少しネタバレあり。
映画『悪い子バビー』(原題:Bad Boy Bubby)は、幼少期から35年間母親に隔離され、外の世界を知らずに育った男バビーの人生を描いた、非常に衝撃的で異様な世界観を持った作品です。
バビーは母親に「外の空気は有毒だ」と言われ、薄暗い部屋に閉じ込められて生きてきました。
彼の世界は母親だけで完結しており、生活のすべてが管理され従属しています。
35年経ったある日、突如父親を名乗る男が現れたことで日常が崩れます。その事件をきっかけに両親をラップで殺してしまったバビーは、ついに外の世界に踏み出します。
初めて目の当たりにする社会は、母の教えとは全く異なり、バビーには刺激に溢れています。
音楽、暴力、愛、善と悪、外の人々との関わりを通して、彼は自分自身を発見し、成長していくのです。
最初のバビーは、社会常識も倫理も持たず、純粋無垢といえば聞こえはいいが「危険」と紙一重の存在です。
道で出会う人々は彼の異様さや子供っぽさに困惑し、バビー自身も社会のルールを知らないがゆえにトラブルを繰り返します。
留置所での虐待、女性に暴行される経験など、救いのない展開にも見えますが、やがてロックバンドの仲間や障害者施設の人々と心を通わせ、少しずつ自分の居場所を見つけ始めます。
感想
映画『悪い子バビー』は、一言では語りきれないほど強烈で、観た者の心に爪痕を残す作品です。
序盤はとにかくバビーが閉じ込められた空間の異様さ、母親の異常な愛着、近親相姦的な関係、汚れた部屋の光景に圧倒されます。
観ていて心がざわつき、不快感さえ覚えるでしょう。バビーの母への従属ぶりや、母親と父親の支配に終始甘んじている姿は、極端な依存と支配の物語として全く他人事では済ませられないものを感じさせます。
ところが、外の世界に出たバビーが抱く「新鮮な驚き」の描写は、実に印象的です。音楽と出会うシーン、バンドとともに歌い踊るシーン、この瞬間だけはバビーにとっても、観客にとっても希望が垣間見える瞬間です。
彼が親しみのあるフレーズや姿勢を機械的に繰り返すシーンも、人間の「刷り込み」や「模倣」について考えさせられるところ。
牧師の衣装を身につけたり、母親に似たぽっちゃり女性に惹かれるあたりに、バビーの「学習」と「成長」、それでも拭えない過去の影響が色濃くにじみます。
この映画が厄介なのは、純粋な「被害者」物語でも「社会批判」でも片付かない点です。
バビーによる両親殺しが「犯罪」というより、「刷り込みの結果」「彼なりの解放」だったことが物語全体に重さを与えます。
彼がときに無意識のうちに他人を傷つける一方、「障がい者」や「子供」と心を通わせる場面には確かな温もりもあります。
もちろん、楽しいだけの映画ではなく、むしろ不快な時間のほうが多いです。観ていて本当にしんどい瞬間も何度もあります。
特に母親に依存しきった構図や、外の世界でされる「ひどい仕打ち」にはやり場のないやるせなさも残る。ですが、その陰鬱な前半があればこそ、後半のわずかな幸福や「自分の居場所」に手を伸ばすバビーの姿が輝くのです。
エンディングは、予想外にもしっかりとしたハッピーエンド。「こんな人生が幸せって言えるのか?」と疑問を持つ部分もあるけれど、その前に「彼が最後にたどり着いた居場所は、少なくともバビーにとっての幸せだったんだろう」と思ってしまう。
これは、どんなに醜悪な環境で育った人間でも、他者や自分との出会いのなかで違う人生を見いだせるのだという、一筋の希望を描いているとも言えます。
音楽の力、他者と関わることで見えてくる自分――この映画の根底には「再生」と「発見」のドラマが流れています。でもそれは決してぬるくはなく、映画として「過激すぎる」「不快すぎる」「普通じゃない」と思う部分こそが大きな魅力でもあります。
最後に、バビーの姿に自分を重ねることができるかどうかで、この映画の評価は大きく変わる気がします。歪な環境で育った彼が、それでも人を愛し「社会」と接点を持とうとする姿は、「人間は孤独でも学び、変化できる」という希望にも映ります。とはいえ誰にでもおすすめできるとは到底言えない、恐ろしくも美しい作品です。
2025年8月現在
DMM TVにて配信中