川又千秋『幻詩狩り』
小樽市生まれのSF小説家・川又千秋の小説『幻詩狩り』の話題。
1984年に出版された中央公論新社C☆NOVELS版と2007年に再復刊された創元SF文庫版。
最も新しい創元SF文庫版も既に品切れのようだ。
この小説は、アンドレ・ブルトンをはじめとするシュルレアリスト達が活動した時代に、フー・メイという無名の詩人が残した詩(幻詩)がもたらす災厄とその解決を描いている。創元SF文庫版の著者あとがきによると、シュルレアリスト年鑑を見ていた時、或る事に気付いたことが執筆のきっかけになったという。
まずは例の如く、旧WEB日記から。
_______________________________________
2008-03-21
『幻詩狩り』
川又千秋の『幻詩狩り』が昨年、創元SF文庫の一冊として復刊された。1984年に出版され、第5回日本SF大賞を受賞した作品だが、長い間品切れ状態だった。私は昔の中公文庫版で読んだのだが、20年ほど前の事にもかかわらず珍しく内容を記憶している。SFといっても空想科学小説では全くなく、読む者の魂を異界に引き込む詩(幻詩)というアイデアを中核とした空想社会科学小説とでも言うべき作品だ。舞台は、アンドレ・ブルトンやデュシャンが登場する1948年のパリ、出版のためにパリから取り寄せたシュルレアリスム資料の中から幻詩が発見される昭和末期の日本、そして幻詩を所有すること自体が犯罪となった<現代の日本>。ちなみに無名の天才詩人フー・メイによって幻詩が書かれる1948年はオーウェルの『1984年』が書かれた年である(そして1984年にこの『幻詩狩り』が出版されたわけだ)。また、幻詩が発見される日本でのエピソードは、『骰子の七の目』シリーズや『眼は未開の状態にある叢書』などといったシュルレアリスム関連の書籍シリーズが盛んに出版された1970年代を(或る意味ノスタルジックに)想起させる。そして一方、...詩が麻薬のように扱われる<現代>の様相は、思想を形に表すこと自体が禁じられる現実の近未来を予言しているように思われてならない。
_______________________________________
この小説を最初に読んだ頃は、作中の幻詩の実体と動作機構について、どうにもピンとこなかったため、主にオーウェルの小説『1984年」との関連について強い関心を持ったわけだ。ただそれはこの多面的な小説の一面に過ぎない。
そういうわけでウン十年後の今改めて自分なりの解釈を試みることにする。
まず最初に、補助線として次の仮定を置く。
世界とは造物主がプログラミングした「シニフィエ」(≒概念)の織物である。
そして、この世界創造時に造物主が残した「バグ」あるいは「隠し仕様」を読み解こうとする試みが隠秘学である。
フー・メイの最初の幻詩「異界」は、終章で語られる彼の言葉によれば、自然言語によって別の世界を創造しようとする試みだった。しかし、自然言語は不完全であり、「連続体としての宇宙」を不器用に分節してしまっている。そこで彼は、その不完全部分を「ドゥバド」という言葉で埋めることにより、読者の眼前に異界を出現させることに成功した。
そして、この実験によって彼は、「物質と言語の間で取り交わされた密約のようなもの」を理解した。そして、次に試みたのが、鏡の無限反射によって生み出される幻の宇宙を再現することだった(幻詩「鏡」)。
そして、彼はついに「時間」を言葉として表す(=構造化する)ことを試みる。その結果生み出された幻詩「時の黄金」は、読んだ者を時間座標から切り離してしまう機能を持ってしまった。仮に人間の実存を「時間」という軛から解き放つことができるとするならば、そこに立ち現われるものは「涅槃」と言うべきものだろう。
さて、ここまで理解すると、例えば小説の中でフランス語を読めないアメリカ人が、フー・メイの書き残したフランス語の「時の黄金」を書き写しても問題が起こらなかった一方で、日本語訳された「時の黄金」を読んだ日本人が「脱離」してしまったことが説明できる。
世界がシニフィエの織物である以上、シニフィエと恣意的に結びついた音声や文字(「シニフィアン」)そのものは問題にならない。概念を関連させる網目(編み目)構造こそが重要なのだ。
『幻詩狩り』が執筆された1980年代の前半、日本では西洋のポストモダニズム思想を紹介した所謂ニュー・アカデミズムが流行した。言語はシニフィエとシニフィアンが恣意的に結びついた「シーニュ(記号)」のセットである、としたソシュールの言語学も構造主義の絡みで盛んに言及された。作者川又千秋が「言語」を扱うことにした以上、ソシュール言語学をチェックしたことは想像に難くない。上の解釈はそれを踏まえたものだ。(私自身が以上の解釈を真実だと考えているかどうかは別の話。)
さて、ここまで来て読者は疑問に思うかもしれない。「では、最初の幻詩に出てくる呪文のような言葉「ドゥバド」とは何なのか?」。回答:これは自然言語には存在しない隠秘学的なものであり、例えるならシャックリのようなものだろう。
***
今回の風景写真はポーランドの古都クラクフで撮影したシュールな風景。
ある日、クラクフ旧市街に出現した謎の風景。
白、黒、稀に金色のテンがずらっと並んでいた。
どうやら、クラクフにある国立美術館所蔵の絵画「白貂を抱く貴婦人」(レオナルド・ダ・ヴィンチ作)にちなんだインスタレーションだったようだ。
クラクフ旧市街にあるテネメント・ハウス(別名メドゥーサ・ハウス)。
入り口を守護する見事な彫像。
クラクフのレストランCHIMERAのアプローチ。
CHIMERAのトイレのドア。
この鳥人間のイラストは、マックス・エルンストのコラージュ・ロマン『慈善週間 または七大元素』の一枚から採っている。
Werner Spies: Max Ernst Collages, (Thames and Hudson,1991)
『慈善週間』を含むマックス・エルンストのコラージュ・ロマン三部作は、上掲のWEB日記で言及した『眼は未開の状態にある叢書』として刊行された。(写真左の『百頭女』は復刻版)
クラクフ旧市街のインテリア小物店のショーウィンドウで。
YouTube:
Collection d'Arnell-Andrea - Aux glycines défuntes












