花輪銀吾の「創造主の機械観」に関するメモ | Macrowavecat現像室

花輪銀吾「創造主の機械観」

真家花輪銀吾の名と彼の作品「創造主の機械観」を知ったのは、戦前の前衛芸術運動について調べていた時だった。この作品(正式タイトルは「複雑なる想像」)は大阪中之島美術館のWebサイトで閲覧することができる。

 

 

鋼鉄の檻に閉じ込められながら鋭い視線をこちらに向ける少女は機械化された身体を持っている。

この表現から、アニメ「攻殻機動隊」の”少佐”草薙素子まであと一歩である。

 

 

 

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2009-03-13
花輪銀吾「創造主の機械観」


 花輪銀吾によるフォトコラージュ「複雑なる想像」(「創造主の機械観」)(1937~1938年)。この作品を見ると、ハンス・ベルメールの最初の人形(1933~1934年)と較べてみたくなる。この時代、欧米や日本ではロボットブームの余韻が残る中で、徐々に機械文明の負の側面が露わになりつつあった。そして、人間と機械の関係に関する現代的な問題が既にこの時代に提起されていたことは注目に値する。

日比嘉高氏の論考「機械主義と横光利一「機械」」から「創造主の機械観」に言及した一節の一部を引用する。
 

 このテクストの別名を「創造主の機械観」という。取り囲む機械群に閉じ込められているかに見えた少女は、じつは鋼鉄の、機械の肉体を持っている。彼女は圧迫された弱々しい存在ではなく、その鋭く見つめるもう一方の右目の語るごとく、人間―機械の境界を侵犯する、一種の強度を持った存在として提示されているのだ。「創造主の機械観」というタイトルは、このとき人間と機械との関係の再編制が進行する時代の感性の変革を鮮烈なイメージで表現していると言えよう。


ここで荒木元太郎の「だからおたくはきらわれる」に言及すると、顰蹙か?

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このWEB日記では最後の一行で混ぜ返してお茶を濁しているが、第一次世界大戦後の1920-30年代における機械文明観は一筋縄ではいかない複雑な様相を呈していて、深堀しようとすれば泥沼に嵌っただろう。

 

改めて、この時期のトピックを前史を含めて整理してみる。

 

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1886年 フランスの作家ヴィリエ・ド・リラダンの小説『未来のイヴ』。主人公の青年貴族エワルドは、魅惑的な外見と俗物的な内面を持つ現実の恋人に失望し、発明家エジソンに依頼して、人間以上の知性と美貌を持つ女性アンドロイド「ハダリー」を製作する。

 

1909年 イタリアの詩人F・T・マリネッティによる未来派創立宣言: 「…咆哮する自動車は、《サモトラケのニケ》よりも美しい。…」。 

 

1918年 ドイツの哲学者・歴史学者オスヴァルト・シュペングラーが『西洋の没落』第一巻を発表。1922年に第二巻刊行。西洋的機械文明を批判。

 

1920年 チェコの劇作家カレル・チャペックの戯曲『R.U.R. ロッサム万能ロボット会社』で初めて「ROBOT」の語が使われた。この作品のロボットは産業奴隷労働に使われる有機体人造人間であり、やがて自我に目覚めて人間に対して反乱を起こす。ちなみに、チャペックは、機械的な人造人間には否定的だった。

 

1922年 ロシア(ソ連)のアレクセイ・ガンが著書『構成主義』を出版。ロシア構成主義の理論的基盤を確立した。「イーゼルから機械へ!」

 

1923年 イギリスの生物学者J・B・S・ホールデンが著作『ダイダロス、あるいは科学と未来』を発表。遺伝子工学による人体形質の改造や人工生殖工場を用いた生物学的なユートピアを構想した。

 

1924年 フランスの詩人アンドレ・ブルトンによる「シュルレアリスム宣言」。近代主義、理性主義への批判。

 

1926年 オーストリアの映画監督フリッツ・ラングが映画「メトロポリス」を製作。労働者階級の娘マリアの姿をコピーした女性ロボット「マリア」が労働者の反乱を扇動する。

 

映画「メトロポリス」のスチル写真。マリアの姿をロボットにコピーしている作業工程。

(from Wikimedia Commons)

 

 

1928年 イギリスのW・リチャーズとA・リッフェルが機械式ロボット「エリック」を製作。これを契機に「ロボット=機械式人造人間」のイメージが広がった。

 

1928年 日本の生物学者西村真琴がロボット「學天則」を製作。欧米流の視点(ロボットの産業利用)を批判し、圧縮空気を動力として人間のように滑らかに動作するロボットを目指した。

 

1929年 イギリスの物理学者J・D・バナールが著作『宇宙・肉体・悪魔』を発表。人間の生体器官の機械的代替による機能の「拡張」を提唱(=現代のサイボーグ概念の「原型」)。

 

1930年 日本の美学者中井正一の論文「機械美の構造」。機械の美学的価値を機能美の視点から主張。

 

1930年 日本の横光利一の小説『機械』。工場労働者の日常のなかで浸食される人間性の様相を批判的に描写。

 

1936年 チャールズ・チャップリン監督によるアメリカ映画「モダン・タイムス」。機械文明における非人間的な工場労働を批判。

 

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以上を眺めると、第一次世界大戦の主要な戦場となったヨーロッパ大陸では、早くから機械文明への批判が現れた。これに対し、イギリスや日本では初期には進歩主義的な肯定的評価が見られたものの、都市での生活や工場労働が広がるにつれて機械文明の負の側面に対する否定的な評価が広がって行く傾向がみられた。花輪銀吾の「創造主の機械観」は、そのような相克する思潮が交錯する時代の雰囲気を反映したが故に、現代の問題意識にも通じる表現を獲得したのだろう。

 

 

 

今回の「風景」写真は、 大阪市立科学館の「學天則」(復元動態模型)を見に行った時の写真(落穂拾い)。

 

 

 

説明看板の図。

 

 

資料展示: 「學天則」の製作を取材した当時の雑誌「科学知識」(1931.6)の記事。

左下には映画「帝都物語」のパンフレット。 西村晃(実の息子)が演じる西村真琴と學天則が登場する。

 

 

大同生命ビル前の彫刻(アントワーヌ・ブールデルの「自由」)。

 

この作品の原型は、1918年から1922年の間に製作された。

ブールデルの彫刻作品はなんとなくロボットぽいね。