最初の頃に習った形に正伝がある | NeoMackey_ITpro&古武道のブログ

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稽古覚え書き10月15日(土)
最初の頃に習った形に正伝がある
長文です!^_^

本日はザット二ヶ条の総おさらいと半座引き手に対しての稽古しました。
その中で最初の頃に習った形が大事なのをあらためて思いました。
ただし、その習ったかたちは、当身をガツガツ当てる、腕の振り方は直線的、下半身のさばきは無いような感じで、力まかせに相手にぶつかる模様です。これは全く初めての相手ならある程度通用するとも言える力任せな古流の甲冑形の原型を教えている気がします。ただし、同じ相手やそれを見た者に二回目ではほぼ通用し無いと感じる形です。このままの形での稽古では、おそらく何も理合に近付く事は出来ません。

先輩諸氏はこの形をどう理解されたのかは不明な部分も有ります。
全く見よう見真似で形を継承されたレベルの会派では、硬く力強さのみを残して、理合の伝承はおそらく失伝されてます。この形を可能にする為には、受けが忖度して力を制限し、掛け手に習っているのでワザと崩れる事により成立しています。このタイプに於ける詭弁は危険な技なので逆らうと怪我をする技ばかりなので逆らうな!を強調してます、しかしその動きに崩しが想定されておらず、崩しの稽古が欠落している為に全く受け手に攻撃意欲の無い現実離れした形骸化した形稽古に陥っています。この言い訳は当身を実際に入れてかければかかるとの話が出ます。しかし多くの場合その当身の稽古も不適切で現実離れしています。空手等打突出身者でも理解がふた通り別れ、我々の当身を入れると技が成立をすると考える幼稚な理解です、大東流の稽古者は当身の話は急所が個々です程度の話だけで、寸止めでも良いので動く相手に的確な急所をツク訓練がなされていない事を知っているはずです。これだと空手や拳法経験者のみの技となり歴史的にもオカシナ説明となります。
打突系経験者で賢明な者は当身を当てたり殴る振り自体に無理が有ると考えます。専門的な殴る蹴るの技術が大東流では稚拙な事を見破っており初伝の、直接殴るとか大きすぎるアクションの蹴り等を否定して他の目的ややり方が有るのではと疑問を呈します。私もこちらの説を優先します。

ですから初伝や初手に習う当身は平たく言いますと間違っています、ワザと隠しているのかもしれません。
当身は目眩しであり、反射神経に任せるので無く、無意識無条件反射の位置や部位に対する囮で直接打撃はほぼ禁物です。下半身の蹴りは腰の動きの為、全くの気をそらす為、直接打撃はほぼ有りません。脚で脚の弱点を合気柔術の技で崩す為の接触するのは有ります。また、直接金的を蹴るのでは無く、全て崩しの補助的動作で有ると考えれば自分より若い反射神経良い者にも通用し多くの発展が有ります。
  直接の打撃や当身は、完全に有利な状況まで成ると、相手によりとどめの為の当身(死に到らしたり、壊す)形は残っていて、当たり前ですがこれらは形の形だけを表します。

この様に当身も工夫して出せば効果が高い崩しにつながりますが、外見では初伝で習う物に見えますがその微妙な位置変化や振方を現代打突のやり方では意味が有りません。本当に相手の体に当てるのは型の型、もしくは理解が浅薄でしょう。
特に現代の打突系の経験者では殴られ蹴られ慣れして急所も外す訓練がなされているはずで、その者に対して無力な当身は不要な物です。
  形を初心者に習ったそのまま履行するのは浅薄過ぎ、あくまで手順を大まかに教えているだけです。

 またどこの指導でも問題な成るのは、受け手の攻撃の加減です。技がきけんを含むので攻撃まで全く効果無しの形で打ち込んだり、手をつかむ形での稽古は形をなぞるだけの超初心者が手順を覚える為以外に意味が有りません。そもそもの体の姿勢が、攻撃者なのにあっち向いた様な立ち方で空いた手を無防備にダラッと下げるなどは問題外の構えで、常に現代格闘技の様にバタバタ動く事は形稽古において不要ですが、格闘に及ぶ心構えを表した体制を取りましょう!さすれば取り手も握力や力のたがいを感じられた実理に近づきます
つかむ、抑える、打ち込む、突き込む、などは相手の技量や経験、年齢、性別を考慮した最低限の力を出して行わないと、力の流れや方向性や強さの調整や様々な実理の有る理合の稽古もなりません、指導者等に対して誤った忖度をする攻撃体制はその技の本質をずらして全く意味の無い型をなぞる踊りになり、得る物は武道とかけ離れます。
受け手のこの力の方向やパワーにより、本来は技の形や手順に変化が生じます、これも脳みそ筋肉タイプは何がなんでもその形にしようとしたり、そうで無ければならない論になりますが、相手の力に対して行う技の形や手順には限度が有ります。
その加減を受け手が行うのは意味も有り、忖度範囲とは別です。
ただし、経験浅い者や若年層は、応用変化に走らず基本技をしっかりとこなさないと、単に所属年数が長いだけの中身の薄い、格闘ごっこ技になります。

  次に形の中にはワザと同時に見せて本当は微妙な時差をもうけている事も有ります。同時打ちはコツのひとつを述べているだけを理解し無い者には当身一つも理解出来ません。相手を制するには動き止める工夫が有ります、当身、さばき、手の振方、を稽古で見れば理解者とそうで無い者は歴然とします。この辺りの浅薄な理解者は単純に大きく動く、しっかりと入る、円の動き、力の流れに逆らわ無い、等だけを有難い言葉として奉りその理合迄の理解に進めません。

 この辺りのコツや理解は剣の使い方での体の保持を想定すると見えてくる事が多数有ります。ただし、切る訓練はほぼ無用です、抜刀、納刀、7法の切り方、太刀小太刀の両方、左右持ち替え、逆手での抜刀、などを姿勢保持のまま常に四方八方からの敵対する様に成ることが肝要です。一方向のみや、肉を切らせて骨を断つは支那の考え方と久琢磨先師もたびたび書かれてます。常に四方八方からの敵対に守る事を意識した姿勢です。

形崩れは以下の動作です。
肘を曲げる、腕を突っ張る、手首を無用に操作する、姿勢を前かがみにする、肩線を傾ける、剣先を下げる、体を横に向ける、中心線をずらして技をかける、並行線を無視して力を出す、転換と称して回転する、軸線を保た無い、手から力を抜く脱力、剣の手で無い柔術手、肘の回旋、膝の捻り、
これら全て大東流合気柔術から悪手!
敵が剣を待つとみなすだけで簡単に理解出来る事柄ばかり。