藤原帰一氏 何か言っているようで何も言っていない優等生の主張 | ひらめさんのブログ

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竹島、尖閣等の領有問題、何か書かねばと思いながらも、低偏差値のアタマは回らずほったらかしになっていた。朝日新聞、8月21日夕刊に、国際政治学者、藤原帰一氏がこの問題に一文を寄せているので、これに噛み付いてみよう。


時事小言 藤原帰一 領土領海

主権譲らず挑発もせず


これがタイトルなのだが、これほど何も言っていないタイトルもないのではなかろうか。試しに意味を逆にして成り立つかどうかだ。”主権譲って挑発して”。左翼だって「主権を譲りましょう」などと主張していないし、右翼だって「いまこそ挑発しろ!」などとは叫んでいない。つまり、誰も異を唱えていないことをいまさら言ったって何の意味もないのだ。


タイトルだけで批判するのはあんまりだから、一応、本文も読んでみるが大したことは書いていない。タイトル部分をより具体的に書いてあるのが次の部分だ。


日本が実効支配する尖閣諸島については日本ばかりでなくアメリカ、韓国、東南アジア諸国連合(ASEAN)諸国との連携の下に武力介入を阻止するが、実効支配をしていない北方領土と竹島については法的に主張する一方で武力行使は自制すべきだろう。


これは単なる現状追認ではないだろうか。(しかも諸外国との連携を期待するなど、些か日本の外交能力を期待しすぎている) 踏み込んで言っているつもりなのかもしれないが、それならば、踏み込んで書くべきことは書かなければなるまい。つまり何も言っていないのだ。こういう人が学者を名乗っているから”想定外”に何の備えも出来ていないのだ。


例えば、中国が軍艦従えて尖閣に乗り込んで来たときにどうするのか?ということである。海上保安庁には対応できまい。「そんなことは反中右翼の妄想で国際政治の中ではありえない」という冷静さをアピールするのが、学者としてはカッコが良いのだろうが、”原発ムラの御用学者”の轍をいつ踏まないとも限らないではないか。想定ぐらいはしておくべきだろう。今回の政府の対応も不意をつかれた感が強かったことは素人目にも見て取れたぐらいである。


また、後半の実効支配していない地域についての件。”武力行使の自制”はもちろんだが、”法的に主張する”ことが、氏の専門とする国際政治学においてどれだけの効力を持ちうるのか、当然、承知の上で書いておられるのだろう。私は難しいことはわからない。だが、定住者を法的に追い出すことの難しさはよくわかる。小は市営住宅の家賃滞納者から、大はパレスチナ問題まで。だとすれば、これも「実質、あきらめなさいよ」ということだろう。それならそうと、その心構えを説くべきだろう。


もうひとつ、歴史問題については、朝日ならではのリベラルよりの陳腐な意見を展開している。


(前略)日韓関係でいえば、歴史問題は決着済みだとする日本政府の主張が韓国社会に受け入れられていない現状を直視して、従来の政府合意と河野談話・村山談話に加え、さらに明確に植民地支配と戦争への責任を表明する。日本側のイニシアチブによって、正義の名の下に粗暴な対日偏見が広がる根を断つのである。


この後、「これは韓国や中国への迎合ではない。」と続くのだが、当人は無意識なのだろうが教条左翼全開である。日本政府の主張が受け入れられていない、いや、受け入れようとしなくなったなったのは韓国(あるいは中国)の”ナショナリズムに発する教育”に起因するものである。それらの国が反日的になったのが、1980年代後半からであったことは、おっさん世代には騙せない事実である。


そして、あろうことか「正義の名の下に」である。リベラルがこの、戦争の枕詞を使うことにはどんな深意があるのだろう。それともマイケル・サンデル氏の威光を借りただけなのだろうか。