人の期待に応えすぎて、いつも疲れてしまう人へ
「ちゃんとしなきゃ」
「期待に応えなきゃ」
「私が頑張れば、きっとうまくいく」
そんなふうに、自分よりも周りを優先してしまうことはありませんか?
私自身、ずっとそうでした。
仕事では、頼まれたことには期待以上で応えたい。
困っている人がいたら、自分が何とかしてあげたい。
「この人に任せておけば大丈夫」と思ってもらいたい。
そんな気持ちで頑張り続けてきた結果、心も体も限界を迎え、うつ病になり、仕事を続けることができなくなりました。
今日は、先日noteに書いた「人の期待に応えようと頑張りすぎてしまう人が、本当に求めているものは評価ではなかった」という記事をもとに、改めて考えたことを書いてみたいと思います。
「人の期待に応えなくていい」という話ではない
まず、最初に伝えておきたいことがあります。
「人の期待に応えようと頑張りすぎてしまう」という話をすると、
「じゃあ、人の期待なんて応えなくていいってこと?」
と思うかもしれません。
でも、そういうことではないんですよね。
問題なのは、人の期待に応えることそのものではなく、自分の身を削ってまで応えようとすることだと思っています。
たとえば、自分にはもう余裕がないのに、
「期待されているから」
「迷惑をかけたくないから」
「私がやらなきゃいけないから」
と、無理をしてしまう。
私自身、会社員時代には、
・深夜、就寝中にチャットが来ると、反応して起きて仕事を始める
・旅行中でも、誰よりも早く返信して、上司の問題を解決しようとする
・熱を出して休んでいるときでさえ、仕事のことを考えて、上司からの指示に対応する
そんなことをしていました。
今振り返ると、
「よくそこまでやっていたな」
と思います。
でも、そのときの私は、それが「頑張る」ということだと思っていたんですよね。
人の期待に応えることが悪いのではなく、自分を犠牲にしなければ応えられない状態になっていることが問題なんだと思います。
もう一つの限界は「自分で期待値を上げてしまうこと」
以前、noteの記事では、人の期待に応え続けることには限界が来る、という話を書きました。
その理由として、
ひとつは、年齢を重ねることで、時間や体力だけでは解決できなくなっていくこと。
もうひとつは、立場が上がっていくと、同じやり方では評価されにくくなること。
この2つを挙げました。
でも、今回改めて考えてみて、もう一つ限界があることに気づきました。
それが、
自分でどんどん期待値を上げてしまうこと。
です。
「相手の期待を大幅に上回らないと、評価されない」
そんな思い込みがあると、私たちは相手の期待を超え続けようとします。
でも、10のことをやって喜ばれたら、相手にとっては、
「この人は10までできる人なんだ」
というのが、新しい基準になってしまいます。
そうすると、次は11をやらなければいけない。
11が当たり前になったら、次は12。
こうやって、自分で自分の限界値をどんどん更新していくことになります。
もちろん、能力を高めることで、その基準に対応できるようになることもあります。
でも問題は、そのスピードが自分のキャパシティに合わないほど速くなってしまうことなんですよね。
「もっとできるようにならなきゃ」
「前回以上のものを返さなきゃ」
そうやって頑張り続けているうちに、自分でも気づかないところで、どんどん無理が積み重なっていく。
これも、人の期待に応え続けることで限界が来てしまう理由のひとつなんだと思います。
「期待に応えすぎる」は、仕事だけの問題じゃなかった
そして、今回改めて考えてみて気づいたのが、
この「期待に応えすぎる」という癖は、仕事だけではなかった
ということです。
私は以前、友達関係の中でも、人によって自分の人格が変わっているような感覚がありました。
その人にとって、
「友達としての私は、どんな存在であることを期待されているんだろう?」
と、無意識に考えてしまうんです。
そして、その人が求めている「友達」に、自分を合わせようとしてしまう。
「この人には、このテンションでいかなきゃ」
「この人には、こういう自分でいなきゃ」
そんなふうに、いつの間にか自分の中でルールを作っていました。
当然、疲れます。
友達と別れたあとに、どっと疲労が出たり。
