『タワーリング・インフェルノ』は1974年に公開された、超高層ビル火災を描いたパニック映画の金字塔です。


高さ550メートル、138階という世界最大級の超高層ビル「グラス・タワー」がサンフランシスコに完成し、業界の著名人や来賓を招いて盛大な落成式パーティが最上階で行われます。


その華々しい祝宴の最中、配電盤のヒューズの不良から81階で火災が発生。


しかし、設備の安全基準をコスト削減のために守らず安価な配線が使われていたことが祟り、火は瞬く間に燃え広がります。


火災発生を知った設計者ダグ・ロバーツ(ポール・ニューマン)はパーティの中止と避難を進言しますが、オーナーのダンカン(ウィリアム・ホールデン)は事態を軽視して聞き入れず、来賓たちは最上階に取り残されたまま危機に巻き込まれてしまいます。


現場に駆け付けた消防隊長マイケル・オハラハン(スティーブ・マックイーン)は、設計者ロバーツと協力して決死の消火活動と人命救助に挑みます——というのがストーリーの骨子です。


登場人物は多彩で、消防士や設計士だけでなく、パーティに参加した一般人・有力者や、火災発生の原因となった工事責任者などそれぞれドラマを持ち込むことで、群像劇としての側面も強い作品です。


本作で筆頭となる魅力は、主演のスティーブ・マックイーンとポール・ニューマンという当時の二大スターの競演です。


冷静で頼れる消防隊長オハラハン役のマックイーンと、強い責任感を持つ設計士ロバーツ役のニューマン。二人が火災現場で奔走する姿は、圧倒的な説得力で観るものを引き込みます。 


脇を固める俳優陣も豪華で、ビルのオーナー役ウィリアム・ホールデン、詐欺師役フレッド・アステア、義理の息子で工事の手抜きの張本人リチャード・チェンバレン、消防士、未亡人、広報担当、政治家に至るまで様々な人間模様が巧みに織り交ぜられています。


それぞれの運命とドラマが緊迫の火災シーンと並行して描かれ、人間ドラマの深さと緊張感が途切れることなく続きます。


特撮やセットの迫力は、現代のCG技術と比しても色褪せない見応えがあります。 


どんどん炎に侵食される高速ビルの外観、煙と炎が建物を覆い尽くし、人々が避難経路を求めて奔走するさま、ヘリコプターやエレベーターを使った救助作戦など緊迫の連続です。 


最後には爆破による消火という大胆な作戦を敢行し、決死の脱出劇はまさしく手に汗握る展開となっています。


ただのパニックではなく、随所で人間の弱さや愚かさ、勇気が描かれることで、観客は感情移入しながらも、ときに葛藤を覚える構造となっています。


表面的なパニックやスペクタクルだけでなく、本作が高く評価されている理由は、教訓性の高さです。


「コスト削減のための安全無視」「危機の初動対応の遅れ」「避難訓練や設備点検の軽視」など、危機管理や人災が生んだ大惨事として、点検や対策、初動対応の重要性や、専門家の意見の尊重など問題提起がなされています。


災害発生時、どう行動すべきかという観点でも、煙の有毒さや低い姿勢での避難、シーツやカーテンを利用した応急消火など、地に足の着いたアドバイスも盛り込まれています。


また、人と人とが危機の中でどう助け合うか、自己犠牲と利己主義が交錯する場面には、強い倫理観を感じさせます。



感想

『タワーリング・インフェルノ』を初めて観たとき、70年代の映画ながらそのスケールの大きさとリアリティ、ドラマ性に圧倒されたのを今でも覚えています。


高層ビルという象徴的な近代建築の中で、技術の進歩による「安全性」と「危機」の表裏一体が描かれるこの作品は、単なるパニック映画に留まらず、文明が抱える根本的な問題や教訓を観る者に突き付けてくるのです。


まず魅力的なのは、人数の多い登場人物たち。


設計士、消防隊長、オーナー、一般人、それぞれがオールスターキャストで群像劇として展開していくので、観ていて目が離せません。


誰が生き残るのか、救いの手は届くのか、それぞれのドラマを背負った彼らの運命に自然と情が移ります。 


救出作戦はどれも一筋縄では進まず、次々と予想外のトラブルが起きる。


例えば展望エレベーターの停止やヘリによるゴンドラ救出失敗。


それぞれの場面で、パニックや焦燥、そして絶望の色が濃くなっていきます。


群衆心理の危うさや、最後の屋上爆破による消火など決死の作戦も、犠牲者を出しながら観る者の心を掴みます。現代の映画と比べて演技や演出がやや古典的とも思えますが、その分人間のドラマ性が濃い。


マックイーンとニューマン、二大主演の静かな存在感は本作の推進力であり、普遍的なカッコよさが光ります。


また、個人的に強く印象に残ったのは、火災原因がただの「不幸な偶然」ではなく、コスト削減=安全の軽視という人間の拝金主義から生じた「人災」である描写です。


作品終盤、オハラハン隊長が「確実に消せるのは7階までなのに、なぜ高さを競い合う?」と嘆く場面からも、現代社会の警鐘に繋がるリアリティがあります。危機管理や防災の意識を改めて考えさせられる作品だというのは、今改めて観てもまったく色褪せないテーマの一つだと思います。


一方で、人間の利己的な動きもリアル。


ビルからの脱出順は抽選で決めたのに、いざ救助ゴンドラが来たら誰もが我先にと乗り込む。


この場面の群衆心理は、今もなお「人間とは何か」を考えさせてくれるし、教訓として胸に刻みたい部分。


火災の恐ろしさや逃げ場のない恐怖、勇気ある行動や損なわれる命…これらをリアルに描き切った本作は、ただスペクタクルなだけでなく、倫理的側面、社会的メッセージを内包した「教訓の映画」として、今も語り継がれる理由がよく分かります。


観ている間中、緊張感と息詰まるパニックが続くのに加えて、ラストにはしんみりと胸を締め付けられるような余韻。派手な爆発や炎の映像に目を奪われながらも、結局残ったのは、人が人を思いやる小さな勇気や、犠牲だったと思います。


「高層ビル=現代技術の象徴」は、今も世界中にありますが、そこで暮らす・働く一人ひとりが危機への備えや命の重さを考えるきっかけになる映画です。古い作品ではありますが、災害時にどう動くべきか、安全と倫理についてどう考えるべきか、本作はそうした問いを私たちに改めて突き付けてくる不朽の名作です。


2025年8月現在

プライムビデオ、U-NEXT、Hulu、TSUTAYAディスカスにて配信中