何のおかしさもなく、それでいて唐突で突然に彼はエロ本を破り始めたのです。まるでそうすることが当たり前であるかのように極めてナチュラルに彼はエロ本を破り始めたのです。

彼などとまるで他人であるかのように書いておりますが、この職場で突如エロ本を破り始めたのは他でもない僕であって、まるで何か憎しみをぶつけるかのように、愛するものを自らの手で破壊しなければ気が済まない悲しき男であるかのように、僕は一心不乱にエロ本を破ったのです。

前々から危ういと思っていた29歳男が突如としてエロ本を破り始める。それを見ていた同僚の心中や察するに余りあるのですが、そんなことはお構いなし、「コイツらはこうしてやらねばならぬのだ!こうしてやらねば分からないのだ!」とほとばしる情熱をエロ本にぶつけたのでした。

この世の中は多くの要素から成り立っています。言うなれば数多くの断片が複雑に絡み合い、一つの断片を作り出している。そしてさらにその断片が断片を形成し、また断片を。こうして成り立っていると言っても過言ではありません。しかし、人はその小さな断片を見ようともしないのです。

27歳OL芳江。クリスマスイブ。カーテンから洩れる太陽の光に目を覚ますと課長の姿はなかった。「そうね、今日はイブだもんね・・・」。課長は妻とは上手くいってない、そのうち離婚するって言ってるけどいつもその話になると微妙に話をはぐらかす。

世間が楽しく浮かれるクリスマスイブ。テレビをつけてもその話題ばかり。うんざりした芳江は夜の街に繰り出した。西口をでてすぐに広がるイルミネーションに心奪われた。幸せそうなカップルを見ていると羨ましいという気持ちよりも喜ばしい気持ちになった。ただ、幸せそうな家族連れだけは直視できなかった。

「ママ、サンタさんは来るかな?」「きっとくるよ。五郎がいい子にしてたらね」「おいおい、もしかしたら今年は来ないんじゃないか」「もうパパったら」そう会話しながら両親に手を繋がれ、ブランコのようになってはしゃぐ子供。芳江はその家庭に課長と、まだ見ぬ課長の家庭を投影してしまった。

クリスマスソングが鳴り響く雑踏を一人で歩く芳江。「来るんじゃなかったな」と帰路につき、コンビニでチキンと小さなショートケーキ、シャンパンを購入して明かりの消えたマンションに帰るのだった。

こういった場合、全体的としての現象として「一人で過ごす寂しいクリスマスイブ」が挙げられます。それ自体はとても寂しく、さらに課長と不倫、27歳OLでそろそろタイムリミットといった付随的背景が物悲しさを誘います。

多くの方が往々にして、こういった「一人で過ごす寂しいクリスマスイブ」として全体を捉えて嘆いたり悲しんだり、時にはカップルを呪って一人でクリスマスの街に飛び出して大暴れしたりします。そう、言うなれば大きな視野でしか物事を見ていない。

一般的には物事を大きな視野で見ることは良いこととされていますが、しかしながらここで小さな要素に目を向けてみるとどうでしょうか。イルミネーションが綺麗だった、チキンが美味かった、ケーキが美味かった、コンビニ店員がイケメンだった、チラシ配りにお得なクーポン券を貰った、などなど、上記の芳江の場合にだって多くの喜ばしい断片が存在するのです。

もちろん、悪い断片も存在します。朝起きると課長がいなかった、幸せそうな家庭に胸が痛くなった、一人で寂しかったなどなど。ネガティブな断片が確かに存在するのです。

クリスマスイブという日に良い断片と悪い断片が共存している。しかしながら、多くの方は悪い断片ばかり印象に残ってしまい、そちらのほうに引っ張られて全体を悪い印象に捉えがちなのです。

そうならないためにはどうしたらいいか。これはもう悪い断片は綺麗さっぱり忘れてしまい、良い断片だけを鮮明に思い出す。そしてそれだけを繋げて良い印象を紡ぎだすしかないのです。仕事で失敗しても、その中で楽しかったことや面白かったこと、頑張ったことなどだけを思い出して勝手に頭の中で繋いでおけばいいのです。それができるのが個々人の頭のの中なのですから。

僕はこういった記憶の中の最適化作業をやってやろうと、職場にて突如としてエロ本を破り始めたのです。決して狂ったわけでも、愛すべきエロ本を自らの手で破壊して悦に入ろうというわけでもありません。ただ、断片を紡ぎたいだけだった。

