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クエストゥーラ その1

2001年~2006年イタリア留学の話


前回の話はこちら↓

http://ameblo.jp/macorina/entry-10977862506.html


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ミラノ市内の公共の交通手段は、地下鉄とバス。

地下鉄も3線しかないので、バスが殆どの地域を網羅している。


バスを乗りこなせるようになるのが、ミラノの暮らしには必須だ。



ミラノに着いた途端、自宅付近を走るLineaRossa(赤線)が

工事に入ってしまったので、否が応うにもバスが唯一の足となった。



こまどり通りのアパートからすぐ近くを走る58番のバスに乗り、

途中で61番に乗り換える。

そうすると、クエストゥーラの近くで降りることができる。



クエストゥーラはミラノの各地区にあるものの、

当時はViaFatebenefratelliにある中央署で

外国人の滞在許可書の申請をまとめて受け付けていた。

(これも毎年制度が変わってくるので、そのたびに振り回される)



直訳すると『兄弟仲良く通り』という場所にあるにもかかわらず、

残念ながら、クエストゥーラの人々は外国人に不親切だ。



月曜の朝、私は6時頃着いたにもかかわらず、

すでに外国人の列にはかなりの長さがあった。

たしか開館するのが8時。

玄関の所で、ひとりひとりパスポートのチェックを受けながら中へ入れてもらう。

そして9時から開く窓口の前に並んで待つのである。



あの場所へ行くと、自分が外国人であり、東洋人であることを認識する。



窓口は、EU国籍の人、アメリカや日本など8か国ほどに当てはまる人、

(この対象国の意味は分かる気もするが・・・あえてここでは書かないことにしておく)

それと上記以外の国籍を持つ人、これら3タイプに分かれていた。



EU国籍の窓口には殆ど並ぶ人がいない。

たまに人が現れても、手続きが簡単なようで、すぐに終わってしまう。

誰も来ない時は隣の窓口に並ぶ人を受け付ければいいのに、

そんなことをまず彼らが行うはずがない。

窓口の係員は手持ち無沙汰になり、隣の人と雑談が始まる。

それに応じる隣の係員は、話しながら仕事をしているので、明らかに対応が遅れる。

人の列は長くなるばかり・・・。



これが、イタリアっていう所なのだ。




イタリアリラ

2001年~2006年イタリア留学の話


前回の話はこちら↓

http://ameblo.jp/macorina/entry-10977247856.html


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ここまで書いてきて感じたこと。



10年前のことなのに、様々な記憶がリアルに蘇ってくる。

その時感じたこと、思ったこと・・・私には鮮明すぎて痛いくらいだ。



とくにあの8月は、私にとって大きな一歩前進だった。

時には尻込みしたり、時には前のめりになる自分がいて、

それでも必死で何かを掴もうとしたからこそ、今があるんだと思う。



それまでも、イタリアには長くて3か月滞在したこともあったけれど、

やはり表面的なことしか知らなかった気がする。

イタリア、そしてヨーロッパの本質が見えてきたのは、

そして私の音楽の要素が変化してきたのは、

この留学の終わり頃だったかもしれない。


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イタリアでの生活が始まった当時は、ユーロではなく、まだイタリアリラだった。

憶えている方もいるかと思うが、やたらとゼロの多い通貨だ。



初日に電話とテレビを購入した時、合計で450,000リラ、

日本円で3万円弱だったのではないだろうか。



日本にいるときは意味が分からなかった3ケタでのコンマも、

向こうの数の数え方を勉強していくと分かることになる。



2002年1月にユーロが流通し始めたから

8月に到着した私としては半年も満たないご縁だったけれど、

翌年の同じ時期に留学するのに比べたら、確実にラッキーだった。



というのも、ユーロになってからのイタリアは、紛れもなく物価が上がったのだ。

当初はユーロに変わることに伴う物価の高騰はない、とイタリア政府は言っていたが、

切り上げなどしつつ、3か月後には価格が変化していて

駐在員の奥様であるM子さんとも一緒に嘆いていたのだが、

周りのイタリア人がそれに気が付きはじめたのは、その数か月後であった・・・。



音楽院の授業料も、プライベートレッスン代も、変わっていった。



家賃は契約したのがリラだったし、数年後もそのリラの値段を換算していたから

その後の不動産の高騰を傍目にホッとしたものだ。

ちなみに、私が借りていたアパートは、私の出た2005年次の人が借りる時に

日本円で5万円の違いがあって、もちろんその値段では到底借りれなかった。



一番の恩恵を受けたのは、奨学金。

アメリカにある財団からの支給で、ドルをその時のレートでユーロに換算した額になるのだが、

なんと翌年の奨学生は、6か月の支給がで2,000ユーロ近い減額になってしまった。



留学とは、好機を掴むことも大事なひとつなのだ。




留学初日はお寿司

2001年~2006年イタリア留学の話


前回の話はこちら↓

http://ameblo.jp/macorina/entry-10975598556.html


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クエストゥーラから戻ったあと、

午後になってかねてからの知り合いMさんが新居に来てくれた。



Mさんは2000年に一か月イタリア滞在した時に

語学学校で知り合った方で、

駐在員の奥様である彼女には、それからも大変お世話になる。



都内ご出身で、とても品がありながら

気さくでいつでも親身になってくれる人柄に、色々な場面で助けられたし、

奇遇にも私より10歳年上で同じ誕生日で、

お互い一人っ子だったり、共通点が多かったこともあり、

私が留学中に心を許せた、数少ない日本人である。



Mさんにお願いして、郊外にある家電量販店に車をだしてもらった。

たしか、Mさんとご主人もその翌日からバカンスに出られてしまうので

その前の日に手伝ってくれたのだった。



買い物のお目当ては、FAXつき電話とテレビ。



イタリアの賃貸アパートには、家具などがついていることが多い。

不動産の貼り紙をみると、『家具付き』か『家具なし』かが記載されている。

家具付きでも、物件によってどこまでついているかは様々であるが、

とりあえず、今回の新居で急ぎ必要だったのが、先の2点であった。



そんなに高いものを揃える必要はない。

留学期間の数年間使用できればいいわけで、

テレビも今ではもうお目にかかれないブラウン管の

一応VTRが見られる、といったセール品だった。



買い物から帰ってくると、すでに夕飯の時間だったこともあり、

地下鉄の隣駅にある『スシヒロ』で、Mさんのご主人と合流して

ご馳走していただく。



スシヒロは日本人ご夫婦が経営されているこじんまりしたお店で

ミラノの他のお寿司屋に比べて、クオリティも良く、価格も良心的だったことから、

その後、お寿司が恋しくなると出かけたものだ。



Mさんご夫婦に家まで送ってもらい、アパートに戻ると

かなり遅い時間になっていた。

そこから、購入してきた電話とテレビの設営が始まる。



説明書は、もちろんイタリア語。

電話はそれでもらくに設置できたものの、

テレビはチャンネル設定など、やらなくてはいけない部分が沢山あり、

辞書を片手に半泣きの状態で、なんとか完了した。



イタリアのTVは、国営RAI2チャンネル、

MediasetやMTVといったチャンネルが数多くある。



すでにイタリアへは、長くて3か月くらいの短期滞在を繰り返していたから

だいたいのチャンネルは分かっていたので、

記憶をたどりながらのチャンネル設定だった。



別に自分の好きなように設定すればいいのだけれど、

私がよく見ていたCANALE5とRete4を、我が家では4と5で

逆に入れてしまったまま、数年間を送ることになる。