柳瀬城跡 | 源行近のブログ

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山陰の戦国時代を郷土史レベルで研究しています。主に人物や城跡が中心です。

過疎地域の山林は今後どうなるのだろうか?

今回は出雲市佐田町橋波にある柳瀬城を訪れました。神戸川にかかる柳瀬橋を渡り、行き止まりとなる一軒の民家に駐車許可を受けて登れるところまで案内していただきました。城の西方から川を渡り山に取りつきます。
始めに、この柳瀬城は標高355mでどの方向からも登り難い山城です。特に北から東の麓は笹藪で登る事も降りることも困難です。東方には手入れされていた頃の山道が笹藪に埋もれ残されています。。。




調査図は地形図にマッチしておらずかなりコンパクトに記され郭のサイズや間隔が現地と異なっています。





主郭付近は笹藪である



主郭南側は歩きやすく三重の堀切は綺麗に残っています。当時はかなり深い堀であっただろうと思われます。
ここから鞍掛となり背後の尾根伝いを堀切で遮断し、手前に西に向いた竪堀があるが図にはない

再び主郭へ戻り北東へ降りると堀切がある。

ここから郭の連続だが、少郭が一つあるだけで、しばらくは緩い斜面です。再びあらわれるのは数メートル下で図にあるほど郭の数がないように思えました。

この城は柳瀬大膳大夫と伝えています。佐田町は畝状竪堀やこういった三重堀切が各所にみられる貴重な地域である一方で、高齢者が多く維持管理できなくなった山が笹藪化しているのがなんともし難いですが、まだまだ訪れたい場所があるので次回につなげたいと思います

以上