そもそもおこがましいですよね。

 

「人を動かそう」なんて。

 

そんな意図がすけてみえる文章は、ヤラシイ。

 

 

そうなんですが。

 

そうは言っても、人を動かさなきゃいけないときって、あります。

 

 

たとえば、すごい危機が相手に迫ってるとき。

 

放っておいたら、その人が大変なことになってしまうときなんかは

いろんな手を尽くして、動かさないといけない。

 

 

だから、実際に使うかどうかは別として

腹黒い意図で使わないのは当然として

人を動かせる文章の書き方を知っておくのは

悪くないと思うのです。

 

 

 

という前置きがありつつ、

「理解してから理解される」

という話。

 

 

 

「この人はわたしの話を全然聞いてない」

と思ったことってありませんか?

 

たとえば、ぼくはこんなことがありました。

 

 

ちょっと腰のあたりに不安があって、

人間ドックへ行った時。

 

問診の時に、ぼくは腰の不安を訴えました。

 

腰痛が、何か大病のサインである場合があることを

父の早すぎる死から痛感していたからです。

 

 

だから、

 

「腰のあたりに違和感があって、

 何か内臓が悪くないかと不安なんです」

 

と相談しました。

 

 

するとお医者さんは、

あきらかに面倒くさそうな顔をして

 

「腰が痛いんなら整骨院とか行ったらどうですか?」

 

と言いました。

 

 

そうしてぼくは失望して、クリニックを後にしました。

 

アンケート評価に5点満点をつけて。

(ぼくはそういうアンケートはすべて最高点をつけることにしています)

 

 

 

食い違い。

 

 

よくあるケースなんでしょう。

 

お医者さんの知見は、きっと正しい。

 

腰がいたいんなら整骨院に行けばいい。

 

 

しかしぼくは、少しの可能性を疑って、

その不安を解消したくて人間ドックを受けました。

 

でもそのたった1つの不安は解消されなかった。

 

 

そしてぼくは、大きな気づきを得ました。

 

「ひょっとしてこれと同じことを、

 文章でもしてしまっていないだろうか?」

 

 

 

たとえば、誰かが検索して、

あなたの書いた文章にたどり着いたとします。

 

たとえば「腰痛 病気」とかだとします。

 

 

検索した人は、腰痛の裏に、何か病気が隠れていないか

知りたくてそのキーワードを打ち込みました。

 

そうしてたどりついた先にある文章が、

 

「腰痛には◯◯という商品が最高です!

 ◯◯を使って、病気を治しましょう!」

 

というような一方的な文章だったら・・・?

 

 

 

「あぁこの人は私のことを何もわかっちゃいない」

と失望して、帰っていくことになります。

 

 

 

 

「人を動かそう」と思ったときについ、

多くの人がやってしまうのが

自分の主張を声高に叫び立てることです。

 

 

◯◯が最高ですよ!

悩んでるなら◯◯してください!

◯◯ですべて解決です!

 

 

こんなに直接的ではないにしろ、

近いことをしてしまっていたとしたら、

読んでくれる人を動かすことはできません。

 

むしろ、「こいつの話なんか絶対に聞くものか」

と、態度を硬化させてしまうことすらあるでしょう。

(これをブーメラン効果といいます)

 

 

 

だから・・・

 

もし、人を動かしたいなら、

自分の主張を声高に言い立てるのではなく、

 

「まず、相手を理解する」

 

ことが、大切なのだと思います。

 

 

特に文章では、

相手を理解していることを、

ことばで示す必要があります。

 

 

具体的には、相手が持つであろう悩みについて

自分も臨場感を持って、文章にするということです。

 

 

たとえば・・・

 

ほんの一例ですが、こんなふうに。

 

 

◯◯で悩んでいませんか。

こんなふうに辛いことがありますよね。

私も経験があります。

こんなふうに辛くて、それが元でこんなひどい目にあって、

すごく解決したいと悩み続けました。

 

 

などなど。

 

こんなに安っぽいストーリーにする必要はなくて、

ご自身が本当に実感することを書いてくださるのがベストですが。

 

 

 

こんなふうに、相手を理解する。

 

相手の痛みを共有する。

 

相手の現実に、臨場感を持つ。

 

 

まずはそこから、人を動かす一歩が始まるのだと思います。

 

 

 

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ブログを書いている人なら

 

「誰か読んでるのかな?」

 

って思ったことはあると思う。

 

 

しゃべるときはたいてい、

目の前に相手がいる。

 

電話なら電話の向こうには

誰か人間がいることが実感できる。

 

 

でも、書くときって一人だし、

相手が見えない。

 

だから、誰かに読まれてるのかなとか

誰かの役に立ってるのか、

書く意味あるのかとか、

いろんな想いが浮かんでくると思う。

 

 

でも、きっと誰かは読んでる。

 