長いことエロ本などを読んでおりますと、そのエロ本の悪いところばかりが目に付くようになります。展開がマンネリ過ぎる、絵が抜けなさすぎる、その体位は無理がある、その擬音は無理がある、などなど。グチュピュンクッキュンとか訳のわからない擬音には目を覆うばかりです。

我々エロ本フリークはリアリティと非日常性を同時に求めるという矛盾のラビリンスに陥りがちなのですが、断片化そして最適化作業はエロ本の悪い部分と我々が求める矛盾を同時に解決してくれるのです。

まずはじめにマンネリな展開です。僕が好んで購読しているマンガ系のエロ本の場合、大抵の場合が同じストーリーを辿ります。人妻が出てきて、主人にかまってもらえなくて欲求不満。ひょんなことから男性と知り合って居酒屋で愚痴る。私酔っちゃったみたい。奥さん!うはぁ!グチュピュンクッキュン。が王道のパターンでしょうか。人妻の場合はこのパターンで、女教師ならこのパターン、ナースならこのパターン、と細部は少し違えど大体のストーリーはほとんど固定されているのです。

人間とは罪深き生き物で、最初は興奮していてもあまりに同じ刺激が続くとすぐに飽きてしまいます。もっと刺激を、もっと刺激を、とエスカレートしていく状況は人類に進化に通じるものがあるため否定できませんが、級数的に増え続ける欲求はいつか破綻をきたし、全てを壊滅させる原因に他ならないのです。

そこで断片化の登場です。マンネリな展開のエロ本ならば全部破いてページごとに分割してしまえばいいのです。これでマンネリに彩られたストーリーが無に帰ります。その際に、抜けない絵のページ、嫌いな作家のページ、そりゃねえだろ、といったページを排除。グシャグシャにしてゴミ箱に捨てます。すると、残されたページは展開に無理もなく、抜ける絵であり、興奮するページと精鋭が残されることになります。おまけにマンネリストーリーは存在しません。

これらの断片化と選別を数冊のエロ本で行い、なんとか1冊分のページを確保。次にそれらを適当にシャッフルして綴る作業を行うのです。するとどうでしょう、なんと、驚くことにそこには自分だけの最高のエロ本が。ストーリー展開も全く予想できず、おまけに抜けるシーンが数多く収録。嫌いなページが一切存在しない至高のエロ本が完成するのです。そう、これは先にも述べた都合のいい記憶だけを繋げる記憶の断片化と最適化に通ずる行為なのです。

完成したエロ本を見てみましょう。まず、お気に入りの表紙があります。毒々しい色使いの表紙には「強烈肉弾不倫!」などと小気味よい文句が踊っていますが、これらの情報は全くあてになりません。先の読めない展開に早くも胸がドキドキ。泌尿器もドキドキ。

ページをめくるとイキナリですよ。ドバア!とかぶっかけられて大変な状況。普通はナチュラルな背景の説明などから入るのですが、そんな妥協は一切なし。いきなりクライマックスシーンから見せ付ける無骨な展開を見せます。

怒涛の展開に泌尿器がジンジンするのですが、それでもページをめくると、今度は何事もなかったかのように「私はナースなりたて、この仕事ってストレス溜まるのよね」と何事もなかったかのようにストーリーが展開し始めるのです。1ページ丸々使ったコマのドバアから普通に自己紹介ですよ。その落差に唖然とするギャップがたまらない。この際主人公の女の子の顔や絵のタッチが全然違うところには目をつぶり勝手に脳内補完してしまいましょう。

先の読めない展開にワクワクしてると、迫力ある劇画調タッチの濡れ場が登場し、「そんなに腰を振ると抜けちまうぞ」「ああ!勝手に動くの!動くの!」ヌルポン!みたいなとんでもない場面に早変わり。前のページとこのページの間に何が起こったのか、考えるだけで気を失いそうです。すごい虐待されてる他所様の子供を見ているようなハラハラ感がビッシビシと伝わってきます。

もうこの時点で色々な意味でヤバイのですが、それでもマニアの業とは深いもの。これ以上読んだら興奮しすぎてダメになると分かっていながらもページをめくる手が止まらない。見たいけど見たくないような。水泳の着替えのときに男子のひょうきんキャラがフルチンになっちゃってキャーっとなりつつも指に間から覗いている女子のような心境でページをめくりました。

