能登半島地震て被災された皆さま、心よりお見舞い申し上げます。一刻も早い復旧・復興を祈っております。

 

 元旦の夕方までは本当に穏やかな年明けと感じていて、ゆったりとした気持ちで元旦でも営業している大衆居酒屋でビールを飲んている時に揺れが始まった。

 

私はその時、大阪・京橋駅近くにいた。さほど驚かない程度のゆっくりとした揺れだったので自分としては落ち着いていた。

 

 ネットを見ると、すぐに石川県・能登半島沿岸にに大津波警報発令!!その報道のほうに反応してしまった。金沢市在住の知り合いのアーチストさんにすぐさまSNSを通して身の安全の確保を促すメッセージを送信した。あまりに反射的な行動に自分でも驚いた。

 

ホテルの部屋に戻ると、報道特別番組をを見るためにテレビをつけたままにしていた。次の日、伊丹空港から朝早い飛行機に搭乗する予定なのに、日付が変わってからはほとんど寝なかった。

 

 地震の影響もなく、無事飛行機は伊丹空港を離陸して目的地の仙台空港に着陸。着陸の際に必ず見える東日本大震災の大津波で壊滅的被害に遭った「名取市閖上地区」を見ながら地震のことを思っていた。あれほどの大津波で木っ端微塵にやられたにも関わらす復興してビニールハウスまでちらほら見られたからだ。(東日本大震災当時ではないが私は元名取市民である。)

 

宮城での目的を淡々と済ませるとすぐに埼玉の自宅に帰宅するためにJR仙台駅へ・・・。新幹線は定刻通りに大宮駅に到着した。

 

 大宮駅から自宅最寄り駅に移動中、スマホにニュース速報が!!今度は羽田空港でJAL機と海保機が滑走路上で衝突して炎上という衝撃的ニュースだった。もともと羽田空港に行く予定ではなかったものの、つい数時間前まで飛行機に搭乗していた私にとって何とも表現し難い感覚になった。

 

台風と並行しての長距離移動はこれまでも経験していた。それもハラハラものだけど、時間差で2日連続でに大きな災害と事故が発生して自分自身も同時並行的に長距離移動していたので非常に複雑な心境になった。