たとえ「いいね」がつかなくても

アクセス数が今日はゼロでも

それでもきっと、いつの日か、

あなたのブログを読む人がいる。

 

なんのきっかけか、検索したのか

誰かのブログから飛んできたのかは

わからないけど、

 

きっと、

 

ある日、あなたのブログを訪れ、

書いてある文章を読んで、

想いを感じ取り、受け止め、

そうして少しだけ人生を

上方修正して、戻っていくんだと思う。

 

 

だから、まだ見ぬ誰かを想って、

ただ文章をつづってほしい。

 

 

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美術館前の通りで、

ドラマの撮影らしきものをしているのが見えた。

 

すらっとした女性が数人。

 

「撮影禁止」のボードを持つお兄さん。

 

ぼくが好きな女優さんの一人もいて、

すてきだなあ、やっぱり輝いてるよなあ、

と、通り過ぎながらしばしうっとり。

 

 

その人はとても輝いて見えたし、

うつくしかった。

 

でも、それと同じように、

みんなうつくしく輝く瞬間があるんじゃないかなあ

とふと思う。

 

 

女優じゃなくても、美人じゃなくても、

だれでもきっとうつくしく見えるときがある。

 

それは簡単に言ってしまえば、

いきいきとした表情だったり。

 

立ち姿だったり。

 

声だったりするんだけど。

 

あるいは、書かれた文章なんかもそうかもしれない。

 

目には見えなくても、

その人がすごく輝いている瞬間て、あると思う。

 

 

ただ、いつの間にか、目の前のことに精一杯で

輝きがなりをひそめてしまったり、ということって、ある。

 

日常に埋もれてしまって、

子どものころの憧れとはほど遠い毎日を送っている自分

ためいきをついたり。

 

 

そういう人が、また最高に輝けるような

心から瞬間を楽しめるような

そんなきっかけをつくっていけたらなと思う。

 

だってひとりひとりみんな、女優さんと同じように

うつくしいものを持ってるんだから。

 

 

そんな、

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どういうわけか、朝から無性にホットドッグが食べたい。

 

ミルクを入れたコーヒーと、

マスタードがたっぷりかかったホットドッグ。

 

それしか頭に浮かばない。

 

そうだ近くのコンビニにあったなと思い出し、

買いに行くときに考える。

 

「どうしてこんなに今朝は

 ホットドッグが食べたいのだろう?」

 

そうして中空を見てしばし考えると、

あぁそういうことかと合点がいく。

 

なんのことはない、

昨日の夜LINEでやり取りしていた友人が

ホットドッグを食べたという写真を

送ってきたからだ。

 

 

人って単純なもので、

それだけのきっかけで、動かされてしまったりする。

 

ホットドッグの写真を見た→無性に食べたくなる

 

カナダを旅行中だというブログを見た→カナダに行きたくなる

 

そんな具合に。

 

 

こうしてブログを書くことが、

人に知らず知らず影響を与えているのかもしれない、

ということを、ときどき思い出す。

 

それはきっと良い影響も与えるだろうし、

その逆もあるのかもしれない。

 

でもいずれにしても、読んだ何百人に一人かの行動を

思考を、変えている可能性があるのだ。

 

 

だからこそ、こうしてブログを書く人たちには

そういうチカラがあるのだということを

心に留めておいてほしいなと思う。

 

あなたの書いたナニゲナイ文章が、

誰かの最悪な一日にほんの少し

救いを与えているかもしれない。

 

あなたが「お気に入り」と書いた何かが

誰かの最高の一日をつくっているかもしれない。

 

 

そんな、ちょっとした自信と誇りを持って

文章を書いていく人が増えたらなとぼくは思う。

 

 

そんな文章を色々と書きながら

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ぼくはいろんな人に

「ブログ始めよう!」

と勧めたりします。


もちろん、無理強いはしないし、
心からやりたいと思った人だけ、
書けばいい話。

 


でも、一つ忘れてほしくないのは、

「ただブログを書くだけで
 誰かの助けになっている」

という事実なのです。

 


たとえばあなたが今日、
仕事で失敗して憂鬱になったことを
書いたとするでしょう?

 

それは、一見単なる日記であって、
気持ちのはけ口とか
場合によっては愚痴に見えるかもしれない。

 


でも、もしかしたら、
あなたと同じように仕事で失敗して
落ち込んでいる誰かが読んだら、
なにかの慰めになるかもしれない。

 

あなたのブログを読むことで、
ほっとし、癒され、
また頑張ろうっていう気持ちになるかもしれません。

 


だから、決して自分だけの視点で見て
判断していてはもったいない。

 

あなた自身では価値がないように見えても
顔も名前も知らない
ほかの誰かの助けになっているかもしれないのです。

 

 

もし・・・

 

誰にも言わずどこにも書かず
頭の中だけで考えて完結しまっていては、
あなたの経験や考えはそこで霧散してしまう。

 

誰に影響を与えることもありません。

 


