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写真&まち歩き大好きmacomocoのぶらり気ままにフォトエッセイ

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お洒落が苦手だ。

個人経営のカフェも、異国情緒漂う町並みも、食べ方の分からないパンも、読み方の分からないブランドも、必要以上に大きなサングラスも、裸足のまま履く革靴も、世の中にはお洒落があふれていて、それに出会う度に過度のストレスに晒される。

知らないと恥ずかしい、バカにされる、仲間はずれ、いつからかそんな強迫観念のもと流行を盲目に追いかける世の中の価値観ができあがってしまったようにも思う。

常に東京の情報に晒されてきた「埼玉」という土地柄によるものだろうか。
お洒落を敢えて遠ざける、偏屈な人間性ができ上がってしまったオバケ

数年ぶりに仕事で「横浜」駅に降り立った時も、その町並みのなかで思わずえづいてしまいそうなほどのお洒落に襲われた。

「横浜ポートサイド」と呼ばれるその場所は、「横浜」駅から徒歩10分ほどの距離にある再開発エリアのこと。

何がどう結実してアートとデザインをコンセプトとした街をつくることになったのか、集合住宅、高層マンション、アートギャラリー、公園、商業施設とそのどれをとっても「わぁ、お洒落ね」と言わせてしまうほど前衛的かつスタイリッシュな町並みが広がっている。

道を歩く人も常に蛍光色を身にまといたくなるほどの近未来を垣間見ているようでもある。
ロボットが歩いていても決して不思議に感じないくらいすべてに理由があって無駄も無い。

計算され尽くした町というものがどれほど無機質で感性を鈍化させるかということに誰も疑問を投げかけないのだろうか。

「この景色はここから見てください」と言わんばかりの観覧台から写真を一枚。
100人が撮ったら90人くらいは同じ写真を仕上げてしまいそうなくらいの違和感。残りの10人は7人が手ぶれで2人が変わり者、残り1人に見えない景色が見えるかどうかくらいの可能性しか残されていない。

行き止まりの道なんて決して無く、道草ができるような小径も無い。

隙も余裕も無駄も遊びも無い場所で、人はいったい何を感じとるのだろう。
シャレにならないほどお洒落。

来週は実際にそこで生活をする人にインタビュー。
裸足で革靴を履いて行くべきかどうか、考えるだけで頭とお腹がシクシク痛む・・・
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いつも流行から2~3年遅れて生活をしている。

写真や文章の仕事ではそれこそ、最前線の2歩、3歩後ろくらいをかけ足で追いかけているのだが、普段の生活ともなると流行から2~3年遅れているのがいつものことだ。

東京スカイツリーにはまだ登ったことは無いし、フェイスブックもいまやろうかどうか考えはじめたところ。

この「夏目友人帳」を無料配信の動画サイトで見つけたときも、やはりテレビでの放送を終えてからだいぶ年月が過ぎ去っていたようだお茶

平板な言葉では表現できないくらい透明感があって、そっとココロの琴線に触れるくらいの繊細な感性も心地良くて、毎週一本、近くのレンタルショップに通うようなおかしな習慣も身についてしまったCD

まだはっきりと何がこんなにも響いているのか分からないけれど、いったいどんな人の共感を得ているのかも分からないけれど、そこに溢れるやさしさに触れることで、見失いかけている何かに気がつくことがきるかも知れない。

続く・・・
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30歳を超えたあたりから、「いつか」を思い出しては癒され慰められ、次の一歩を踏み出す原動力に変えていた。

仕事もプライベートもそれほど充実していないというわけではないのだけれど、そのどれもが一筋縄ではいかない難しさに直面するようになったからだろうか。

ひたすら走り続けたクラブ活動やあの子と一緒に歩いた帰り道、どんぶり飯いっぱいのご飯や真っ黒く光り輝く夏の肌など、少し恥ずかしい思い出もあるけれど、そのどれもが背一杯でまっすぐで、断片的なシーンを思い出すたびに心が癒され慰められ、落ち着くのはなぜだろう。

中学生の頃に出会ったあのバンドも、いまでも耳にすると心がわくわくと踊りはじめる。
あれから20年も経ったのに、その「いつか」は輝いたまま。

「記憶」から紡ぎだすチカラのカケラ。

よっし、もうちょっとがんばれるグッド!