少し前になりますが7月下旬に福島第一原子力発電所を見学に行ってきました。
そう 13年前の東日本大震災で原子力災害をもたらした発電所です。退職前は機械技術者として働いていた我が身としてはなぜこうなったのか?今どうなっているか?写真で見るタンク群もどんな様子なのか,汚染水浄化装置「ALPS」とは?
現場を見なければ本当のことはわからない。
その思いでいろいろ伝手をはりめぐらしました。団地のテニスクラブで東電に勤務していた友人に頼みましたがかなわず。退職前の会社が発電所構内で受注した工事に従事していると聞いて会社に頼んだりしましたがいずれもダメでした。
インターネット等で調査しても発電所周辺の見学はあっても内部までのものはありませんでした。やはり発電所内は見られないのか?
ところが今春インターネットでなにげなく調べていたら 福島交通観光が見学を実施していることがわかりすぐ申し込みをしました。(不確かですが昨年より実施しているようです)
1日ツアーで原子力発電所の見学は移動も含めて2時間余り、あとは近辺の工場見学や震災遺構の見学等でした。
インターネットより
インターネットより
またこの見学とは別にNHKテレビで福島第一原子力発電所をテーマにした放送が直近にありました。
一つは 「サイエンス”0”」で2回にわたって放送されたもので1回目は8月4日に「汚染水と処理水との戦い」 8月11日に「取り出せるか燃料デブリ」です。興味深く見ました。
もう一つは 8月19日に放送された「100カメ 福島第一原発」で現在福島第一原子力発電所で働く人々の様子です。過酷な環境で作業を進めている人たちの苦労がうかがわれました。
インターネットより
インターネットより
さて行程ですが 私はどうせ前乗りで福島に泊まるなら前日も関連する所も見学しようと福島交通観光に相談したら「東日本大震災・原子力災害伝承館」等を見学してみたらと勧められました。バスで福島駅から行く一行とは翌日に富岡町の「東京電力廃炉資料館」で合流することにしました。
前日は朝早くに家を出て東京から「伝承館」がある双葉町まで「特急ひたち3号」です。数年前にいわき駅まで行きましたがその先は初めてです。11時少し過ぎに到着です。
双葉駅は新しく建て替えられてきれいな駅でした。

でも人通りはほとんどありませんでした。まだ復興半ばが感じられます。駅のすぐ近くに双葉市役所がありました。

駅から「双葉町産業交流センター」と隣り合っている「東日本大震災・原子力災害伝承館」までバスが出ています。電車に合わせているのでちょうど良い時間に出発。でも客は私も含めて2人。
産業交流センターは立派な建物です。ここもあまり人がいないのかなと思いましたがたくさんの人がいました。観光客と地元の人が入り混じっている感じでした。
双葉町産業交流センター
双葉町産業交流センター
ちょうどお昼の時間なのでセンター内のフードコートへ。B-1グランプリで有名な「浪江焼きそば」をごちそうになりました。
浪江焼きそば
太麵と豚のお肉がソースだ
昼食後は屋上に行って展望です。
東側に大きく太平洋が広がっています。震災時はここも津波に襲われたんだろうと思いながら見ました。今は公園を整備中のようです。

南側を見ると遠くに第一発電所4・5号炉の煙突が見えました。

次はすぐ隣にある「東日本大震災・原子力災害伝承館」を訪れました。目的の場所です。

館内は東日本大震災や福島原発事故の様子を詳しく展示しています。ぜひ見ておきたい所です。見るのに一生懸命でカメラに収めることがおろそかになりました。でも本当に見ておきたい所です。
1~4号炉模型
5~6号炉模型
被災時の原発の状況です。翌日私たちが立っていた場所は上の写真の上部森の所です。小高い丘になっています。
写真はほとんどないですが震災や原発事故の様子がひしひしと伝わってきます。
館内では語り部の講話もありました。「双葉町の子供たち」ということで震災前の様子 震災後の様子を熱っぽく聞かせていただきました。
インターネットより
16時を過ぎバスの時間を気にして外に出ました。12時30分頃入館しましたから3時間30分もいたことになります。館内の展示や映像に本当に引き込まれました。外に出てみると津波でつぶされた消防車とかって町のメーンストリートにあったといわれる「原子力明るい未来のエネルギー」の看板がありました。


本当に皆さんに見てもらいたい所です。
「東日本大震災・原子力災害伝承館」から双葉駅へバスで戻り明日の予定地である富岡町へ。富岡駅はポツーンと建っていました。

震災の時は津波に襲われて栄えていた駅前も大被害だったと資料は言っています。
インターネットより
駅の反対側も丘に木々が生い茂っていました。

駅前にこれもポツーンと建ったホテルに泊まりました。町の中心部までは歩いて10分程度です。
翌日はホテルから町の中心部にある「東京電力廃炉資料館」まで歩いて移動。町の中心部は新しい家並みが続き復興感がありました。朝なのに途中の道は暑かった。
廃炉館は以前第2発電所のエネルギー館として使われていたもので建物はエジソン,アインシュタイン,キュリー夫人という原子力研究者の生家をモデルにしたものと言われています。

