ボマルツォの怪物庭園
「ボマルツォの怪物庭園」は、イタリア中部のボマルツォの地にあるマニエリスムの彫刻公園だ。
イタリアでの正式名称は「サクロ・ボスコ(聖なる森)」という。ここは16世紀のボマルツォ公ピエル・フランチェスコ・オルシーニの自邸の庭園として造られたが、19世紀以降は、手入れがなされずに荒廃したままになっていた。
そして20世紀半ばに、画家サルバドール・ダリや美術史家マリオ・プラーツがここを訪れることで「再発見」されることになる。
ダリの訪問時の映像は1948年11月11日、ニュース映画『Bomarzo: Salvador Dalì in visita nel famoso giardino』(ボマルツォ:サルバドール・ダリ、有名な庭園を訪問)として公開された。また、プラーツはエッセイ「ボマルツォの怪物」(1949年)を発表し、この庭園を広く世に知らしめた。さらに、1950年には、ミケランジェロ・アントニオーニ監督のドキュメンタリー映画『La villa dei mostri(怪物たちの別荘)』が公開された。
YouTube:
Salvador Dalí in visita al parco di Bomarzo
"Bomarzo: Salvador Dalì in visita nel famoso giardino."
(イタリアの映画館で本編上映前のニュースとして流されていた『ラ・セッティマーナ・インコム(La Settimana Incom)』というニュース番組の第221号に収録されていた短編映像)
「ボマルツォの怪物」を収録したマリオ・プラーツの著書。
『官能の庭 マニエリスム・エンブレム・バロック』(若桑みどりほか訳)(ありな書房,1992年)
(原著 Mario Praz:"Il giardino dei sensi. Studi sul manierismo e il barocco" は1975年刊行)
上掲書に掲載された「ボマルツォの怪物」の図版。pp.118-119。
私は、澁澤龍彦の『幻想の画廊から』で知ってからずっと行きたいと思ってきたのだが、現実はなかなか厳しいものだ。現地に最も近くまで行ったのは、トスカーナの温泉地で開催された国際会議に参加した時だったが、当時の状況ではどうにもならなかった。
澁澤龍彦『幻想の画廊から』(美術出版社,1967年)
上掲書に掲載された「ボマルツォの「聖なる森」」の冒頭。pp.128-129。
下記のWEB日記はその頃の話。
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2010-07-17
ボマルツォの怪物庭園
16日放送の「ゲゲゲの女房」に、漫画の原稿を映したシーンがあったのだが、その原稿にボマルツォの怪物庭園が描かれていて少し驚いた。ドラマの設定では週間少年ランドの読み切り掲載三回目の「墓場の鬼太郎」のものなのだが、水木しげるが何を参考にしたのか気になった。ざっと調べてみたところ以下のとおり。
ボマルツォの怪物庭園(Wikipedia)の地獄の口が登場するのは、週刊少年マガジンへの読み切り掲載三回目の「墓場の鬼太郎」シリーズの「地獄流し」(1965年10月10日、7巻42号)。ちなみに、この頃「墓場の鬼太郎」読み切りの「手」、「夜叉」、「地獄流し」が1ヶ月毎に掲載された。したがって、この部分のドラマの設定は事実に基づいていると言える。
この頃にボマルツォを紹介したものとして、澁澤龍彦が「新婦人」誌に連載した『幻想の画廊から』がある。連載開始の1965年1月号に「ボマルツォの聖なる森」が掲載された。 連載を纏めた単行本『幻想の画廊から』は1967年12月に美術出版社から出版された。したがって、水木しげるが雑誌掲載時の澁澤の文章を参考にした可能性はある。ただし、「地獄の口」の図版がこれに掲載されたかどうかは調査できていない。少なくとも単行本の『幻想の画廊から』には「地獄の口」の図版が見あたらない。雑誌には掲載されたものの単行本化に際して採用されなかった可能性はあるが、はたしてこのようなインパクトのある図版が落とされるだろうか?
海外では、アンドレ・ピエール・ド・マンディアルグが『ボマルツォの怪物』を1957年に出している。大和書房から澁澤龍彦訳が出版されたのは1979年。この大和書房版に原著から転載された図版には「地獄の口」がある。したがって、水木しげるが原著で「地獄の口」を知ることは不可能ではなかった。
重要なことは、水木しげるがこの図版と「地獄の口」という呼び名を併せて知っていた蓋然性が高いという点だ。水木しげるの勉強家ぶりが良く分かる。
それにしてもボマルツォ、行きたかったな。無理だったけど。このネタに食い付いたのは、まあ、そういうわけだ。
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「地獄の口」。「オーガ(人喰い鬼)」、「オルクス」などとも呼ばれる。
(from WikiMedia)
サントリー「やさすい!」のCM(出演:上野樹里)がこの像の前で撮影された。
今回、この文章を引くにあたり、いくつか事実確認を行った。
1.水木しげるが最初に「地獄の口」を描いたのは「水木しげる怪異談 異形の者」で、この作品は1964年に大阪の出版社・日の丸文庫から刊行された貸本マンガ誌『死の砂丘』に掲載された。すなわち、水木しげるは、澁澤龍彦の「ボマルツォの聖なる森」が発表される前に「地獄の口」を知っていたことになる。
「水木しげる怪異談 異形の者」を収録した『貸本漫画集(12)異形の者 他 (水木しげる漫画大全集012)』と
「墓場の鬼太郎 地獄流し」を収録した『ゲゲゲの鬼太郎(1) (水木しげる漫画大全集029)』
『貸本漫画集(12)異形の者 他 (水木しげる漫画大全集012)』,pp.426-427。
『貸本漫画集(12)異形の者 他 (水木しげる漫画大全集012)』,p.432。
『ゲゲゲの鬼太郎(1) (水木しげる漫画大全集029)』,p.041
「新婦人」第20巻1号(1965年1月号)。澁澤龍彦「ボマルツォの聖なる森」の初出誌。
奥付には、昭和39年(1964年)12月20日印刷、昭和40年(1965年)1月1日発行とある。
2.この「新婦人」誌を確認したところ、単行本『幻想の画廊から』では、図版が大幅に入れ替えられていることが分かった。特に、初出誌の「地獄の口」が映った写真(二枚)が全て削除されている。
上掲誌に掲載された「ボマルツォの聖なる森」の冒頭。p.130。
上掲誌に掲載された「ボマルツォの聖なる森」の別添図版。pp.124-125。
澁澤龍彦はこのエッセイの文章で、怪物庭園の彫刻のなかでも、「地獄の口」については11行(初出誌では10行)も費やして説明している(「最も奇怪なのは、ぽっかり口をあけた魁偉な人間の首である。…」)。
にもかかわらず、何故澁澤は、単行本でこの重要な図版を省いてしまったのか?
マイナーな漫画家に先を越されたのが悔しかったから。というのが、私の勝手な推測である。
そこまで言わないまでも、水木しげるの活動を考慮しなければ、『幻想の画廊から』の単行本における文章と図版の齟齬の原因が分からないままなのではないかと思われる。
今回の風景写真は、フィレンツェのピッティ宮殿の裏手に広がるボーボリ庭園から。
「ネプチューンの噴水」。マニエリスム様式の代表例だとか。












