◎男同志の相合傘で
島田馨也(明治42年~昭和53年)の馨也は「きんや」と読ませる。漢和辞典を引くと「馨」は楽器の一種で読み方は「けい」で「きん」は出てこない。熊本市の生まれで18歳で上京、西條八十に弟子入りして作詞家活動を始める。サトウハチローとは兄弟弟子になる。テイチクレコードで作曲家の大久保徳二郎、歌手のディックミネと組んでヒットを連発した。
「或る雨の午後」(昭和13年・大久保徳二郎作曲・ディックミネ歌)〽雨が降ってた しとしとと 或る日の午後のことだった
戦前にしては洒落た感じの歌で、若い恋人同士が相合傘で道を行く。ただそれだけで二人は楽しく幸せだ。
「上海ブルース」(14年・同)〽涙ぐんでる 上海の 夢の四馬路の 街の灯 リラの花散る今宵は 君を想い出す 何にも言わずに別れたね 君と僕 ガーデンブリッジ 誰と見る 青い月
「夜霧のブルース」(22年・同)〽青い夜霧に 灯影が紅い どうせ俺らは ひとりもの 夢の四馬路か ホンキュの街か あゝ波の音にも 血が騒ぐ
この2曲は戦前、戦後の違いはあるが同じ上海の歌。アヘン戦争のあと欧米列強や日本は次々と中国に進出、上海には中国の統治の及ばない各国の租界(居留地)がつくられた。このため上海は各国の策謀が渦巻く街となり繁栄の裏で犯罪も多く「魔都」といわれた。日本人にとっても「シャンハイ」は独特のエキゾチシズムを感じる街であり、この2曲はそうした感覚が反映されている。「四馬路(すまろ)」は上海の繁華街、「ホンキュ(虹口)」は日本の租界があった場所で、ホンキュに渡る橋が「ガーデンブリッジ」だ。十年前に上海を訪れた時に、これらの場所を回ってみたが、もう歌のようなムードは感じられず多少がっかりした覚えがある。
「夜霧のブルース」の3番の〽男同志の相合傘で あゝあらし呼ぶよな夜が更ける…は大久保とのコンビを思い起こさせていい。ちなみに大久保の息子さんは公明党書記長だった大久保直彦元衆院議員だ。
「裏町人生」(12年・阿部武雄・上原敏、結城道子)〽暗い浮世の この裏町を 覗く冷たい こぼれ陽を なまじかけるな 薄情け
島田の最初のヒット曲。なんとなくいい歌で愛唱するも多かったが、今はもう。
「白虎隊」(13年・古賀政男・藤山一郎)〽紅顔可憐の 少年が 死をもて護る この砦…濡らす白刃の 白虎隊
会津では知らぬ人はいない白虎隊の歌。途中に入る「南鶴ヶ城を望めば 砲煙あがる…」という詩吟が有名だ。
このほか島田はオペレッタ時代劇として評価の高い「鴛鴦歌合戦」(14年・マキノ正博監督)の構成と作詞を担当している。この映画は日本初のミュージカル映画ともいうべき作品で歌手のディックミネはもちろんのこと、なんと片岡千恵蔵や志村喬も劇中で歌っている。特に志村は上手でプロの誘いがかかったほど。後に黒澤明監督の映画「生きる」(27年)の中で「ゴンドラの唄」を歌って美声を披露している。
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ユミさんコメントありがとう。(黒頭巾)