日本語教師は多文化に触れる楽しいお仕事ですが、日本人として色々考えさせられることもあります。

 

私がヒンディー語を勉強し始めたのは、隣にインド人の家族が引っ越してきたからです。

 

彼らの家へ遊びに行ったとき、私と話すときは英語で、家族間では、全てヒンディー語で話していました。

 

お隣のリビングと私の家の玄関は庭続きで、私が仕事から帰ると、いつも声を掛けられました。

 

毎日のように家族間のヒンディ―語を聞いているうちに、子供たちに話すようなとても簡単なヒンディー語の意味が少しずつ理解できるようになりました。

 

ヒンディー語と兄弟言語と言われる文法が同一のウルドゥ語を、以前、少しだけ勉強したことがあったので、彼らが話している会話に、聞いたことがある言葉が出てくるとなんだか嬉しくなりました。

 

ある日、少しずつ意味がわかってきたヒンディー語を使ってみたくなりました。

 

インド人のパーティで、私が持参したお菓子をみんなに出すときに、「食べてください」とヒンディー語で言いました。

 

しかし、そのヒンディー語は誤りで、「カーイエー(お食べください)」と言わなければならないところを、「カーオー(食べなさい)」と命令口調で言ってしまったのです。

 

その場にいた人は私が失礼なことを言ったことに気づいたに違いありませんが、私のヒンディー語のレベルがあまりにも低いので、誰も私のヒンディー語を訂正しなかったのだと思います。

 

子供たちには「カーオー(食べなさい)」で問題はないんですが、大人の人たちに言ってしまったのです。

 

また、別の日にも「アーイエー(来てください)」と言うところを「アーオー(来なさい)」と言ってしまったりもしました。

 

その後もヒンディー語に、敬語があることを知らずに、大人の人に、覚えたてのヒンディー語を使いたくて、間違った表現で、使っていました。

 

後で間違いに気づいたときには、とても恥ずかしくなりました。

 

それからの私は、テキストを確認しながら、敬語に気をつけて、話すようになりました。

 

私が失敗した経験から、日本語の授業では、生徒さんが大きな間違いをしたときには、なるべく早く訂正するようにしています。

 

これまであまり馴染みのない外国語を習得することはとてもエネルギーのいることですし、継続しないとすぐ忘れています。

 

しかし、相手の母語を少しでも話せると、相手が驚き、相手との距離感が近くなったような気がします。

 

お薦めです。

 

 

私の失敗談を最後まで読んでくださってありがとうございました。