2023/05/10 | NeoMackey_ITpro&古武道のブログ

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合気上げに関してアレコレ
少し長文です、文字だけでは伝えきれませんが何も手掛かりが無いよりマシでしょう。

久々に皆様の前で軽く指導役もしました。久々なので一番当流に大事で少し難度も高い稽古です。私も指導時に行うかどうかは波が有るのですが、合気上げは本来は毎回時間をかけて正しく行えば、日本武道に大事な物が身につきます。

駄目なやり方。
•結果的に相手の腕を上げたり、倒す事を目的とし無い
•超基本はテコの原理を使うが、使わない努力すべきは屈筋、肩の固め、膝立ちや腰から下の筋肉を直接使わない事です。
•肘の抜きや回転を必要以上に使うのは柔術技のテクニックのオーバーアクションで悪手!
•受け手も大事で、攻撃意欲の有る形で手首を制する事、あくまでも稽古で有るが無用な忖度で壊れ物を触る様な抑え方は時間の無駄!
•捕手も応用に走らず、先ずはしっかりと抑えさせる事。そこからの稽古を充分にすべき、後の先を鍛える事が様々な大東流合気柔術の技に通じます
•相手に充分に持たせない、先の先に通じる稽古も有りますが、その稽古に行く前にしっかりと練る稽古を怠らない事

敵意の高い相手に対する技をするのと、基本稽古で体作りをまず行うのとは、矢張りやり方に少し差は出ます。
古武道の稽古順としては、出来る限り体作りにつながる事を優先して、守破離の守の稽古が大事でしょう。
超初心者や自分より明らかに非力な人には力加減は必要な話です。しかし、ある程度の期間を過ぎた者同士、白帯の方でも適度な力を出しての受け手の姿勢は必須にし無いと稽古の目的がいつまでも大きな手順を覚えるだけになり、中身の抜けた形骸化した稽古になら無い単なる運動になります。
受けは、捕手の手首をしっかりと捉えてそれなりの力で制し、空いた手は攻撃姿勢を保つ事です。

全ての技の途中で共通するのは余りにも隙だらけの場合はそれを指摘しながら稽古するのは正しい稽古姿勢です。ただし次の動作が分かっているのにあえてそれだけを阻止する動作は好ましく有りません、その場合には異なる技を施すのは暗黙の了解違反では有りません!
この段階守を卒業した者が守破離の破につながる、いわゆる応用稽古すべきでしょう。多くはまだまだ早過ぎと見えます。

古流の稽古法は指導者も古参の者も破につながる応用と言うか、同じ事を続けて三度見せ無いと言われる稽古法も存在してワザと違う事をするのが定石の指導とも言われてます。同じ様にみせてあえて違う事をすると言う、昔ながらのいつ敵に成るかわから無い戦いの世の中の習い事でしょう。
私は時代の変遷で一つの技を丁寧に伝えて後輩諸氏に伝えたいのが主ですが、中には試そうと言う気持ちで来るものには、どんどんと違う理合で対応するのも是と思います。私の師は少し生真面目でこの分野に於いては習いに来ている前提で教え様として疑う相手に技がかかり難い事が有りました。
私が現時点の合気上げを習得したのは、まだまだ上のレベルの掛け方が存在すると修行の最中ですが、大きくは全ての稽古の相手いただい先輩、後輩、先生方ですが、合気と言う技法は森先生から受けた様々な技と四国の千葉師範が昔神戸にも来られた時に少しばかり他の稽古生より長めに合気上げを指導いただく機会が有りました、その時に聞いた話とが大きな柱です、千葉先生から何故か細かい説明を受けたのを覚えています。そして何よりも記憶に鮮明に残ったのが、こちらの手の内に受けた感触が森先生と千葉先生の感触がそっくりだった事です。ちなみに当時のその他の先生方の合気上げや技の感触は、私ごときよりは遥かに力があたらず施される人も居られましたが異なる感触でした。後年この後10年後位にこれも四国高松の井澤先生の手を持たせてもらった時に同様に近い感触を感じた事がありました。
これ以外では一緒に稽古されていた方々に数名近い感触の方々も存在しますが、全く同じ感触は森先生と千葉先生だけです。この感触の再現を自分なりに研究を続けており、それが合気柔術の大事な根幹の技術の一つと考えられ、この稽古法に尽きるとも思えます。この稽古法には合気だけでなく、力を流す様々な事も学べますし、柔術の基礎も、日本武道の体作りにつながる鍛えや、座禅や、本当に地味に見える中に様々な知恵が内包されてます。

