安来市の地名や名称 | 源行近のブログ

源行近のブログ

山陰の戦国時代を郷土史レベルで研究しています。主に人物や城跡が中心です。

安来市は島根県で月山富田城があるところです。

取り合えず月山周辺の地名などを見てみましょう。

月山はなぜ月山かといえば単純に月が昇る山だからと考えられますが、中国の西端のバルハシ湖という湖の南にあった弓月国の月に関係した名だと考えられます。
これだけではわからないので、もうひとつ月山富田城には塩谷口という入口があります。塩谷川もながれていますが、シオタニと読みます。

尼子経久が追放された時の塩冶掃部介はエンヤなので別読みです。

富山県の塩谷はシオンタンと読み、ヘブライ語でイスラエル、エルサレム地方の『シオンの地』に訳せるようですので、月山で塩はとれないのでシオンにあてた文字と考えられます。
このほか尼子氏の中心的な部隊であった新宮党の新宮は紀州新宮に因み、熊野は徐福の子福万が新宮としたと伝えられています。

さて月山の前方を流れる川は飯梨川という変わった名称ですが、これはバルハシ湖に流れるイリ川がもとになっていると考えられる。飯梨=イリ

この川を下ると飯生町(いなり)があります。これは稲生(稲荷)であり穀物霊で秦氏が奉った神社の名称
この辺りは肥沃な土地で現在は米を多く生産しています。伯太町の豊岡の地名もトヨウケビメのトヨウケが転じたもので、安来市には宇賀の地名もあることから穀物の良く取れた土地であったと考えられます。月山周辺を信仰の中心地として飯梨川下流を居住区として人々は生活していたと思われます。

最後に月山を見下ろす京羅木山は朝鮮半島の新羅と秦氏の築いた京をあわせた名称となっていて、まだまだ調べると面白い地域だなと感じています。

以上