技の分類(超超長文(^^))
現在、琢磨会が採用している審査の一ヶ条から五ヶ条は武田惣角の子息時宗氏の分類です。
功績は手順に技名を付けて、初学者にも覚えやすくされた事でしょう。多くの大東流を名乗る会派が使っています。
段級制度で現代風に初段審査一ヶ条、二段は二ヶ条と五段迄にこの形をこなしてくださいと言う意味も有ると考えます。
然しながら、現代人の悪しき入試制度、資格制度、学校制度で修養年数が有れば、それで良しとする、若しくは次の段階に進んだのだから既に自分では出来ており、初段取得者は一ケ条は下のレベルの事の様に捉える風潮が有ります。一ヶ条も奥深く二ヶ条より下の技では有りません。どの技も限り無く研究すればキリが有りません。
また、後発者でも長足に理解も体の会得も出来て先達者を抜かす事は古武道では大いに有り得ます、初段迄はほぼ年功序列的でも構わないでしょうが、5年10年と年数を得ると長くても本筋を見極められず、横道や枝葉末節に踏み込んでしまう者も多いものです、必ずしも先発者が全ての分野で先を歩いているとは限りません。
現代スポーツ感覚がある者や、運動神経が良い者ほど、また他武道の経験者ほど外見は真似出来ても本質の違いが解らず、結果的に遠回りする事がよく見受けられます。初級者向けの初伝の初的な技は早く出来ますが柔術や合気の道の本筋とは別の場合も有ります。
関節技、急所技のみだと初伝止まりでしょう。関節技、急所技のみの解釈では幾ら技数や手数を覚えても初伝でしょう。ですのでむやみに年数や単純な稽古日数で段位を乱発すると流派の本質を失い、結果的には流派の衰退の道を歩みます。認定を出す者はよくよく考え無いと自流派の崩壊を促す犯者となります。
大東流柔術はその名の通り柔術技も多数伝えられています。この技の解釈を急所技、関節技のみの、痛い危険性の高い部分に目を奪われていれば初伝止まり、そこから少し高めの技術で柔がある程度理解出来、体で表現出来るのが真の大東流合気柔術への取っ掛かりで中伝レベルと呼べるテクニックが身に付いた事になるのでは無いでしょうか。
この柔術と言う技術が素晴らしさを持つと共に厄介なのは、技術を分析研究し鍛錬して身に着ければ、それなりの年齢までは武術を使いこなせ、また力技や関節技、急所技しか理解出来て居なかったレベルの者からは、稀な名人に見える事です、事実として柔術の多彩な技術はある程度は柔よく剛を制すの武道の理想が可能となるでしょう。実際に巧みな柔術家はそれなりの条件下では、名人の部類に入れても良い人も存在すると思われます。
この柔術技術がある程度こなせる段階まで来ないと、このレベルが難しい判断ですが格闘技としては効果良く使いこなせるまでに出来なくとも、一定の条件下で受け手が逆らわない柔術が出来無いと駄目ですがこのレベルの柔術で構いませんがソレが少し身に付いて居なければおそらく合気は全くと言って良い程使えません。合気の理論が少し解っていたとしても、合気の本質までは使えません。しかし逆説的で難しい説明ですが柔術のレベルが高い事と、合気の理解や会得は別物なのです、関節技急所技柔術とそれ也に理解して体で使える必要があります。この中で関節技と急所技がかなり高度に使える必要は合気技と言う意味ではほぼ不要です。関節技、急所技をかなり使いこなせる事は格闘技としては有効で初学者や正式門下以外には昔はこの範囲の指導に止めていたようです。平たく言えば下級の戦闘員に使わせれば、対する者に武道の心得の無い者に対して、対抗出来る戦士を速成出来るかも知れません。
柔術は大東流合気柔術を形で覚え、力がぶつからないとか、巧みに外すとか、が可能に成らないと駄目な技術です。外目にも柔術と言える様な柔らかさや自らの関節を巧みに曲げたり、体も含めて丸くしたり、体軸の回転を多数使います。これはこれで様々なコツも必要となり、それなりの鍛錬を行い、時間をかけて醸成する様な訓練が必要です。その為に門外漢では理解し難いテクニックが多数必要と成ります。おそらくは柔術が大東流の中伝レベルでも有り、長年その組織に属さないとこの様な技術も形も伝えられません。大東流合気柔術の形には、特に晩年の惣角が伝えた物には柔術と合気柔術とそして合気につながる可能性の有る形が伝わっています。ですのである程度大東流合気柔術の形通りに柔術を正伝の久門下や中津門下と稽古すれば合気柔術が伝えられており本人は柔術技のつもりで行う技が偶然性の合気も使える可能性が高くなります、大東流の形には柔術を示しながら合気につながる事も多々有ります。
ここでも勘違いしてはいけないのは、柔術を使える大東流を学び稽古した者の中で、合気を使える道に進む者と、柔術のさらなるテクニックを追い求める者に別れ、残念ながら後者の巧みな柔術にこだわればこだわる程合気の道から外れ、身に付けた柔術の衣からは逃れる事が出来無い体になる事です。長年培った柔術は合気の道に遥か遠く也、別れた道まで戻るにはほぼ不可能な横道に進んでしまいます。
合気は合気を使えた人からある程度の期間、合気を体現させられて受けた身からしか再現はほぼ不可能です。武田惣角の弟子でもほんの一握り、久琢磨の弟子でも些少、森恕の弟子では数名、が本当の所でしょうか?