すると、今度は「結婚5年目、主人とセックスレスになってもう2年」みたいな、お決まりの展開。しかしながら、絵はいい感じだし、なんと言ってもここまでの流れがハチャメチャなので定番の展開も新鮮すぎてたまらない。「だからね、こうしてたまに宅配の若い男の子を誘惑しちゃうの」みたいなクソ展開でもドキドキしてページをめくる。

すると、上手いこと話がリンクしてしまって、別のマンガに登場する我慢できずに野菜を駆使してしまう若妻のシーンが登場。こういった偶然のリンクもこの最適化の醍醐味。

さらにページをめくると、いきなり女子高生が登場。かわいい制服を着て「痴漢に発奮して通勤電車内でムラムラ」みたいな状態。この瞬間に若妻でセックスレスで欲求不満、それでいて女子高生という、どう理解していいのか分からない状態。だがこれがいい。

次のページをめくると、何やらご主人様と奴隷みたいな関係の二人が出てきて、「おい、お前、今からあのきたねえオヤジとやってこい」「わかりました、ご主人様」みたいな驚愕の展開。人妻&欲求不満&セックスレス&女子高生&奴隷というこの世の贅の限りを尽くしたような、マリオがスター取ったみたいな状態に震撼した。全米が震撼した。

もうやばいよ、と思いつつも、お膳立ては全て整った状態。これも断片化のおかげ、じゃなきゃこんな衝撃のシチュエーションは揃わない。さあ、どんなフィニッシュを見せてくれるんだ。これがどんな濡れ場に繋がるんだ、と小刻みに手を震わし、ページをめくりました。

そしたらアンタ、そこで読者投稿のページですよ。シチュエーションを盛り上げて、さんざん煽っておいていきなり読者のおハガキ広場みたいなコーナーですよ。「先月、狙ってたキャバ嬢をついにゲット!札束ちらつかせたら一発でした!○○先生のマンガのような展開に大興奮ですよ!」とか、梅宮親子のイザコザよりどうでもいい、心の底からどうでもいいおハガキが目白押しですよ。編集部の人も「今度は札束でグラビアアイドルをゲットかな!?」とかコロコロコミックでもつけないようなコメントをつけてる始末。なにが「ゲットかな!?」だ。ポケモンか。死ね、七回死ね。なんでこんなページが紛れ込んでんだ。

シチュエーションで物凄い煽られてページをめくるとクソみたいな読者の広場。この落差がまたゾクゾクする。普通なら肉肉しい挿入ページが来てドバアかドプウなのに、その期待すら裏切る地獄の業火のような衝撃の展開。どんなに頭が狂ってる作家でもエロを匂わす→読者の広場なんて展開は描けません。そしてその衝撃に僕は昇天してしまうしかないのです。

これがもう断片化の醍醐味ですよ。クソつまらない、飽き飽きのエロ本を断片化して良い部分だけを繋げる。そうすることで新しい衝撃が生み出されてしまう。1冊のエロ本を1冊として、1つのエロストーリーを1つとして捉えていたら絶対に得られない衝撃です。

クリスマスは一人で寂しかった。正月は最悪だった。年明けの瞬間は加藤鷹の物真似をしていた。イベント事が目白押しのこの時期、そうやって自らの境遇を嘆く人が多く見られます。

しかし、それはあまりに大きく捉えすぎです。もっと細分化された断片ではきっと嬉しいことや楽しいことがあるはずです。嫌な断片を消去し良い断片を脳内で繋げる。そすればきっと思いもよらない楽しいことを発見できるはずです。そして、なにより自分の精神がすこぶるハッピーです。お嘆きの皆さんは今一度立ち止まって断片化と最適化の作業をしてみてはいかがでしょうか。

ちなみに、断片化して最適化した自分だけのエロ本は、あまりの衝撃に満月を見たら大猿になりそうなくらい欲求不満な時しか見ないと決めて封印していたのですが、当然のことながら普通に職場の僕の個室を訪ねてきた同僚などに発見されており、「あの人、頭おかしいんじゃなかろうか」などと噂される、あまりにベタベタで泣ける展開があったのですが、これもまた消去されるべき断片に他ならないのです。