仙台のメタセコイアと埋もれ木
うん十年前の話だが、郷里の小学校の校庭にメタセコイアの樹が立っていた。
当時理科少年だった私は、メタセコイアが「生きている化石」の一つだということは知っていたが、『微生物の狩人』とか化石人類研究の解説本とかに夢中になっていて、普通の樹にしか見えないメタセコイアにはそれ以上の興味は持たなかった。
しかし、今回、東北大学の敷地でやたら多くのメタセコイアを見かけて、気になったのでちょっと調べてみた。
理学部自然史標本館前のメタセコイア。
根元には、朽ちた樹のような珪化木が展示されていた。
メタセコイアの球果。
…ピンボケた。
川内キャンパス。道路沿いのメタセコイアの並木。
また、片平キャンパスのメタセコイア並木は、仙台市の「緑の名所100選」に選ばれている。
北海道大学にも、植物園や薬学部、工学部などにメタセコイアの樹はあるが、さほど注目されずひっそりと立っている。
ほぼ同時期に苗木が配られたにもかかわらず、なぜ東北大学ではこれほど熱心に植えられたのだろうか?
中公新書の斎藤清明『メタセコイア 昭和天皇の愛した木』(1995)を読んでみた。
化石研究に基づくメタセコイア属の新設と2種の記載は京大理学部の植物学者三木茂による。彼は、それ以前に東大地質学科に在学していた矢部長克(後に東北大の地質学科教授)や東北大の遠藤誠道がセコイア属として報告していた化石がメタセコイアに属することを示した。
その後、現生のメタセコイアが内戦下の中国四川省で発見され、三木とも面識のあった中国人の植物学者 Hsen-Hsu Hu とWan-chun Chengの連名で報告された。
中国で採集された種子はすぐにアメリカに送られ、そこで育てられて収獲された種子や苗木が、後に日本に送られることになる。急遽日本で組織されたメタセコイア保存会宛にカリフォルニア大学から100本の苗木が送られ、それから各所に分配された。北大、東北大へはそれぞれ3本ずつ配られた。
仙台は古くから埋もれ木の産地として有名だった。良質の香炉灰の原料となる「名取川の埋もれ木」は仙台藩によって長く保護されてきたが、後に、青葉山や八木山一帯から採掘された亜炭に混じって埋もれ木も多く採取された。メタセコイアの巨木が地中で亜炭になる際、炭化の進行が遅れた幹の中心部が彫刻可能な材化石となり、仙台の伝統工芸の「埋木細工」の材料となった。
上述の研究人脈に加えて、古代の仙台に生えていたメタセコイアを植樹種に選ぶのは自然な感情かもしれない。
東北大学理学部自然史標本館に展示されていた仙台市青葉山産の材化石(埋もれ木)。
仙台の伝統的な埋木細工の香合。
箱書きや刻まれた銘からすると、小竹孝氏の作品かもしれない。
以下は、只一人になった仙台埋木細工職人 小竹孝と彼の最初で最後の弟子を紹介した動画。
・【秋保工芸の里】埋もれ木 - YouTube
・#084 仙台埋もれ木細工職人 鈴木 綾乃 | 明日への扉 by アットホーム - YouTube
二つ目。伝統的な細工とは趣の異なる埋もれ木の香合。
のこぎり切断の痕が残る直方体の材を上下に割って、本体と蓋を作っている。さらに香を入れる部分は、ドリルで穴開けしているようだ。
手に持つと、結構密度が高く感じられる。炭化が進んでいるために、手仕事では刃が立たないのかもしれない。
また、プラスチックで似たような形や質感を作れるような作品ではなく、5面に残る切断面の凹凸模様や不規則な割れ目の形を味として示そうとしているような気がする。
今回の仙台旅行は四半世紀も前に行った仕事に関連していた。上の二つの香合は、埋もれていた材化石が掘り出されて工芸品に加工される埋木細工に縁を感じて、奮発して買い求めたものだ。