動画や写真で見る限り子息の時宗氏の技に合気は見て取れません。植芝盛平師、塩田氏、久門下では森恕師、中津門下の千葉師、井澤師、は明らかな合気の発露が見て取れます。他の師範方からは少なくとも私の目で合気は確認出来ませんでした。かなり巧みな柔術家はかなりの数存在します。
琢磨会に伝わる様々な型が写真集に残されているのは有名です、しかしこの写真集に出ている演者はほとんど教わって直ぐに忘れない為の記録とした為に、細かい姿勢や細かい手の形には多くは意味がありません。全体の手順説明と形に意味が有ります。また、その手順説明も厳密に言いますと、同時や体の開き方には初学者の誤りも含まれています。そして門外漢や同門でも合気が出来無い、理解していない者には全く不可能な形や手順が内包されています。合気が可能に成初めてその形に成るものが多数有ります。
この辺りから考えても、元々武田惣角が行った稽古や稽古法に本来の合気への道程のヒントが有ると考えます。武田惣角→久琢磨→森恕→西代で指導した稽古法や技の中に存在するでしょう。惣角→中津平三郎→中津門下の千葉師範、井澤師範達の指導や稽古法にも同様に有ると考えます。ここにあげた以外に、久門下。中津門下、夫々他の弟子が伝える稽古法には合気への道が有るでしょう。
現在の植芝師系列の稽古法や門下生に合気への道が有るかは当方には不明です。
さて、長々との説明後ですが、久琢磨が弟子達に指導していた時代の稽古法等を見聞きした事をまとめると以下の形の様です。
1ヶ条
一本捕系統
2ヶ条
手首締系統
3ヶ条
小手捻系統
4ヶ条
脈締を内4ヶ条
骨攻を外4ヶ条
それ以外に技名で分類していたのは
四方投、小手返、これらの技を正面打、横面打、突、の様に様々な攻撃に対して全て小手返しで対抗する様な稽古法と伝えられています。
ですので本来の技の分類や研究はこの久琢磨伝の稽古法を研鑽すべきでしょう。
また、久琢磨は手首の攻めの分類では、一ヶ条は順、二ヶ条は逆、三ヶ条は深逆、と呼ばれた様です。これからも現在単純化された手首の攻め方は荒くデェフォルメされていると見るべきでしょう。現状の琢磨会の稽古方法や手首の攻め方などは、所謂植芝盛平師の弟子達がされていた合気道の物が逆輸入の形で入り、混在して居ると見るべきでしょう。受け手の攻撃方も合気道的に無防備に正面から打ち込んだり、水平撃ちの様に腕を振り回す横面は古武道としては相応しく無いでしょう。
琢磨会の中では比較的四国の面々が行われる受け手の攻撃的な正面打、袈裟斬りの様な横面打が古武道として相応しく、力の方向性も正しい理合習得には必須な形稽古でしょう。
ただし時宗氏分類の技も大東流合気柔術の多くを伝えており決して疎かにしてはいけません。その分類をどう見るかは学ぶ側のレベルの問題で、かなり多くの事をこの初伝と呼ばれる技の中から読取り、身に着ければ速格闘技、速武術としても有効で、その先に柔術、合気柔術の道も確かに歩めます。