自分のコンディションがよくないと、人と会うこと自体が億劫になったり。
そして、ときには、
「私は今、本当の自分でこの人と接しているんだろうか」
と、自分を欺いているような感覚になって、罪悪感を抱くこともありました。
今は、以前に比べると、ずいぶんそういうことは減りました。
でも、気を抜くと、無意識のうちに「相手に合わせなきゃ」という感覚が出てくることがあります。
だから最近は、人と会う前に、
「今日は、ありのままの自分で行こうね」
と、自分自身に言い聞かせるようにしています。
結局、満たすべきなのは「自分の期待」
ここまで書いてきて、改めて思うことがあります。
他人の期待にいくら応えても、その人は喜んでくれるかもしれません。
「ありがとう」と言ってくれるかもしれない。
「すごいね」と評価してくれるかもしれない。
でも、その人が自分の人生の責任を取ってくれるわけではありません。
その人が、これから先の私の人生を生きてくれるわけでもありません。
だったら、本当に大切にするべきなのは、他人の期待ではなく、自分自身の期待なんじゃないかと思うんです。
私たちは、目の前にある「承認」が欲しくて、ついそこに飛びついてしまいます。
でも、他人からもらう承認は、一時的なものです。
どれだけ評価してもらっても、また次の評価が欲しくなる。
「もっと頑張らなきゃ」
「もっと認めてもらわなきゃ」
と、終わりのない追いかけっこになってしまうことがあります。
一方で、自分の人生と、自分自身との付き合いは、これから先もずっと続いていきます。
だからこそ、
人の期待を満たすことよりも、自分の期待を、自分で満たせるようになる。
そのほうが、ずっと大切なんじゃないかなと思っています。
「誰かに認めてもらう人生」から「自分が納得できる人生」へ
以前の私は、
「誰かに認めてもらうこと」
が、自分の価値を証明することだと思っていました。
仕事で評価されること。
期待以上の仕事をすること。
誰かに必要とされること。
そういうものを積み重ねて、
「私はちゃんと価値のある人間なんだ」
と思おうとしていたんだと思います。
でも、それではいつまで経っても安心できませんでした。
どれだけ頑張っても、もっと頑張らなければいけない。
どれだけ評価されても、また次の評価が欲しくなる。
そんなふうに、ずっと外側に自分の価値を探し続けていたからです。
だから今は少しずつ、
「人からどう見えるか」ではなく、
「私はどうしたい?」
「私はこれで納得している?」
と、自分に問いかけるようになりました。
人生のハンドルを、少しずつ自分の手に戻していく。
それが、私にとっての「大人の心育」なのかもしれません。
もしこの記事を読んで、
「私も、人の期待に応えすぎてしまうかも」
「いつも自分より他人を優先してしまう」
と思った方がいたら、ぜひ一度、自分に問いかけてみてください。
「私は、本当はどうしたい?」
人の期待に応えることよりも、
まずは自分の声を聞いてあげること。
そこから、自分の人生との付き合い方が、少しずつ変わっていくのかもしれません。
📖 もっと詳しく読みたい方へ
今回の記事のもとになったnoteでは、
「なぜ私たちは、そこまで人の期待に応えようとしてしまうのか」
について、もう少し詳しく書いています。
「役に立たないと、ここにいてはいけない」という思い込みや、
「誰かが評価されたら、自分は評価されない」というゼロサム思考についても、私自身の経験を交えながら掘り下げています。
もし、
「私も人の期待に応えすぎてしまう」
「いつも自分より他人を優先してしまう」
「頑張っているのに、なぜか満たされない」
そんなふうに感じることがあるなら、ぜひ読んでみてください。
▶︎ noteの記事はこちら
「人の期待に応えようと頑張りすぎてしまう人が、本当に求めているものは評価ではなかった」
このブログでは、
「人はなぜ生きづらくなるのか」
「どうすれば、もっと自分らしく生きられるのか」
そんなことを、自分自身の経験を振り返りながら綴っています。
誰かの正解に合わせるのではなく、
自分の人生のハンドルを、自分の手に取り戻していく。
そんな「大人の心育」の記録です。
また遊びに来てもらえたら嬉しいです。
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。