心理カウンセラーと報連相 | ひらめさんのブログ

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メランコリー親和型鬱病者で理屈好きな私の思うところを綴ります。

私は心理カウンセリングを100回以上に亘って受けてきた。初対面だったカウンセラーに親友にも明かしたことのない心の奥底を語ることが出来たのは、信頼を感じられたからに他ならない。自身がカウンセラーになるつもりはないのだが、先日関心があって見ていた放送大学の心理カウンセリング序説の「秘密保持と記録」は心理士の特殊性について語られていた。だが、社会人経験の少ない若い人にとってこれがどこまで伝わるのか不安にも感じた。そんな心理士を目指す人に是非読んで頂きたいと思い記す。

 

私たちは日常生活においても最低限の自己主張をするためには自分の弱みを伝えることを控えるものである。その弱みの部分を他者に晒して共有してもらうことで心理カウンセリングは成り立っているのだが、それを可能とさせるのは秘密を守ってくれるというカウンセラーへの信頼に尽きる。これ、個人的に開業しているカウンセラーなら(そんなものは聞いたことが無いのだが)問題は生じにくいと思うのだが、多くの場合は医療機関などに属して仕事をしているのだと思う。そこで登場するのが社会人の基本原則”報連相”だ。

 

報告・連絡・相談。私も会社勤めをしていたのでこれが鉄則である意味はよく分かる。何かクレームのあった時に責任を負うのは組織である。個人に責任を及ばせないためにも組織として情報を共有していなければならない訳だ。ところが、心理カウンセラーという職業は先述したように信頼のための秘密保持が必須なのである。つまり報連相をしてはならないのだ。組織に属す者としての務めとしての報連相と、職業倫理としての必須要件である秘密保持。このどちらを取るかというジレンマに悩むことがそもそもの前提としてあることが心理士の特殊性なのだ。

 

もちろん現実には報連相を”するべき、しなければならない場合も”存在する。番組でも再三言われた”自他に危害を加える恐れがある場合”などだ。心理士の守秘義務は公認心理師法や臨床心理士会の倫理綱領に定められてはいるが、これを通告した場合は守秘義務違反とはならないとされている。だが、これをもってしてこの上位の法文に機械的に従うべき、従わなければならないとするのは違うはずである。通告するかしないかを悩みに悩んだ末の決断で”なければならない”ということだ。

 

この悩みに悩んだ、そして自発的な決定というプロセスが心理カウンセラー当事者としての職業倫理としてあるはずなのだ。自発的な当事者の職業倫理というところが大切なのだと思う。決断として通告しなかったために刑事事件が発生し、通告義務違反として罪に問われても、それを受容出来る覚悟があるかどうかが問われているのだ。それは法文よりも上位にあるものだからである。そしてもちろん、これぐらいの決断が出来る者であれば、通告しなかった場合でも自らの判断で何らかの未然の対策が行えたであろうことは言うまでもないことである。

 

最近は社会人経験をしてから心理士を目指す人も多いようだが、学部から直接目指そうという人には報連相の意味を熟知していない人も多かろうと思う。この、他の職種とは報連相の意味が違っているということをいま一度確認して頂きたく思う。そして信頼を第一とすることも。