東日本大震災のあった2011年3月11日、
岩手県・宮城県・福島県を中心とする太平洋沿岸に
津波が押し寄せて多くの命を飲み込んだ。
僕はその半年後の9月11日、夜行バスに乗り
横浜から仙台を経由し、被災地へ向かいました。
震災後、義援金として募金を何度もしていたが、
本当はすぐにでも来たかったけれど、
仕事や自身の怪我などで動けなかった。
ボランティアも考えたけど、腰の持病で
力仕事は困難なのですごく葛藤していました。
実際に現地でお金を使うことで微力だとしても
復興支援になるだろうと思い、
特に被害の大きかった岩手・宮城・福島のなかで
以前に仕事で何度か訪れたことのある宮城(仙台)に
足を運んで被災地を訪れてみようと思いました。
2011年9月12日(月) 早朝
少しどんよりした天候でJR仙台駅の東口へ到着。
行き先も決めずに“被災地をこの目で見る”のと
“被災地でお金を使う”ことだけを決めて
やってきた今回の宮城県への一人旅。
始発も走り始めた早朝にまず電車の路線図を見ると
かなりの区間で電車が走っていない状態で
代行バスがその区間を繋いでいる状態でした。
とにかく津波のあった沿岸部の方へ行くため、
行ける所まで行ってみようと仙石線に飛び乗った。
仙台駅から日本三景のひとつ松島がある松島海岸で
電車を降ろされ、その先へは代行バスに乗り換えた。
ちょうど通勤・通学時間と重なり、学生さんたちの姿。
バスの車内はほとんどおしゃべりする人もなく
車内の空気は重く感じられた。
バスは地震でひび割れた凸凹な道路を進み
東名(とうな)・野蒜(のびる)という地域に差し掛かると、
窓の外には津波で一階部分がボロボロになって
そのまま放置されざるを得ない家が立ち並んでいた。
ふと横を見ると女子高生が泣いていて
まだまだ被災者の心の傷が癒えぬまま
なんとか日常を生きているんだな…と
僕は言葉にならないまま
ただただ窓の外の風景を呆然と眺めるしかできなかった。
それでも代行バスは否応無く走り続け矢本駅から
また電車に乗り換え石巻駅に到着した。
石巻に到着すると石ノ森章太郎 のアニメキャラが
駅から街中まで散りばめられ少しだけ和ませてくれた。
駅員さんに「どこまで行くの?」と聞かれ
女川まで行こうと思ってるんだと伝えると
すぐに代行バスが出るからとバスまで
案内されてギリギリで飛び乗った。
……後で知ることになるのだが、
時刻はまだ8時前、女川着が9時ごろ
午前中の最後のバスだったとは知らず
飛び乗ったバスは女川駅に向けて出発した……
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※2011年9月11日~9月13日にかけて
macotoが宮城県の仙台から女川へ
復興支援の意味も込めて一人旅した
リポートです。一人でも多くの人に
被災地に足を運んでもらって、
被災地の現状を知ってもらい、
現地で少しでもお金を使うことにより
復興に繋がるということを伝えたくて
この記事を書いています。