合気上げの応用の形が、膝に置いた手首を取らせようとせずに中途半端な握りを受け手にさせて行う手法が有ります。合気道を称する流派によく見られる稽古法ですがこれはこれで少しのコツも必要です。ただしあくまでも応用で有り、こちらが先の先で読む能力が高まってから可能な技です。この稽古も別に必要ですが、まずは後の先にも成る相手が充分の状態から合気上げも稽古し、他の技も相手充分の形から私は稽古すべきと考えます。
少しはこの手の稽古も有段者にはすべきかも知れません。こちらの稽古も手順とやるべき順次はしっかりと身に付けないと技としては使い物になりません。

気を付ける事
•姿勢に気を配る
•正座は足指を重ね無い事が重要
•上半身は力まず、適度な脱力
•臍下丹田を意識する事
•猫背、巻肩、顎出し、全て不可
•自然な呼吸で息を止めない
•構えは無構えの中に正中線を保ち両手を剣の構えにつながる心持ち
•意識は基本は前面、横、背後にも適度に気を配る
•全ての技に共通の万能を求め無いが低いレベルの応用乱取りに陥らない

当会の技数は立ち技、座り技、半座半立、左右で見た目の動きや技の俗称が同じでも別に数えると聞いています。例えば四方投げもこれに当てはまりますが裏、表、に若干のコツや動きに異なる要素が入ります。ですので二千八百八十四手は大きくはその数を減らしますが完成度を上げるには別技として研究すべきかも知れません、この同じ呼び名の技や見た目に同じ事をしている技に研究の余地が有ります。
同じ呼び名の物にはそれなりの同じ要素が有ります。また超根本の身体作りや、内観の成長や醸成、はどの技にも動きにも全く協調されます。
しかしながら守の範囲にある時はそれぞれの少しの違いをしっかりとこなす稽古が必要です。
合気上げは違いに座っての稽古、相手が立ちこちらが座っての稽古、互いにたっての稽古は別のコツや技術をしっかりと意識してできないと合気柔術の道は遥彼方で到達不可能かも知れません。

よく、柔道、合気道、大東流等の技を同質の説明をされる方々が居られますが、異なる形で継承発展されている事を理解されないと、真実の合気は理解不能です。間違うといけないのは合気も万能だとは言っておりません、合気と柔術は別技術で有り、柔術の一部の技術をスポーツ化しそれぞれの技術を高めたのが現代柔道で有り、柔道と柔術は共通技法が多い事です。

便宜上、大東流合気柔術は関節技、急所技、柔術技、等と言いますが、本来は柔術の中に関節技や急所技が有ると考える方が良いかも知れません。伝わる技には柔術も合気柔術も合気も有りますが、手順はほぼ同じ様に見えてどれも可能な事が混乱をきたしています、
多くは合気は理論的に説明や継承されておらず、柔術技の中に合気柔術が混在して伝えてられており、多くの者が柔術を稽古すれば合気になると勘違いされてます。
合気柔術は技の中で本当は柔術と区別されていたと思われますが、後世か何処かで合気を特別に扱ってしまい過ぎ、合気も合気柔術も出来無いが、柔術を発展研究した者がこれが合気だと柔術をかけて余計に混乱させているのでしょう。
同じ手順技をこなしていても、それを柔術的にかける事も出来、合気柔術的にかける事も可能で、合気主体にかける事も出来ます、技には受け手の攻撃により前提が変わればそれに対する技術も変わるのが当たり前です。
単に柔らかい優しい関節技や掛け方が合気では有りません。