♪JAZZ cafe 「Bop」マスター 松浦善治さん
♪3月15日午後 逝去されました(満84歳)
♪17日 松浦さんがアルバイトしていた「平安閣」でお別れの会を執り行いました
♪会場にあったアルバムで松浦さんとの思い出を振り返ってみます
♪松浦さんと初めて会ったのは’60年代の初めころ、
「函館モダンジャズ愛好会」(会長国鉄の新明さん、副会長自転車店の坂本さん)
で逢ったのが初めてでした、
H・M・Cはニチロビルにあった日米文化センターでアメリカの文化を
紹介する一環として活動、JAZZLPやダウンビート誌が読めた、
だんだんと規模が大きくなり、文化センターを飛び出して
毎月明治生命ビルのホールでJAZZ(LP)コンサートを行っていました、
会員の小林さんが東京出張時に買ってきたブルーノートの輸入盤の
ブラインドホールドテストが盛り上がったな~
♪その頃の松浦さんは阿部代議士の運転手をしながら
東京からの車の陸送もしていて
「土蔵か地下室でジャズ喫茶をやるんだ!」と
熱く語っていた。
5年位でH・M・Cも余り活動しなくなり、
松浦さんとも会う機会が殆ど無くなっていました
♪私は’70年3月に家電メーカーの販売会社に入社、
正式配属が決まるまでサービス課で研修、
(ベテランサービスマンの手伝い)
ある日、本町の喫茶店から出張サービスの依頼があった
「揚水ポンプが動かなくなった」と、
その喫茶店は
♪開店したばっかりのJazz&Snack「Bop」でした!
此処で松浦さんと再会!
Bopは地下だったので排水を1階まで揚げるのにポンウを使用、
お客さんが多くポンプは回りっぱなし、オーバーヒートしていた!
♪それからはBopに通うようになりました、
本町でのBopは時々Liveも行っていた
笠井紀美子さんのライブ後の1枚、
真ん中が松浦さん、
その左がアフロヘアー!の私
その左が康子ママ、松浦さんの後ろが坂本さん、
その左が今も私と毎週Bopに行っているNさん
♪松浦さんに怒られたという人は沢山います、
LPを聴いているときは私語厳禁、出て行って!と
半面LIVEで大人しくしているとこれも怒られます、
手拍子、足拍子、イェーッ!ヤー!等掛け声掛けろっ~と
♪ライブしたアーチストがサインする便所(へ行く)のドア
(写真は現在の店に展示中のドア)
♪サイン中のベースの稲葉さん
♪クリスチャン・マーレーのライブ後の1枚、一番左が私、
♪松浦さんがNHKのTVに出た~!
その時のギャラが9100円、税引8190円
♪松浦さんは毎年「メールスジャズ祭」にVHSのビデオカメラを担いで行ってました、
其の映像を持って各地でビデオコンサートも行っていた
♪本町のBopは上階の鳥料理店の火災被害に遭って(私は札幌在住でした)
現在の新川町に移転、山下さんが函館山ソロライブに来函時に立ち寄り、
その後も函館でのソロライヴ時には必ず寄ります、
松浦さんの紹介でソロライヴ終了後楽屋に寄り
お話を伺ったりサインもしてもらいました。
♪近年の松浦さんは貴重な写真や資料をツタヤでの写真展や映画館「アイリス」
でのタイアップ展示などでジャズの歴史、
ジャズのすばらしさを紹介しています
♪「Peeps」120号(10周年記念号)に掲載された松浦夫妻
数多くの雑誌、新聞、TVに取り上げられていた松浦善治さん
そして数知れないほどの写真、ジャズの資料、チケット等、
又趣味の骨董品(蓄音機、電話機、時計等)も多数保有
これらも後世に残してくれました、
♪函館の、いや日本のジャズのレジェンド 松浦善治さん
天国から”叱って”下さい
♪19日告別式、康子ママに伺った
「15日は確定申告の最終日、
書類整理して税務署に行く予定、
終わったら店に行く、と
康子ママは一人でBopに、、、
夕方になっても松浦さんは来ない、
携帯に電話するも出ない、
何時もより早めに帰宅すると
松浦さんはベットで亡くなっていた」
その後警察による検視のため遺体は警察へ、
事件性はないと18日お別れ会、
19日告別式を行いました。
♪私の15日はブログにもアップしましたが、
何故か夕食の準備したくない、
何故か「てっ平」に一人飲みに行く、
何故か大将と野球の話をしていても上の空、
何故かゾワゾワする、雨のせいで風邪でも引いたか?
何故か8時に帰った(いつもは9時過ぎまで居るが)
康子ママから15日の事を訊いて”そうゆう事だったのか~”
♪JAZZcafe「Bop」は3月いっぱい休業します。
4月から康子ママ一人で再開予定です。