前回の英語もまだやってないのに(Done 11/16)新しいのは書けないはずだけど今感情が高ぶってしまったので今書く。
フェイスブックで活動してないけどフェイスブックあるから友達リクエスト?みたいなのいくつか
もらってて、私は彼らを無視していて、でも嫌いだから無視してるというのではなく、フェイスブックをやりたくないから無視してるので、その辺の無礼はご理解いただけたらと願います。
それで、さっき、またしてもフェイスブックからのお知らせメールがパソコンに届いてて、友達リクエストの一覧を見る羽目になって、ちょっと久々に彼・彼女らの写真を見てみると、なんか急に泣きたくなった。
こんな人もいた。この人のことすごく尊敬していた。この人とよくスターバックスでコーヒー飲んだ。とか、懐かしい人々の写真みて、想うこと・想い出すことがいっぱいあって、胸が苦しくなった。でも留学中に出逢った人々など、ほとんどは、もう二度と会えないかもしれない人々で、途方もなく遠い。果てしなく遠い。私がフェイスブックをやらないことで失っているものが、ものすごく大きいような気がしてしまった。悲しくなった。だからといって、やっぱりフェイスブックはやらない。
私の友だちは私のコレクションではないので、「私はこんな繋がりもある」「こんな知り合いもいる」「誰と何をした」とか、そういうことを別の誰かに敢えて示す必要はない。私の友だちは私の胸の内にて色々想うのが良い。そして、誰が誰と繋がっていて、誰が今日誰と会って何をしたのか、とかは、その人の口から私の耳に入る形で聞きたいだけ。本人に直接に働きかけることなく機械を通して得られる情報に、重大な価値があるとは思えない。
今まで幾度となく、現代を生きる人間として、フェイスブックやった方が良いんじゃないだろうか、と本気で悩んだりしたし、時代がこういう風になって人との関わり方が変化していって、これはこれで良いじゃん、という気持ちもある。けど、どうしてもどうしても、自分がフェイスブックやる、というところには踏み込めない。でも、こんなふうに形に捉われて大事な出会いを水に流し続ける狭量な自分に本当に腹が立つし、私がもし私じゃなかったら、私をちょっと軽蔑するかもしれない。
自分にとって、譲れないことがあって、それを守るのに精一杯で、でも、その「譲れないこと」が果たして、色々なことを無下にしてまで守るべきものなのか、その判断がもう自分ではできなくて、だから胸が苦しい。どうすればいいのか。どうしてこんなに苦しくなるのか、わかるようでわからなくて、もう全然わからない。
明らかなのは、私にとって、友達はコレクションではなく、それゆえ並べて飾るものではなく、数を競うものでもなく、私にとって、人との出会いは心の中で起きる出来事で、それゆえ並べて飾るものではなく、目に見える形で残せるものではなく、現に私は薄情だと人からたまに言われるけど案外、これまで出会った人のこと、一人でいるような時でも心の中でよく想ってます。いつもありがとう。と思ってます。
推敲もしませんで。
Good night.
落日/東京事変
独りきり置いて行かれたって
サヨナラを言うのは可笑しいさ
丁度太陽が去っただけだろう
僕は偶然君に出遭って
ごく当たり前に慈しんで 夕日を迎えた
さぁ もう笑うよ