ミラノ第一日目
前回の話はこちら↓
http://ameblo.jp/macorina/entry-10974660667.html
----------------------------------------------------
寝床が変わっても問題ない私は、到着してほっとしたせいか
いつも以上にぐっすりと眠れた。
朝起きて、いつもと違う雰囲気にようやく
イタリアに来たことを再確認する。
キッチンにある大きな冷蔵庫には、
昨夜大家さんが持ってきてくれた水のペットボトルだけが入れてあった。
到着の翌日が土曜日だったので、とりあえず土日分の食料を日本から持参した私は
成田空港で買ったお稲荷さんを頬張った後、
まずは行っておきたい所へ向かうためアパートを出発する。
ミラノの8月は本当に静かだ。
当時150万いた市民のほとんどがバカンスに出かけてしまうため、
3分の1の50万人しかいないということを後で知った。
地下鉄に乗っても人はごくわずか。
乗車中に、ふとつり革のポスターが目に入る。
『8月6日から26日の間、工事によりM1は不通となります。』
なんてことだ。
明後日から地下鉄に乗れない・・・。
日本の鉄道で、夜間から翌午前中まで工事とかいうのは知っているけれど、
こんな長い期間使えないなんて・・・ありえない。
イヤ、日本で有り得ないことが、此処では起こる。
まぎれもなく此処はミラノであり、イタリアなのである。
そして、向かった先はミラノ中央警察署、クエストゥーラ。
イタリアに住む外国人の誰もが、一番先に出合う受難の場所。
外国人は、イタリアへ到着後8日以内に赴いて、
滞在許可書を申請しなくてはならない。
早朝6時に行っても整理券が貰えるか分からないと聞いていたので、
11時に訪れても、おそらく何もできないだろうということは分かっていた。
しかも土曜日だったので、場所の確認だけしておこうと思っていたのである。
でも、なぜかクエストゥーラの前には凄い人の列があった。
本当の出陣は月曜と決めていた私は、少し戸惑いつつも
扉の前にいる警察官に聞いてみる。
「あの・・・滞在許可書の申請はどうやって・・・」
今日何度目のセリフを言わせるんだという表情で
「月・火・水・土曜の朝にここに来て」
次に私が何か言おうとするのを遮りながら、
警察官は同僚と話はじめた。
そこに絡んでいける自信は、その時の私にはまだなかった。
とりあえず、月曜朝に地下鉄ではなくここにたどり着ける手段を考えなくては・・・。
こまどり通り10番地
前回の話はこちら↓
http://ameblo.jp/macorina/entry-10971010799.html
到着してすぐに大金を貰った私は、カドルナ駅から新居へとタクシーで向かった。
ドゥオモから西へ地下鉄で15分のところに見つけたアパート。
留学を始める3か月前の5月に、家探しに来た。
日本に一時帰国する友人のアパートを貸してもらい、
毎日朝は語学学校に通い、午後になるとレッスンか不動産屋を回った。
ミラノには、音楽を勉強する留学生が少なくない。
その多くの人達は、日本の音大の先輩の紹介や伝手でアパートを引き継いでいく。
中には、留学生に部屋を斡旋する仕事をしている日本人や、
日本の学生専用のアパートがあったり、
わざわざ自分で不動産を訪ね歩く音楽の学生のほうが稀かもしれない。
私には伝手もなかったし、ミラノに行ってまで
日本人ばかりと付き合う生活はしたくなかったから、
住みたい地区の不動産屋を一軒ずつあたってみた。
とはいえ、やはりそんなに簡単には見つかるはずがなく。
悩み始めたところに長年ミラノに住むMさんが、
「在ミラノ日本人新聞」での貸しアパートを紹介してくれた。
地下鉄の駅から徒歩1分。
専用庭付きのアパート最上階の1LDKで、
留学生にはもったいないくらいの物件だ。
予算も少しオーバーしている。
だけど、部屋を見せてもらったら、迷わずここだと思った。
その時住んでる人は7月末で帰国するという。
なんというタイミング。
よく分からないけれど、自分の直感は外れることがない。
しかも。
大家である日本人のNさんは、同じ地元の出身だった。
話をするうちに、私の曽祖父が戦後まで開業していた病院の患者さんだったことも
判明して。
偶然は、時に震えてしまうこともある。
こまどり通り 10番地。
これが私の留学時代の住処。
到着した時はすでに21時をまわっていた。
家の前で大家さんが待っていてくれて、中へと案内してくれた。
鍵を貰うと、その重さが「始まったこと」を感じさせてくれる。
ベランダに出ると、はるか遠くにドゥオモの聖母像マドンニーナが
キラキラ輝いているのが見えた。
2001年8月3日
10年前の今日、私はミラノ・マルペンサ空港へ到着した。
たしか前の日から雨が降りやんだとかで、湿気の多い夕方に
カドルナ駅での待ち人に会うこともあり、かなり億劫な気分のなか
マルペンサ・エクスプレスに乗り込んだ。
終点カドルナで電車を降り、
前の年にイタリアで購入した赤いサムソナイトを引きずりながら
面識のない待ち人を探していると、それらしき人が近づいてきた。
「君がマサコ・・・?」
申し訳ないことに、10年たった今その人の名前さえ忘れてしまったのだが、
当時私に奨学金を提供してくれることになった財団が指定した私のカウンセラー。
奨学生ひとりひとりに1名つくことになっていて、
財団のもととなる組織が世界中の富裕層で構成されているから
今までの留学生の話では、カウンセラーによってかなり大切にしてくれるらしかった。
ある奨学生は、カウンセラーが決まった時点で
住む場所さえ決めてくれたという。
ただ、それは人によるらしく、
私は運の良くないほうだった。
なんとなく、出発前のメールのやりとりでそんな気配があった。
それでも駅まで迎えに来てくれたのは、
歓迎されたというよりは・・・ただ次の日から長期のバカンスに出るから
取り急ぎ財団からの書類を渡しておきたかっただけのことで。
初対面のカウンセラーは、挨拶もそこそこに
駅の中にあるピッツェリアを指して、「あそこで話をしよう」
イタリア人というと、陽気なイメージがあるが、
それは場所にもよるし、人にもよる。
すくなくとも、私の住んでいた町ミラノに陽気さはほとんど感じられない。
私のカウンセラーも、およそ親しみとはかけ離れた人で、
この立場も仕方なく引き受けた、という雰囲気が初対面の私でも気が付いていた。
12時間の長いフライトで、そうでなくても疲れているのに、
そこでファーストフード店のピザを食べる気にもならない。
コカコーラだけ注文して、座るやいなやカウンセラーの出した書類は
なんと半年分の奨学金の小切手だった。
100万円以上の大金を、治安の悪い夜のファーストフードで、
しかも到着したばかりの大荷物をかかえてヘトヘトな状態で貰った私・・・。
「お金は早めに銀行へいれたほうがいいよ。
外国人が口座をつくるのは大変だけど、それくらい(!)誰か手伝ってくれる人いるよね??
さてと。私は明日からバカンスだからそろそろ帰らなくちゃいけないけど、
君がおしえてくれた入居するアパートは、ここから地下鉄で一本だし、
気を付けて行くんだよ。」
そう言うと、カウンセラーは帰っていってしまった。
10年前の今日。
留学初日のことは、決して決して忘れないだろう・・・。