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わくわく夢クラブ

『わくわく夢クラブ』は、敗戦後60年の日本の現状の中で、お米を中心とした食に還る~食改善こそが個人の健康への道そして日本の再生への道と考え活動しています!

これでアメリカに行ける!!!

 

 

私の気持ちはまだ見ぬアメリカに向かって

大きく大きく膨らんでいました!

 

そして26歳の夏!飛び立ったんです(^_-)

 

 

 

 

時は流れて!

それから43年後、2017年4月、

 

私は会社の招待旅行で

ハワイに行くことになりました。

 

 

29歳の時アメリカから帰って、

40年ぶり・・・・・・・・・・・・ですが、

40年たっているとはいえ・・・

 

私は旅行会社から送られてきた

ビザ免除プログラム・ESTAの申請書を前に

考え込むことになりました。

環境を変える事で、

マクロビにももっと真剣に向き合えるのでは・・

と思ったことと、

 

 

言語でも英語しか聞こえてこない環境って

どんな体験なのだろう?と思うとわくわくしました。

 

 

ヘルマン相原先生から、

『ぜひいらっしゃい』というお返事をいただいた時は

嬉しくて、感謝でいっぱいでした!

 

 

この頃の事あまり良く覚えていないのですが、

学校に入るわけでもないのに、

神戸の大使館に6か月のビザを申請し、

何度行ってもビザがもらえませんでした。

 

ヘルマン相原先生から、

大使館あてに書いて頂いた手紙なども持って行きました。

 

途方に暮れて帰ろうとした4回目ころ

どこから出てきたのか、

ものすごくかっこいい次官のような人が、

判をついてくれたのです。ヽ(^o^)丿

本日、お友達のお誘いを受けて

東かがわ市の㈱スワニーの

元会長宅を訪問し会食をする機会を得ました。

 

ここでのお話しの中に、

会長さんが1964年手袋の営業で

ニューヨークに旅立ったというお話がありました。

 

1ドル360円の時代です。

 

実は私もこれより11年後

1975年にアメリカに行くことになるのです。

 

 

病院にも通わなくなり、

脱線しながらも変えていった食生活のお陰か

私はこの時代に『アメリカに行きたい』という思いになるのです。

 

私がマクロビの勉強に通っていた

大阪の正食協会に

桜沢先生のお弟子さんで

カリフォルニアでマクロビを普及していた

ヘルマン相原先生の奥様が来ていたのです。

 

私のどこにそんな勇気があったのでしょう⁈

マクロビで元気になったおかげか?

『ヘルマン先生のところでお勉強がしたいので

アメリカに行ってもいいですか?』とお願いをしたのです(^▽^;)

 

(今考えると、すごい勇気(^_-)-☆)