約束の9時よりだいぶ前に着いたのですが係員が中に案内してくれました。そして正式開館時間は9時30分ですが9時からは私一人だけのために係員が展示物等を案内してくれました。(福島交通観光からのツアーとダブらない範囲。福島交通観光が言ってくれていたのでしょう)
メルトダウンの様子などリアルに説明や展示がされていて大変参考になりました。
9時30分過ぎに福島交通観光のツアーの皆さんが到着。大型スクリーン室で合流しました。
まずは大型スクリーンで15分程?被災の様子を説明してもらいました。
次がいよいよ現地見学へ出発です。と思ったら持物を全てロッカーに入れてなおかつ金属探知機ゲートを通ります。発電所内の放射能被爆を極力避けるために持物を制限しているのです。携帯電話やカメラも当然ロッカーです。一番先に通った東電の女子案内人が何度もブザーが鳴って苦笑いしていました。(何が悪かった?)
そして被爆量検査のメーターも着装します。
現地に行く前は携帯電話やカメラ持込禁止はは東京電力の秘密主義で映像を拡散させないようにしているのかと思っていましたが被爆防止だったのですね。(ごめんなさい)
往復は東電のバスです。

国道6号線と思われる道を走っていると道の両側は未だに閉鎖された店舗や荒れ地が残っています。
発電所の門に到着するとバスの車体の下側まで入念に検査が行われた後に構内へ。
見学ルートは下図の黒い線だったと思われます。インターネットを参考に加工しました。
インターネットより
バスでブルーデッキまで周囲を見ながら行きます。バスの右手には汚染水を溜め込んだタンク群が見えます。しかし道路からでは奥行きが見えず写真のタンク群とは違って見えました。
インターネットより
そしてブルーデッキと言われる小高い丘の上に着きました。実は発電所建設時はこの高さが地面で原子炉は地震対策として岩盤まで掘り下げたとのことです。もし掘り下げていなかったら津波は?
インターネットより
ブルーデッキから見た原子炉は写真で見たように無残でした。土曜日で作業員はほとんど休みとのことでしたがチラホラとは見えます。大型クレーンに1台ずつ名前がついていました。「のぞみ」「ひかり」などだったかな?
廃炉作業のポイントは下記の2点と言われています。
① 汚染水対策
② 廃炉作業(デブリ取り出し)
汚染水対策は発電所の山側から流れてくる地下水が原子炉で汚染され海に流れるのを防ぐことです。
インターネットより
タンク群も含めて雨水等が染み込まないようにカバーをかぶせていました。凍土壁はブルーデッキからも確認できました。汚染水はALPSで処理して海に流していますが1年にタンク10基ほどと言われています。1000基あるタンクが完全になくなるのは100年後?
廃炉作業も難関です。廃炉まで30~40年と言われたロードマップも13年近く過ぎて3年も遅れているようです。

NHK 100カメで廃炉作業の様子を見ましたが被爆防止をしながらの作業がこんなに大変なのかを認識させられました。関係者の皆さんに感謝しなければならないと改めて痛感しました。
ブルーデッキにいたのは10分以内でしょうか?被爆量軽減のためでしょう。
この後 別の場所でALPSで処理した水を確認。魚もこの水で飼って安全性を確認しているそうです。
そして最後に被爆量の確認。私の場合は0.1μ㏜(マイクロシーベルト)でした。ちなみにX線で胃の検査をした時の値だそうです。たったこれだけの時間でも被爆するんですね。
そして1時間もなかった原発内の見学は終了。廃炉館に戻りました。
廃炉館からは国道6号線(?)を北上して昨日行った「双葉町産業交流センター」を目指します。
道の脇には閉鎖された店舗や荒れ果てた原野,廃棄物などが目につきます。



双葉町産業交流センターで昼食をとった後 すぐ近くの工場を見学しました。
「浅野撚糸株式会社」の「双葉スーパーゼロミル」というタオル等を製作している工場です。復興施策の一環として令和5年4月に建てられたものです。
ショップやカフェもあり付近の交流施設としても活用されているそうです。
私もバスタオルを買って家で愛用しています。
下は工場模型を写真に撮ったものです。しゃれた工場です。
浅野撚糸の工場見学の後は浪江町の震災遺構「請戸小学校跡」です。バスで10分程でしょうか?
田畑というか原野というか平らな土地にポツンと校舎跡があります。

二階のベランダ?まで津波が押し寄せたと言います。校舎1階の様子です。

壁も天井もすべて剝ぎ取られています。
2階に震災時の津波の様子がパネルで示されていました。

小学校から高い所の大平山まで生徒82人が1.5km全員無事で避難できたということです。少しでもためらっていたらこの津波に飲み込まれていたのでしょう。このような震災遺構があることで私たちに貴重な教訓を与えてくれているのを感じました。
請戸小学校を後にして最後は「道の駅 なみえ」で買物等をした後福島駅に17時過ぎに到着。

2011年3月 大震災発生の後4月末から6月まで多賀城にある会社施設の復興に従事しました。この時は道路の両側はがれきだらけでした。そして道の両側の木々には自動車がぶら下がっていたことを鮮明に思い出します。
仙台港近く
2016年 東北太平洋側を旅して復興の様子を見ました。この時は復興も進んでいると感じました。
復興仮店舗
東日本大震災 ほとんど復興が進んだ感じになりました。(まだまだの所もあるかもしれませんが)
でもが原発だけはまだまだです。これから先も長い道のりです。
今回の見学で少しでも原発に心が動いたかなと思いました。