今日は悪妻の日なのだそうです。
哲学者ソクラテスは死刑宣告を受け、獄中で毒を飲んで亡くなった日なのだそうですが、ソクラテスの妻が悪妻だったことから悪妻の日と呼ばれているのだそうです。
ソクラテスが亡くなった日なんてわかるはずもないでしょう、と思いますし、
妻が悪妻か良妻かなんて誰の評価を当てにすればよいのか見込みも立ちません。
しかし、イエスキリストにしても、ソクラテスにしても、このような終わり方をしなければならないということは、この世がいかに住みにくい世界であるかを、物語っているに過ぎないことのように思います。
私は自分の奥さんを悪妻だなんて思ったことは一度もありません。
そもそも、この自分と一緒になるような人や、この自分に関心を持ってくれる人に、良からぬ人がいるはずがないと思っていますので ( ̄∇ ̄;)ハッハッハ
話が変わります。
どこまでも円安が過ぎますね~
普通だったらとっくに為替介入してるだろう水準まできています。
なのに、介入をしないのは、出来ないからなのだと思います。
そもそも介入に必要な外貨準備は有限であるのだし、現在、その預金分としてはそれほど残っていない。
また、今年11月に大統領選挙があるアメリカは、これから利下げのタイミングを計っていく中で、日本の為替介入は避けたいところじゃないでしょうか。
結局日銀も、そういったことで政府や財務省側から介入に否定的なことを言われていたら介入はあきらめざるをえず、そうなるともう、利上げをするしかなくなってきます。
他に選択肢は無いでしょう。
なので、日銀の植田総裁は暗に、既に、次の利上げを示唆してますね。
年内にやる可能性はありますね。
次の利上げで、どの銀行の住宅ローンも変動金利は上がることになるでしょう。
この安い国 日本に諸外国から外国人が団体で多くやってきています。
これまでは中国や韓国からの外国人が殆どでしたが、現在は西側諸国から大勢来ています。
街中外国人だらけ。
驚きの光景です。
恐らく首都圏だけの現象ではないと思います。
一度日本に来た外国人の多くは日本にハマってしまうので、再び日本に行きたくて仕方が無くなるでしょう。
まあしかし、この安い日本に住みたい、とまで思う外国人というのは、ある程度見込みがあります。
何故なら、『お金』よりも、『平和』『安全』『清潔』などを幸福の条件として定めているわけなのですから。
日本人としては当たり前にしているようなことに感動してやってくるわけです。
しかし、決して日本人を手放しで認めているわけではないと思いますし、実際に住んでみれば、『本当の日本人』を知るでしょう。
それでも、彼ら(彼女ら)は日本に住み続けたいと思うでしょう。
日本という国は確かに、住みやすい国です。
日本以外の国の多くは、『個人主義』がはびこっていて、周囲への気配りが足りません。
そういったマインドで一人一人が暮らしていると、日々大きなストレスを感じるのではないでしょうか。
じゃあ、日本人はそんなに素敵なのか、といったら
私は『NO』だと即座に答えます。
もし、他人への気配りが、その人の本質の表れであるのなら、日本人はみな、真に幸せを感じているはずです。
しかし、残念ながらそうなっていない。
金銭的な面において、日本人の暮らしがいつまでも豊かにならない理由は、個人的な意見ですが、アメリカと紐づけされているからだと思います。
更に、日本人はこの不当な関係に、意見を言うことすらできない臆病者だからだとも思います。
まず、国民が真剣に国のことを考えていない。
政治に興味を持とうとしていない。
日常生活で疲れてしまっているのでしょうけれど。
くだらない有名人のためには、わざわざ投票所に足を運び、わざわざ投票しに行ったりするくせに、そのほかの真に素敵な素晴らしい人たちの存在には全く気付かず、またそれを知ろうとも学ぼうともしていない。
重症です。
その一方で日本人はとてつもなくプライドが高く、同調圧力も強いので、日頃から真に価値のある少数派の意見や姿には目を向けられない人が多いように思います。
あまり日本人を悪く言うつもりはありませんが、他人への気遣いや、配慮、手を差し伸べることは素晴らしいことなのですが、
一番大切な事なのは、それをやっている自分自身の心がどうか、ということです。
よく、色々な方が、『幸せは自分の心が決める』なんておっしゃっているのを目にしますが、
そんなことは悪魔だって知っています。悪魔だってそのくらい言うでしょう。
大切なのは、理屈を知っている。だから、そのように思えばいいんだよね、なのではなく、
実際に自分自身が、そのように感じられる人間になっているのかどうか
ただそれだけなのです。
もし、あなたが、今朝入った公衆トイレで掃除をしていたおばさんに心から感謝の気持ちが沸く人になっていたり、
毎日お弁当を作ってくれる奥さんに毎日心から感謝の気持ちを感じていたり、
通勤電車を降りた時の人ごみの中でさり気なく道を譲ってくれた人に対してさえも、本気で感謝の気持ちが沸く人であったり、
あなたが会社を休んだ時に、あなたの代わりに仕事を担ってくれた人たち全ての人に、その仕事の分量に関係なく心から感謝の気持ちが沸く人なのであったり、
いくらでも挙げられるでしょう。
また、他人から理不尽な攻撃や差別をされていても、それはその人たちはその人たちで学びの最中にいるのであって、彼らがその間違いに気づき、そしてそれを克服していかなければならない課題に今まさに取り組んでいるのだ、と思いめぐらすことも大切です。
自分の心と向き合い、一日を振り返ったときに、自分以外の人に対して、無意識にそのような心を持てる、思えるような人になっているのであれば、それは『幸せな人』と言えるのだろうと思います。
つまり、本当に幸せな人というのは、どのような環境や境遇で暮らしていても、いつも幸せを感じることができている人なのだと思います。