IT企業にいるにも関わらず、僕は何がなんでもITによる効率化が絶対必要だとは思わない。アナログな作業が大事なものもあると思うし、デジタルとの距離の取り方は、企業な人によって異なると思う。例えば、WEB予約について必ず必要かと言えば絶対でないと思う。今や、就職活動ではWEBでのエントリー、面接予約は必須だ。また、髪を切る時も、ホットペーパービューティを利用するのが主流だ。ピザの宅配も最近はあまり電話せず、WEBから予約している。
 ただ、営業職についてから、大体の予約を電話でするようにしている。そうしないと、どんどん電話で人と話すのが億劫になるからだ。人間楽をするとそれ以上やりたくなくなってしまう。
 どんなに技術が発達して、世の中便利になったとしても人の気持ちまで簡単に理解できるほど便利になる社会にはならないと思う。やはり心を通わせるには、相手の声を聞いたり、表情を見たりすることが大事だと考える。特にネットで熱心に情報を調べたとしても、実際に足を運んで聞いて見た知識には及ばないことも多い。
 IT効率化は、至るところで求められている。だが、効率化して社内や顧客とのコミュニケーションなど失われるものがないか、よく考えないといけない。特に効率化を勧める僕自身も常に考えないといけない。
 私は人から質問されて、すぐに返答することができない。どうしても数秒のタイムラグが生じてしまう。なぜすぐに返答できないのか?その理由は思ったことをすぐ口にすることをやめている体質になっているからだ。失言をひどく恐れてしまう。中学生や高校生の時は冗談を言ったりときにはふざけたこと平気で言う普通の学生であった。それが大学の後半にかけて就職活動をしたり、サークルの交友関係とうまくいかなくなったりして、自分の発する言葉にものすごく神経質になってしまった。僕はもともと冗談を言うのが好きだ。しかし今では冗談を言おうとしても瞬時に脳内にブレーキがかかってしまう。また、人見知りもかなり多い。人の視線に気づいても、無意識的に目を合わせない。気づいているけど気づいていない、ということを情報発信してしまうのだ(この人の視線を感じるのはかなり疲れる)。人と目を合わせて話せるようになるまで時間がかなりかかる。
 どうしてここまで人の視線や言葉に敏感になってしまうんだろうか。それはやはり自分の心が傷つくのが怖いからだ。相手を信じて正直に本音をぶつけてみることも本当に大事だ。社会人を何年かやっていると、報告することによる後悔や正直者が馬鹿を見る、といった思考に陥ることがよくあるかもしれない。だがそれは間違いであることも知っている。少なくとも本音を言える理解者を作る努力をしないといけない。そうしないと、自分の心がどんどん外部から閉じてしまう。
 自分は口下手である。そして弱い小心者であることを隠して生きてきたところがある。今は、隠すことを諦めて、なるべく正直に生きようと考えている。正直に生きると、またそれはそれで困難も生じると思う。「それは間違っているんじゃない?」とダメだしされることも増えるかもしれない。それでも良いか。自分もダメ出ししてみよう。
 人と衝突せずに回避し続ける生き方は本当に良い生き方なんだろうか。
 僕は街を歩く際にも、人とぶつからないように機敏に足早に歩く。人が近づいて来たら、自分から避ける。もちろん、ネット上に自分の意見を書こうという気も起きなかった。自分自ら存在を希薄化していたからである。人と衝突することを常に避け続けると、人との距離感が分からなくなる。自分の言葉に人はどう感じるのか、とても臆病になるのだ。
 人を無意識レベルで避ける習慣がついてしまったが、その考えが間違っていたのを気付いたのも最近だ。結局、人とのコミュニケーションに正解はなく、無難に表面上優しく接していても人を傷つけてしまうことは起こる。要は、目の前の人のことをしっかり理解してあげようという姿勢が大事だと思う。
 
 

 普段営業やっていると、自分のやってる事は格好悪いと感じてしまうのが正直なところだ。お客さんの話の意図をよく理解できず会話がうまく噛み合わなかったり、お客さんと意思の疎通がうまくできず商談が思うように進まなかったり、社内では技術担当の先輩からダメ出しをくらったり、本当に自分はスムーズに仕事ができないなぁと日々感じてしまう。

