東日本大震災半年後の被災地の状況を見て~その2~ | 『もの想い』macoto

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女川行きの代行バスには若い女性と年配の女性

 

 

 

それと僕の3人しか乗っておらず、

 

 

ほぼ満員の松島海岸から矢本までの代行バスとは

 

 

まったく車内の空気も違い長閑な気がした。

 

 

 

 

しかし、そう思ったのも束の間で

 

 

 

 

バスが進む度に景色は唖然とするものに変わった。

 

 

石巻駅を出発するとすぐに割れた窓ガラス

 

 

浸水した跡、そして徐々に歩く人が見えなくなり

 

 

やがて辺り一面が焼け野原のような広大な場所へ出た。

 

 


『もの想い』 macoto-女川1

 

 


『もの想い』 macoto-女川2

 

 

 

すべてが津波で流されて家の土台だけが残されている。

 

 

 

そしてショベルやクレーンのような作業車と幾名かの作業員

 

 

ここにたくさんの人が住んでいたのが信じられない程の破壊

 

 

バスの中から見えた景色は目を逸らしたくても逸らせず

 

 

言葉にしたくてもどんな言葉で表現していいのか判らなかった。

 

 

 

 

やがてバスはその焼け野原のような一帯を縫うように走り抜け

 

 

 

 

高台へと登り詰めると女川の避難所近くで止まった。

 

 

しばらく呆然としていたが、女性二人は先に降り

 

 

残ったバスの運転手さんと少し話してからバスを降りると

 

 

僕はポツンと一人、その場に取り残されていた。

 

 

 

 

避難所には台湾からの支援の車が来ていたり

 

 

 

 

たくさんの車が止めてあったりしてほとんどの人が

 

 

ここまでバスで来ることもないから乗客も少なかったと気付き

 

 

そして山の中腹あたりに一人残されても移動手段もないと気付いた。

 

 

仕方がないので少し戻ろうと思い、

 

 

バス停の時刻表を調べると次にバスが来るのは14時!?

 

 

現在時刻は8時50分…約5時間はバスが来ない。

 

 

ましてやタクシーなど通っている訳もなく

 

 

しばらく避難所周辺を歩いてみても勿論なにもないので

 

 

あの焼け野原のような女川の港町だった所へ行こうと決めた。

 

 

 

 

「そうか、だからあの駅員さんはあんなに急かしたんだなぁ…」

 

 

 

 

思わず誰もいないのに独り言を呟く。

 

 

朝と夕方の1日6本くらいしか女川まで代行バスは出ていない。

 

 

……ということは避難所の人たちは半年間ずっと

 

 

身動きも取れないままで暮らしているということになる。

 

 

女川はほぼ孤立したままが続いているということだ。

 

 

きっと他の被災地でも同じように不自由なままなのだろう。

 

 

 

 

山の中腹からさっき通った焼け野原のような女川の港町へと

 

 

 

 

下って歩き、バスの中からでは分からなかった惨状を

 

 

目の当たりにすると地震の前はここで普通に暮らしてた名残が

 

 

あちらこちらに散らばって落ちていて心が締めつけられた。

 

 


『もの想い』 macoto-女川3

 

 

この帽子の持ち主の小学生は無事だったのだろうか

 

 


『もの想い』 macoto-女川4

 


『もの想い』 macoto-女川5

流されずに耐え抜いたこの2本の桜たちは

 

何年後かにまた花を咲かせるのだろうか

 

 


『もの想い』 macoto-女川6

 

 

ボランティアの皆様ありがとう

 

 

そう書かれたヘルメットをかぶるお地蔵様に

 

 

お賽銭を投じ手を合わせて祈らせて頂きました。

 

 


『もの想い』 macoto-女川7

 

そしてポツンと立っている大木は

 

葉っぱも枝も何もかも捥がれても

 

 

それでも力強くそこに佇んでいました。

 

 


『もの想い』 macoto-女川8

 

土台ごと津波に押されて倒れた建物

 

大木との違いはなんだったのだろう。

 

 

きっと大地に根を張り、本当に大切なものだけを

 

 

守ろうとしたからなのか、それとも運なのか。

 

 

様々な想いが頭と心のなかに巡り

 

 

正直、歩いてて精神的に辛かった。

 

 

 

 

強い日差しが照りつけるなか

 

 

 

 

熱中症にならないように愛用の水筒で水分補給と

 

 

塩分の入った飴を時々舐めながらひたすら歩きました。

 

 

朝ごはんを現地のお店で食べようと思っていたけれど、

 

 

お店どころか人の住んでる家がない。

 

 

かなり歩いて一軒のコンビニを見つけて

 

 

トイレを借りて、水分と栄養(おにぎり1個)を補給。

 

 

コンビニの店員さんに「ここは新しく作ったの?」と聞いたら

 

 

津波の後に改装して再オープンしたそうで、

 

 

規制がかかっていてこの地域は新しく建物が建てられないので

 

 

なんとか改装したらしいが、作業員たちはこのコンビニ以外は

 

 

この先、なにもないので助かっていることだろう。

 

 

14時までバス来ないし、お店がないので

 

 

とりあえずブランチは軽くして遅めの昼はしっかり食べよう。

 

 

そう思ってとにかくバスで来た道を写真を撮りながら

 

 

ひたすら歩いた。そうひたすら。

 

 

 

 

そしてこの旅、最初の出会いがあった……

 

 

 

 

 

 

 

その3へ続く。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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※2011年9月11日~9月13日にかけて

 

 

 

macotoが宮城県の仙台から女川へ

復興支援の意味も込めて一人旅した

リポートです。一人でも多くの人に

被災地に足を運んでもらって、

被災地の現状を知ってもらい、

現地で少しでもお金を使うことにより

復興に繋がるということを伝えたくて

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