わくわく夢クラブ -50ページ目

わくわく夢クラブ

『わくわく夢クラブ』は、敗戦後60年の日本の現状の中で、お米を中心とした食に還る~食改善こそが個人の健康への道そして日本の再生への道と考え活動しています!

前回の記事

 

私がほぼ毎日通っていた稲生沢川の淵に

お吉が身を投げたのは

明治23年(1890年)3月27日お吉50歳の事だった。

 

 

お吉が17歳の時、

頼まれて、ハリスのもとに・・・

 

支度金25両の上に、一年の給金120両もくれるという・・

一生涯見ることのないような大金、

恋仲だった鶴松にも『苗字帯刀』が許されるという、

色んな条件が提示されハリスのもとへ・・

 

 

しかしその後のお吉に対する世間の目は、

予想以上に冷たく、非常だった。

 

酒におぼれる人生となり、

50歳で命を絶つことに・・・・

 

 

私たち女性の地位は

こんなところから現在まで向上してきたのです。

奇跡が起こったような気もしますね!

 

 

しかし世間とかまわりの目はまだまだ

長足の進歩は遂げていないような気もします。

 

そして今ならありえないことのもう一つが

吉田松陰の下田での出来事でした。

 

 

〜☆

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ペリーは200年以上も鎖国を続けている日本に

強い興味を持ち、日本事情を研究、

1852年、母港を出発、太平洋、喜望峰を回り、

インド洋を経て日本に到着した。

 

私は和食伝承士という資格を3年ほど前に取得したが、

日本列島に大きな影響というか

大変化をもたらした2つの出来事は

稲作伝来と黒船来航だと感じました。

 

 

稲作伝来について話始めると

止まらなくなるので、

 

そこは置いて、

黒船来航について話すと、

それは日本が欧米に向かって、

180度の舵を切る原点となる出来事だったのです!

 

 

そしてそれが今に続いている。

 

私は下田でお家から勤め先の道場に通うのに

お吉が渕と呼ばれる川のそばをほぼ毎日通っていた。

 

皆さんは「唐人お吉」と呼ばれた人のことを知っているだろうか?

そしてペリーの船に行き海外渡航しようとした吉田松陰の事は?

 

 

そこから長い長い道のりを私たちは歩いてきたのだ!

 

 

 

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下田はとても魅力的な美しい町でした。

 

何よりも海の見えない山に囲まれた町に育った私には

海の近くに住むことは憧れでした。

 

 

新鮮な魚やサザエやアワビと言った

美味しいものが食べられたこともうれしかったことの一つです。

 

 

また海が美しく、

あちこちに素敵な海水浴場があり、

泳ぎに行っては海の美しさに感動しながら泳いだものでした。

 

 

そして何よりも魅力だったのは、

下田は歴史の町だったことです。

 

 

あの黒船でやってきたペリーが、

日米下田条約締結のため行進したといわれている道は

ペリーロードと名付けられています。

 

そしてその後ハリスがやってきます。

 

 

吉田松陰や坂本龍馬も下田に・・・・

 

 

こんな歴史の町にいると思うとわくわくでしたね(^_-)-☆

 

 

 

 

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