SDGsの不都合な真実  韓国ソウル 出生率0.64の衝撃 | ひらめさんのブログ

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メランコリー親和型鬱病者で理屈好きな私の思うところを綴ります。

 

 

SDGsという浅はかな正義が流行っていて困ったものだと思っていたが、このドキュメンタリーを観てなかなか適当な反証になると思った。そこで同じく浅はかな正義であるアル・ゴア米元副大統領の「不都合な真実」をくっつけてうまいこと言ってみたのだが、検索すると既にそんな著書があるようだ。

 

 

ざっと眺めただけだが、そもそも論点が違うし必ずしも賛同は出来ない(読んでみようとは思わない)内容のようだ。だからこの本とは全く無関係である。

 

本論に移ろう。韓国の出生率は過去最低の0.84を記録し、首都ソウルに至っては0.64(いずれも2020年)だという。少子化が叫ばれる日本でも1.34なのだから、この世界最下位(198カ国中 ちなみに国連加盟国は196カ国)は極めて深刻である。韓国の人口は5184万人(2020年)だが試算によると2100年には半分以下の2538万人となるという。番組ディレクターは正に当事者である韓国人女性(子供は欲しくない)であり、カメラマンはその夫(子供は欲しい)だ。制作はNHK。

 

韓国ではDINK族と呼ばれる世代が登場したというのだが、これは30年ぐらい前に聞いた米国発のDINKs(Double Income No Kids)の流用である。共稼ぎで意識的に子供を持たない夫婦は、独身時代の自由を手放したくないという層のニーズに沿うものだ。アナーキストである私は自由意思を大切にはしたいので、彼等の価値観は分かるつもりである。だが、意識的にハネムーンベイビーを授かった私たち夫婦とは何かが違う。それは何だろうか? 番組のタイトルにもなった「ママにはならないことにしました」というエッセーの著者チェ・ジウン氏(41歳 フリーライター)へのインタビューでこんな言葉があった。

 

チェ氏「子供を産んで育てるには長い時間を費やさなければならない。ずっと面倒をみなければいけない存在が日常に加わるということでしょう? もちろん幸せも感じられると想像は出来るけど、今の生活を激変させる道を選ぶ必要があるの?…」

ディレクター「私も子供を産むか産まないか悩んでいますが、周りからは自己中心的だと言われる。社会に貢献すべきだという意味でしょう。」

チェ氏「貢献ではなく犠牲だと思う。『多くの女性が犠牲を払っているのに、何故あなただけやらないのか』と。それは個人の意志とは別の話だと思う」

 

「貢献」と見るか「犠牲」と見るか。このあたりに私たち夫婦とのズレがあるようだ。いや、私たちだって「貢献」の為に子供を欲した訳ではないが「犠牲」だとは思いもしなかった。自然な感情の中で子育てという「面倒ごと」を一緒に体験してみるのは、きっと楽しいことだろうと思った程度のことである。「面倒ごと」は負荷であるが、子供の面倒は楽しいことを予想できるが、親の面倒は私だって気乗りはしない。彼等と私たちの違いの一つは程度問題かもしれない。

 

韓国では老後の義父母の介護が嫁側に一方的に押し付けられることにあると語られる。日本だって似たようなものだろうが、儒教文化の根強い韓国ではそれがより強いということなのだろう。だが、そもそも何故以前は問題とされなかった面倒がいまは出来なくなってきたのだろう。世代として脆弱になっているのだろうか? それもあるかもしれないが、長寿社会がもたらした期間の長さと認知症などによる介護の重度化によっていると思う。

 

SDGsの目標の中に「すべての人に健康と福祉を」とあるが、後進国ならともかく、現役世代にこれだけの負担を与えているのは過度な長寿社会にある。舅姑の介護のしわ寄せが子育てという負荷を思い止まらせているのだ。SDGsのこの目標設定の矛盾は先進国にはとっくに現れて、結果として少子化に繋がっているわけである。この少子化は国家の存続に直結しているのだからSustainable(持続可能な)という趣旨とは真逆の結果を促しているのだ。

 

もうひとつのDINK族を生む理由に社会的キャリアを積む場合の障害となることがある。これも日本にもあることだが、キャリア志向の女性(番組では弁護士)は子育て期間中のブランクが、より高度な職種にとっては致命的な問題となるのだ。係争中の裁判を産休するような弁護士なんて誰が依頼するだろうか。女性の社会進出に障害はあるべきではないが、そもそも女性性に不向きな職種はあるものだ。

 

SDGsの「ジェンダー平等を実現しよう」という目標もこの矛盾を孕んでいるわけだ。よく言われる日本が120位のジェンダーギャップ指数、韓国はちょっと上位の102位(いずれも2021年)だが、この出生率を見て見本にすべきと思うだろうか? 柳沢伯夫元厚生労働大臣の「産む機械」発言は稚拙過ぎる表現ではあったが、おそらく真意は女性は「産める性」であり「(少なくとも一定期間)育ててもらわなくてはならない性」であっただろう。この換金できない価値を貶めているのが氏の言葉を切り取って脊髄反射した「ジェンダー平等」論者である。もっとも「頑張ってもらうしかない」という氏の結論はこれまた稚拙だったのだが。