でも。

 

一旦、それが文章というかたちで
インターネット上にあらわれたら
それは半永久的に、誰かの目に触れる可能性が
残される。

 

そうして、あなたの知らないところで、
誰かを癒やしたり、解放したり、
前向きな一歩を踏み出す後押しになっているかもしれないのです。

 

 

あなたの声を必要としている人、
ひとりひとりに声をかけていくのは難しい。

 

物理的に不可能と言ってもいいでしょう。

 


でも、ブログならそれがいくらでも可能。

 

インターネット上に置いておけば、
いつか、誰かに届きます。

 

たとえ今すぐ見られなくても、
もしかしたら3年後、
誰かの決定的なピンチを救うことになるかもしれない。

 

だから、ブログを書く人はそれだけで
素晴らしいとぼくは思うのです。

 

 

 

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いやぁ、寒くなってきましたね。

 

もしかして冬がまた来るんでしょうか?

 

 

毎年毎年繰り返していることなのに、
夏の間はすっかり忘れてしまう。

 

暑い時期が過ぎたらまた寒い季節が来るんだよ
ということを実感できないでいるうちに、
いつの間にか厚い上着が必要な気温になっています

 


若いときには、自分が歳を取るなんて
みじんも信じていなかったですね。

 

小学生のときには、自分がハタチになった姿なんか
想像できなかったし、
ハタチのときには、まさか自分が30になるなんて
思いもしていなかった。

 

いや、知識で知っていたとはしても。

ただ「知っている」のと、
それを深く「実感している」ことの間には、
まさしく天と地の隔たりがあります。

 


こうして毎年経験しているはずの、
夏の終焉、冬の到来でさえ、
心底「実感」するのは、気温の低下がやってきてのみ。

 

くしゃみを何回かかましてあわてて鼻をかみながら、
「あぁ、本当に冬はやってきてしまったんだ」
と、やっと心構えが始まるといった塩梅です。

 


「人は健康な時に、
 そうじゃない自分を想像するのが、
 なんて苦手なんだろう。」

 

こんな広告コピーがありました。

保険の広告だったかな。


これが今、頭のなかでは、

「人はあたたかい季節に、
 寒い季節を想像するのが、
 なんて苦手なんだろう。」

と置き換わって、すーすーする首元の寒気とともに
しっかり心にしみています。

 


この調子だと、きっと未来に何か備えるべきことを
うすうす感づいていながら、
実際にそれがやってくるときまで
ただぼけーっと過ごしてしまうのかもしれませんね。

 

そうならないようにと願っていても、
それがなかなか難しい。

 


だからせめて、今日一日を、
悔いのないように過ごしたいものですね。

 

 

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・・・とりあえず鼻をかもう。

今日からブログを始めようと思うのだけど、

こういうときに出てくる悩みが

 

「さて、何書こう?」

 

ということである。

 

 

 

あのことを書こうか、

それともこのことを書こうか、

いや、書くことがさっぱり出てこない・・・。

 

 

とかとか。

 

 

悩みがちの方もいるかと思う。

 

 

 

そういうときの解決策はとても簡単で。

 

 

 

今こうしてぼくが書いてきたように、

そのまま思っていることを書けばいいのである。

 

 

 

「何書こうかな」と思ったなら

そのまま「何書こうかな」と書けばいいし

 

「書くことがない」と思ったなら

そのまま「書くことがない」と書けばいい。

 

 

 

そう書いているうちに、

脳みそのコンディションが整ってくる。

 

いわゆる「作業興奮」というやつで、

 

やる気が出ないときでも

とりあえずやり始めてみたら、

気分がノッてくるというアレである。

 

 

 

だから、あなたは何か文章を

書く必要に迫られていたとき、

あるいは締め切りに追われているとき、

 

仮に頭が真っ白になっていたとしても

とりあえず

 

「何を書いていいかわからないから

 とりあえずそのまま書き始めている」

 

ということを素直に書けばいい。

 

 

 

もしそれが気に食わなかったら

後で消せばいいだけの話。

 

だからとりあえずは、

書き始めることが大事。

 

 

 

なんでもそうだよね。

 

とりあえず0を1にしないと

何も始まらない。

 

いくら頭で完璧なプランを練ったところで

実際に動き出さないと

現実の世界は変わらない。

 

 

 

だからこうして、

ぼくが今はじめたように、

あなたも今、はじめてみてはいかがだろうか?

 

 

そうだ、とりあえずの書き出しは

 

「あるブログにこんなことが書いてあったから

 私も何を書いていいかわらないけど書いてみた」

 

という感じで、

書き始めてみてくれたらとてもいい感じ。

 

 

 

じゃあ、そういうことで今日はまず

 

書くことがなかったら

とりあえず

 

「書くことがない」ということを書く

 

ことから始めてみてはいかがですか?

という話。

 

 

 

ここではお話しできない

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