書きたいことはめっちゃあったんだけど
文章にするのが苦手で
イラストや絵、マインドマップには
アウトプットしてるんだけどえー

それこそここに書くべきって?
ごもっともてへぺろ

で今回は
「対立と共感の構造」

それの対立、共感、構造そのものの
前提について
今私が感じていること
こういうことなんじゃないかな?って
思うことを書きますねウインク

でこの
「対立と共感の構造」
というのは
マインドマップで大切になってくる
出てきたアイデアを否定しない。

アイデアを出すとき
自分1人の自分が考えた自分の
アイデアだって思ってませんか?

ぜんぜん違いますニヤリ
この世の全て
自分の目に映るもの
もしくは目に見えない物も
含め全ては自分が作ったものではない。
これが前提の一つ目

その上ででは
自分が持っているものは誰のもの?

それが構造ができたと認識したから
構造ができたという構造。
え?ややこしい?口笛
はい。ややこしいです照れ
これが構造の前提2つ目

対立とは?
実は善悪ではなくて
ただの違いを認めないという
現象じゃないかな?

例えばドラえもんのジャイアンの名言
「俺のものは俺のもの。
 お前のものも俺のもの。」

はいっ!ここで
そんなわけねーだろ!
何言ってんだコイツ!
ムカプンムキー


ドラえも~ん
ジャイアンにおれのものを
とられた!
だから取り返す道具をだして~えーんえーんえーんえーん


これが対立。


そこでジャイアンの名言に

「おまえ(のび太)のものも俺(ジャイアン)のもの」
というならば
ジャイアンのものものび太のものだよね!


のび太のものはジャイアンのものでもあるけど、
それがないと困るみんなのものでもあるんだ。
そしてのび太が持つことで皆が使えるから
それはジャイアンだけのものでも
のび太のものだけでも
まして皆のものだけでもない。


これが共感。

個人のものは個人。
個人のものだけど皆のもの。

ここが違いますねおねがい

今はもうシェアの時代に入ってます。
知識だけじゃなく
これからはありとあらゆるものが
そうなっていきます。

え~それは困るショボーン
という人は
そういう個人のものは個人という
コミュニティを作ればいい。

その代わり誰も
シェアしてくれない。
あれもこれも抱え込んで
抱え込みきれなくなっても
個人のものだから
なんの価値もない。
捨てるしかない。

それで資源が有限とわかっている
今の時代に生きる僕たちは
それでいいんでしょうか?

少なくとも子供が大人になったとき
僕たちの知識や資源が
ただ捨てられてゆく。
それをただ指を咥えて見てるしかない。

だってそれを選んだのは
大人である僕たちだから。