前回の菖蒲園に行った日、
もう一つの目的は、3月に放出~新大阪駅間が開業したJRおおさか東線
に乗ること。
その途中にある城北公園通駅が、なんと幼い頃に住んでいた家の目の前に
出来ていて、とても懐かしくなったからだ。
昔住んでいた家は今はマンションになっていて、
家の目の前の貨物線だった頃の土手は駅に様変わりしていた。
この土手でおばあちゃんがトウモロコシや紫蘇やイチゴやらを作っていた。
たぶんこの家庭菜園も国鉄の土地を勝手に使っていたのだろう
。
今はコンクリートでかためられてしまって面影なし。
幼稚園の年長さんの時に、お隣の都島区に引っ越ししたが、
そろばん塾がこの近くにあったのと、おばあちゃんはそのまま住んでいたので、
小学生になってもしょっちゅう遊びに来ていた。
駅の横のガード下はまったく変わらず昭和そのままだ。
夏になると風鈴
や金魚をリヤカーで売りに来ていて
このガード下は夏はとても涼しかった。
小学生高学年の時に両親が離婚して、父親がこの周辺に住んでいたので
顔を合わせたくない思いで、ここの地域は遠ざけるようになった
今回いっしょに行った姉も同じ思いの様。
そういえば、中学生の時に飼い猫
が死んで、この土手に埋めに来たのを
思い出した。
それがここに来た最後だったのかもしれない。
ガード奥に見える商店街の駄菓子屋によく買いにいったな。
商店街を歩いてみたが、あんなに繁盛していた通りは人っ子一人いない
。
手前の父親がよく行っていたパチンコ屋だけはそのままだった。
城北公園通りが開通するまでは家の横のこの細い道が大東町と赤川との抜け道で、
車が途絶えることがなくバスまで通っていて、ここを渡るのは一苦労した。
今は大通りができたから車は一台も通らない。
ガード-レールの錆感が昭和のままだわ。
淀川の堤防、よく家族で花火大会
をみに行った楽しい思い出。
悪い事をしたら橋の下に捨てに行くとか、橋の下で拾った子とか言われたわ。
堤防にかかっている十八門鉄橋、昔は貨物線やったが、
今はおおさか東線が通り、歩道は閉鎖されてしまった。
あの頃のこの鉄橋の歩道は枕木で出来ていて
隙間から川が見えたりして怖くなっていつも途中でUターンしていた。
610mを渡り切ったのは1回しかなかったように思う。
それもタッチしてすぐに戻ってきた。
向かい側の淡路方面はなにか世界が違い、小学生の私は
うろうろしたら2度と戻って来れない気がしたからだ。
昔は真っ赤な鉄橋やった。
リニュアルしたなら色も昔の様にきれいに塗りなおしてほしかったな。
歩道が閉鎖になる前の動画があったので。
この音この音、貨物の電車って本数は少ないけど長~いのよ、
橋渡っている時に電車が通ると超うるさかったし、
振動で落ちるんじゃないかと思い手すりを握りしめたりした。
家の前の土手でも、たまに線路の近くまで上がると
見張り台の職員の人に激怒
されたよな。
今思うと危ない遊びで、激怒されるはずやわ。
駅の近くの赤一かどやさん。すごい、今もあった
。
店主さん、昔のおっちゃんのままや。
いや45年以上も前の話、生きていてもおじいちゃんのはず。
息子さんなのかしら?そっくりなんだけど・・・
。
このお店は、家からやかんを持たされ、アイスコーヒーを買いにいかされた。
家からちょっと距離があると思っていたが100歩もない距離やった。
小さい頃の距離感の違いに驚き~、こんなに近かったんや。
子供の時の記憶って、やっぱ曖昧なんだね
。
母親にしたら、すぐそこのお店と思って、おつかいに行かせていたんやな。
思い出の味もそのまま
、甘かったけど嬉しかった。
せっかくなので新大阪までおおさか東線に乗って、乗り換え一駅で大阪駅。
思ったよりも便利だわ
。
ちょっと梅田でスヌーピー展をみて帰ってきました。
グッズ見ているだけでも楽しい。







