「戦争を知らない子供たち」再考 方便は本質を見誤らせる | ひらめさんのブログ

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メランコリー親和型鬱病者で理屈好きな私の思うところを綴ります。

 

 

今回の「そこまで言って委員会NP」は「改めて『戦争』について考える」と題した企画だったが、その一章として「戦争を知らない子供たち」という曲を知っていますか?という切り口があった。番組でのアンケートでは10~20歳代で1~2割程度の認知度で「戦争を知らない子供たち」を知らない子供たちが増加しているということだったが、もちろんおっさんである私はよく知っている。

 

 

戦争が終わって 僕らは生まれた
戦争を知らずに 僕らは育った
おとなになって 歩きはじめる
平和の歌を くちずさみながら
僕らの名前を 覚えてほしい
戦争を知らない 子供たちさ

 

この曲がヒットした1971年に私は小学2年生だった。我が家は父の趣味のクラシックしか流れていない家庭だったが、いまとは違って好むと好まざるに関わらずヒット曲ぐらいは知っていたのだ。反戦歌という性格からか、政治的な話題をお茶の間に持ち込む親たちの会話にも出てきたことを記憶している。母は当時養護教諭で共産党員、終戦時18歳、父は当時管理職だったが開戦した入社時は軍需産業だったので満州に赴任して徴兵を免れたという経歴がある。終戦時20歳である。

 

いかにも否定的ニュアンスで「あの歌どう思う?」という母の問いに「雑音としか感じへんなあ」と父が答えていたことがいまも印象に残っている。共産党員の母はもちろん、父だって徴兵は免れたものの空襲は日常だった経験があり反戦思想はあったにもかかわらずだ。反戦思想を持っていても、必ずしも反戦歌というだけでは好意的には受け取れないのだなあと思ったものだ。

 

親たちの感想の意味を戦争体験者の圧倒的な優位性にあることは、7歳の私でも理解出来たものである。つまり、机上の空論的な綺麗ごとだけで正否を判定出来るものではないということだ。もちろん旧左翼である共産党支持者が、新左翼に属すであろう彼等に抱く近親憎悪みたいな心情も無くはなかっただろうが、その根底には歴史的経緯を知っているか否かがあったのである。

 

一方リアルな子供としての私にとっても、この曲はものすごく違和感を覚えたものだった。何と言っても当時二十歳を過ぎているいい大人が自分たちのことを「子供たち」と自慢げに自称していること。そして「知らない」という無知であることをこれまた自慢げに歌っていたことだ。リアルな子供だった私でも、子供というものの未熟さを棚に上げて純粋であることを訴えることは間違っていると感じたものである。

 

作詞は北山修氏。我が京都ゆかりの人でもあるし、「あの素晴らしい愛をもう一度」は洋楽しか聞かない私でも素直に良い歌詞だと思うので悪くは言いたくはない。しかし、やはりこれは酷い。ウィキペディアによるとフォーク・クルセダーズの「盟友加藤和彦に作曲してもらおうと思ったら、鼻で吹いて突っ返されてしまい、やむなく杉田二郎の元に持って行った」とある。両者のセンスの違いを何となくでも知っていれば納得してしまう話である。

 

問題は「知らない」だが、作者に寄り添って解釈すれば無知ではなく無関係というニュアンスだろう。戦後に生まれた彼等には確かに戦争責任は無い。だから「平和を希求する純粋な気持ちを持っていることだけが取り柄だ」ぐらいの感じだろうか。んんっ? もしかして北山氏は責任を持たされていないことに不満があったということだろうか? その「ひらきなおり」が「戦争を知らない子供たち」という屈折した特権意識を作ったのだろうか? これなら氏の内心に共感出来るところもあるかもしれない。

 

実は当時私は母から「あんたたちは戦争を知らんで幸せやなあ」と耳にタコが出来るくらい言われていたからだ。ある意味これは共感から除外された者に認定されたことであり、仲間外れにされたということである。北山氏ら団塊の世代とは干支の一回り以上の差があってもこんな経験があった訳だ(私は母が36歳のときの子だから、親の世代としてはあまり差が無かったのかもしれない)。私が「責任ある立場でなければ言いたいことも言えない」という考えを強固なものとしたのもこの経験があったからだろう。

 

片や北山氏は「言いたいことが言えない」不満を持ちながらも、責任を持たせてもらえない、持てないことを屈折した特権にするしかなかったのかもしれない。そしてこの曲を支持した人の多くが、そんな内面にまで想像を及ばせることなく表面的な特権意識に流されたことが不幸の始まりなのだろう。この屈折した特権は方便の類だろうが、方便というものが持つ便宜性は本質を見誤らせることにもなるのだ。

 

番組のパネリストで元外交官の宮家邦彦氏(北山修氏より7歳年下)はアメリカでの反戦歌「花はどこへ行った」がベトナム戦争に徴兵される若者たちに支持されたことを踏まえてこう言う。「日本の若者で戦争に行く可能性のあった人はゼロなんですよ。つまり全く安全なところで反戦を言ってる。このギャップ、しかも彼等は何て言ってたかと言うと安保条約反対、安保反対を言ってたわけですよ。その安保が日本を平和にして、それで戦争をしないで済んできたっていうね、このことをもう少し皆さん理解して欲しいんです。」

 

完全に同意する。そしてこれがメッセージ情報の正しい処理の仕方だろう。歌詞という詩的表現に「正しい処理」を求めることに疑問を持つ向きもいるだろうが、解釈に幅があることと作者の意図を正確に掴むことは両立出来るものである。ならば情報発信者(作詞家)は、正確に思いを受け取ってもらうためには方便など使うべきではないだろう。北山氏は「言いたいことが言えないのは何故だろう」という歌詞を書くべきだったのかもしれない。