 格好悪い姿をずっと晒しているととても惨めな思いになっていく。ただ、そうやって意思の疎通に四苦八苦しているところだが、幸いにも希望がないわけではない。むしろ、今まで自分が避けてきた周囲との意思疎通をしっかりやることが今後の将来にとってとても大切だとわかってきたからだ。友達付き合いなら多少うまく意思疎通がずれていてもそれほど障害にはならないと思う。ただし、仕事だとそういうわけにはいかない。少しの認識のズレが問題に発展したり、お客さんに大きな迷惑をかけてしまうことがある。家族経営や零細企業でずっと勤めれば、時間を経るごとに阿吽の呼吸でうまく仕事が回るかもしれない。ただしそういうケースはかなり特殊だと思う。営業と言う仕事は外部のいろいろなお客さんとお付き合いするので、交渉したり意見をすり合わせる力をつけるにはほんとに良いと思う。僕のように仕事に行き詰まりを感じているような人は、うまく協調して仕事を進めることができない人も多いんじゃなかろうか。また、今まで上辺だけの人との付き合いをしてしまったことも大いに反省だ。
 世の中色々な営業があるので、一概には言えないが、営業自体はそんなにかっこいいものではないと感じる。だが、その格好悪い過程に大きな成長の価値があると思う。普段人とのコミニケーションをしていく中で必ず思い違いや認識のズレというのは生じてしまうものだ。それを合わせていく力や合わなくても逃げずに向き合っていく姿勢は生き方の質を変えていくと思う。
 
 
 仕事を辞めたい、そんなことを何回ほど思ったんだろうか。現在の仕事は頑張って続けようと思っているが、やめて英語の勉強したいな、とか自分で起業して働いてみたいな、というのことをよく考える。ただ、僕は一度仕事を辞めたことあるので、よく分かっている。仕事を辞めて1番楽しいのは最初の1週間だけだと言うこと。仕事辞める前は、自分で会社を起こしてみようとか、海外旅行に行ってみようとか、やりたいことをリストアップしていたけれど、自由な時間を持て余すと先延ばしにしてしまう。また、やったとしても「なんだこんなものか」で終わってしまうものも多い。結局仕事辞めたところで根本の自分は変わらないものだ。もしも暇が苦痛になることもある。
 忙しくても苦しい、暇でも苦しい、それであれば忙しい中でも自分のやりたいことを少しずつやっていくのもいいんじゃないかと思う。
 中には夢をために今の仕事を決心して辞める人もいる。いちどきりしかない人生だからその選択も悪くはないが、今与えられている仕事を一生懸命悔いなくやることも大切ではないか。例えば、ある人は歌手になりたいという夢を持っていたとする。ただ音楽の仕事1本で食べていけるほど甘くは無いのは確かだ。そんな人はたまの休みの日に路上ライブをしたり、友達の結婚式で率先して歌ったりすることで、周囲の人たちのための歌手活動をしていることになるんじゃないか。それに今はYouTubeもあるし探せば発表する場もたくさんあると思う。
 1つ言える事は、僕がいちど仕事を辞めて学んだことは「仕事を続けることも、とても立派で尊い選択だ」ということです。
 僕の父親は平凡な中小企業のサラリーマンでしたが、今の僕がひとつ尊敬するところを挙げるとするならば、仕事を1度も辞めなかったことです。
 仕事を辞めることも続けることも、どちらも最善の方法とは言い切れないし、続けることでしか手に入らないものもあると思います。


