こころの時代 映画監督・ヤンヨンヒ | ひらめさんのブログ

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オモニの島 わたしの故郷〜映画監督・ヤンヨンヒ〜 - こころの時代〜宗教・人生〜 - NHK

相変わらずブログが書けない状態が続いていたのだが、この番組(再放送のようだ)を観て、心が動かされたので書く気になった。ブログを書く姿勢にも人それぞれあると思うが、私には単なる日記は無理そうである。”心動かされること”が無いと無理なのだ。前回にもそのことには気づいていた訳だが、随意に心を動かそうというのはやはり難しい。当面”書けぬなら書けるまで待とう”という家康方式を採用するしかなさそうである。

 

前置きが長くなったが、映画監督・ヤンヨンヒ氏である。番組を観るまでは気付かなかったが、私の好きな安藤サクラ主演の「かぞくのくに(2012年)」を撮った人だった(好きと言いながら未見)。在日朝鮮人の監督自身の自伝的な内容だということまではなんとなく知っていたのだが、ヤン氏の思想的なスタンスまでは知らずに、どこかステロタイプなイメージによって「機会があれば観てみようか」というレベルで放置してしまったのだ。

 

差別に関心を持ち、その要因である”ステロタイプ”にクリティカルな意識を持っている私でさえ躊躇させた「ステロタイプなイメージ」とは何だろうか。それは「不幸なマイノリティに光を当てる」というスタンスによるものなのだが、そのほとんどは”玉”ではなく”石”であることだ。「辛い境遇だけれど頑張ってきました」というあれだ。それを否定するつもりはないのだが、”よくある”ものではある。

 

ヤン氏が違うのは、そうではなくて「辛い境遇だけれど、それが面白くて頑張ることが出来ました」みたいな視点である。彼女は朝鮮総連の幹部の両親のもとに生まれた在日朝鮮人としてのエリートなのだが、クラシック音楽を愛す長兄の影響なのか映画に目覚め、客観的な視点を持つようになるのだ。そんな彼女にとって主観しか持っていないような両親は批判材料の塊である。

 

もちろん彼女も批判的抵抗はするのだが、彼等が何故そんな主観に囚われてしまったのかを考察するようにもなるのだ。それは自分自身が共通する部分も多かろう遺伝子を持っていながら、何故こんな考え方を持つようになったかの裏返しのはずだからだ。だから、”とんでもない主観”に生きる両親のアイデンティティが如何に形成されたのかを探るべく、ルーツを辿る作品も撮ることになる訳だ。

 

最後にヤン氏は次作のアイデアを面白おかしく語っていた。「うちのお母ちゃんみたいな人を主人公にコメディみたいなの作りたいですねえ。エキセントリックに(金日成の)肖像画、毎日磨いて~みたいな。『あのおばちゃん、ちょっとおかしいねん。”北(朝鮮)”好きやねんでえ』みたいな人なんやけど、めっちゃええ人なんです。めっちゃええ人で、近所の人にも良くしてあげるんだけど、何かいろいろ心に秘めたことがあってやってるような、そんなおばちゃんの話出来ないかなあと思ってみたりね(笑)」

 

そんな新作も観てみたいが、まずは旧作を全部観たい。

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