資格を取れば自分に自信が持てる、そのように25~27ぐらいまで思っていたが、これはどうやら勘違いをしていたと思う。
取得した資格は、FP2級、簿記2級、大型特殊、フォークリフト、小型船舶1級、大型自動二輪、ざっと挙げるとこれぐらいで、まあまあお金がないはかかったと思う。高難易度の資格であれば、変わるかもしれないが、資格を取って特に自信がついたわけではない。なぜなら、これらの資格を活かして仕事をしていないからだ。
現在システムの営業をしているから、資格の力だけで案件を獲得するのは難しい。人脈が大きい人のほうが営業では圧倒的に有利だ。また、資格の勉強では得られない生身の人間との交渉能力は経験と知恵がモノを言う。
つまり、中身が足りない人間がいくら外側をアクセサリーで着飾っても、中身のある人間と比べて魅力に関して天と地の差がある。最近のタレントや芸能人も内容がしっかりしているコメントが求められていると思う。若い10代、20代のタレントは明るくて元気であれば、多少発言がトンチンカンでも許して貰える部分もあるが、30代後半の芸人や俳優にはそれなりの幅がある回答が期待される。壇蜜さんや、武井壮さん、坂上忍さんなどここ何年かでブレイクした人のコメントはクレバーで、共感できるポイントがある。林修さんも特にそうだ。逆に、単に東大卒タレント、弁護士タレント、という肩書きだけではずっと続かないと思う。
自分の足りない中身を外側にある何かで補おうとする。どんどん中身が貧相になっていくように感じた数年だったかもしれない。本質が大事であることが分かっただけでも良しとしておこうかな。
人が幸せかどうかは他人からは絶対に分からない。僕はよく外食するし、コンビニに1日最低4回は行く。そこで働くレジの人を観察して、中高年なんかを見ると、(「なんでこんな仕事してるんだろう。」)と内心では思うのだ。ずっとこの人はこのアルバイトをするんだろうか。将来をどんなおもいで迎えるんだろうか。その人から見たら、余計なお世話であるが、何となく不憫にかんじるのだ。これが田舎ならなおさらに感じてしまう。
コンビニを出ると、街には大きな液晶スクリーンには今をときめくイケメンタレントのCMが流れている。このCMでいくら稼いで何人の人がかっこいいと思うんだろうか。僕は常にこういう輝いている人を見て自分自身にプレッシャーを感じていた。「俺は今何をしているんだ」と。コンビニ店員のような誰でもできる取り替え可能な仕事なんてしたくない。テレビに映るお笑い芸人を見て僕もあんな風に大笑いをして仕事をしてみたい。と。でも実際はどうなんだろう。40代にもなって(「俺なんでこんな馬鹿なことやっているんだろう。しかも多くの人のテレビの前で。」)と自己矛盾を抱えながら壊れてしまう人もいるんじゃないか、と思う。それに将来も不安だ。いつ仕事が無くなるか分からないし、いつ人気が落ちるかも見えない。
その人が幸せかどうかは結局その人しか分からないし、その人の考え方次第だ。
今の仕事をずっと続けられるか、この先10年後、20年後は自分はどうなっていくんだろうか。そんな不安も抱えつつ、自分の幸せを人が持っていないことを受け入れていこうと思う。
営業をして早3か月、少し息切れもしてきた頃である。
そんな時僕は自分を見つめ直すためにも、営業を受ける立場に立ちたいと思った。
急ぎではないが保険の見直しもしよう思っていたところだ。この前異業種交流会で会った保険の営業さんからメールを貰ったところだ。会ってみるか。。。
会って1時間は話しただろうか。最終的には保険の紹介を改めてしたいのでまた会いましょう。という流れになった。
営業を受けてみて感じたのは、本当に困っていることを共有して、自分を殺す営業は本当に難しいんだな、ということです。
自分の所属している会社や商材によって、お客さんに合わないことも多々ある。
ただ、それでも本当の悩みを共有して、「実はうちの商品ではなくて、この商品が必要なんじゃないですか?」ということも本当に貴重な営業なのではないだろうか。
「お客さんのために」と言いつつ、いつの間にか自分のためになっていた部分があるかもしれない。うちの会社の商品の説明ではただの自己満足で終わる。
本当に困っていることは何か、その真実を追求することに自分の価値が生まれると感じました。
信用は大事だ、なんて誰もが知っていることだ。ただ、知っていることと実践することは天と地の差がある。最近では自分は本当に信用が足りないと感じてきた。
「人から信用されるためには、まず自分が人を信用しないといけない」という言葉は分かるが、信用して弱みなど見せた結果、後で傷付くのが恐いのである。
知識や情報の提供やアドバイスをしてくれる人はいるけど、自分が今どう感じて、どう思っているかを共感してくれる人はとても少ない。色々な人からの言葉が、自分への指摘として捉えてしまうところがある。とても心がもろくなることも多い。
こんな繊細な生き方を求められる日本にいるぐらいなら、いっそ海外で暮らしたい、そんなことをよく思うときがある。
ただ、結局は自分の問題であることも知っている。環境はあくまで後付けだからだ。
信用は1日にして生まれない。時間をかけてまず自分を信用して、たくさん傷ついて、人前で泣いて、笑おうと毎日決心しようと思った。