作法礼法に関して超長文ですよ! | NeoMackey_ITpro&古武道のブログ

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作法礼法に関して
超長文ですよ!
 我々は日本の文化の範疇の事をしていますので、ある程度作法礼法も意識されたほうが良いでしょう。
国や民族により作法、マナー、暗黙知は当然異なります。例えば日本人以外の方と接する時には、互いにどういった意味でソレが成されているのかを事前に知る機会が有れば、その意味を尊重して、互いに気分が悪くならない程度に譲り合う事も必要です。私生活や社会的なマナーを守る上では他者に迷惑をかけない、他人の気持ちを慮ると言う事が必要です。この他者に気分的にも迷惑をかけない、事前の心遣いが日本人の美徳とされ、日本に暮らす外国人、外国人観光客にも求められます。これは押付とは次元の異る問題です、素直に其の国、地域、民族の互いの為の気遣いのマナーなら従うのが人の道です。
この時にどの程度まで、ルールを徹底して行うかも、国、民族、社会的地位、様々な要因により差が有ります。これはそのルールが初めての人や経験値の浅い人は当然加減をしても良いとみなされます、百点満点で無くとも大事な部分守る姿勢が有れば良しとされます。
日本では特に他者に迷惑をかけない、自己の欲求には厳しく律する事が美徳とされます。自分がこうしたいと言う我儘を通すのは人としては最低レベルです自分の家族や友人の利のみを優先する様な事をするのも賤しき行いとします。
 これは全て他者を優先しなさいと言うのでは無く、現代では当然の自分や家族の権利は主張しても構いません。然しながら権利の拡大解釈や、義務を果たした上での権利主張をよしとする考えです。公共の場での節度ある振舞も日本人としては当たり前であり、日本で暮したり、生活したり、または一時的にしろ日本いる間は、社会的作法やマナーはその国、地域、グループの物を守らなければ成りません。細く言いますと、国内でも、地方や、集団、各家庭、組織、により様々なマナールールが存在します。根本思想は他者に嫌な思いをさせない、我儘を抑えて互いに気持ち良く過ごしたい知恵です。
 知性の低い者や、幼稚に他者の作ったルールは守りたく無いと言う輩も絶対数は必ずと言ってよいほど出て来ますが、彼等の主張は論理的で無く、マナーの意義や意味を理解する知性が無いのです。マナーが出来無いのはその人と、その人に関わって来た大人(その者の親兄弟、教える立場の者、彼らの責任放棄か、その監督者含めての無教養、無知文盲がもたらしているのかも知れません)の責任です。若しくはその本人自体に精神的な疾患や問題が有り。他者の意見や物事を理解出来ない存在なのかも知れません。
 さて、本論の作法礼法ですが、概ね日本ではどの分野でも、その意味も手順も特別に教えられて来るのでは有りません。間違えば怒られ、非難されます。現代の様に1から説明されたり、意味を開示されたりしません。怒られる、叱られ、場合により理不尽とも思える中から自得しか道は無いのです。ただ昨今は悪しき表面公平平等な左翼的学校教育制度がはびこったせいで、意味の無い上っ面の平等や公平が最優先され、結局学力は親に資金が有るとか、親の上昇志向の有無等で学力差が形成されて、益々悪しき学歴偏重主義のクリエイティブな者達が排除されます。そう言う悪しき環境での平等が、教えられなかった事は全て出来なくても当然、悪いのは教えて無い方に有ると言う、本当の意味で自己で目覚めるや、理解する大事な機会を無くしており、教科書にある事を沢山正確に記憶している事が是とされ、それで良いになっています。自得や天啓を受けるなどの機会は皆無に成り、真の意味の学習や習得はままなりません。なので出来ても通り一遍の理解度、浅い理解で構わないと言うのが現実の世界でもまかり通っています
 我々武道の礼法の手本は、皆様も一度は聞かれた事のある小笠原氏の小笠原流が有名でも有ります。何事もそうなのですがその道やその世界は入ってみて経験を積まないと本当には理解迄いかず、頭での記憶と浅い理解で終わりがちです。ですので本当にその道、小笠原流の道を得たければ、それなりの時間と労力を使い学びに行く必要があるのです。我々他家に属する武道を学ぶ者は、日本の古式の考え方を理解して、また当流独自の解釈が有っても良いのです。
愚か者は書籍や表向きの説明だけを頭に入れて、それを真似ているだけで正しい作法を行っているつもりになります、単なる猿真似の次元です。
 武道ではどの流派も、通常の礼法は、道場の出入り礼、稽古前の神前礼、指導者礼、稽古者同士の礼、それぞれの立礼、座礼、等が存在します。本来、それぞれに細かい規定もあってしかるべきですが、当会は詳細までは規定が無く、先輩から後輩への口頭説明程度が存在して来ております。
 森先生から西代におかれての礼法の指導は基本的には武家の作法に則り、小笠原流を規範にすれば良い説明を受けています。しかし単純に猿真似をしなさいとは聞いていません。姿勢を美しく保つのは良いが無理な姿勢を求めたりはしていませんでした。
座礼の手も概ねは指を揃えるなどは示されていましたが、様々な段階の礼の形はしていません。正座で、この時に足の親指を重ねるのは小笠原流では行う様ですが武家として考えた場合は万が一親指を踏まれると動きが取れなく成り、武士の心がけとしては無条件に正しい形ではありません。なので足は重ねてはいけません。また手の操作も体の横に持ってくる作法も存在しますが、武家とした場合は出来る限り早めに正中線を守る、制する為を心掛けるべきです。なので早めに指を揃えて鼠径部に付けておくのが武家としての心がけです。礼を開始する時にも手や腕が外回りに成るのは美しさからも非で、膝の上あたりを腕が通過する事が良い様に見えます。
 このあたりは日本舞踊などの所作を見れば美しさと無駄の無さが有り、こちらに部が有り真似ると森先生が西代で指導されていた形式に近づきます。
参考;
 日本舞踊の基礎 内容抜粋
 - はじめに -
日本舞踊は能がかった静的な動き、直線的な舞楽の動きである舞(まい)、躍動的な民俗芸能の動きである踊(おどり)、芝居の物まね的な動きである科(しぐさ)から構成されています。ここには、日本の舞踊のすべての動きが統合されていると言われています。
『日本舞踊の基礎』の第1章は、日本舞踊の正しい動きを表現するために不可欠とされている、正しい姿勢と礼儀作法について説明しています。
正しい姿勢
正しい姿勢になるには、心を静め、
両足先をつける。
両手の指を伸ばし揃え、親指をつける。
両手を伏せ、足の付け根(もも)に指先をやや内側に向け、手のひらを付ける。
腰を上げ(つり腰)、背筋を伸ばす。
丹田(下腹部)に力を入れて下に向け、胸をはる。
あごを引き、後頭部で天井を突き上げるようにする。
肩の力をぬいて首筋を伸ばす。
目は正面を見る。心を落ち着かせる。
日本間・舞台での礼儀作法
日本間または舞台では、座って挨拶をするのが基本となる。美しい立ち振る舞いは、正しい姿勢を崩さずに「座る」、「立つ」ことが基本となる。
お辞儀の基本は相手を見てから上体を下げ、また上体を戻し相手を見ることであるが、丁寧過ぎるものよくないし、乱暴なのは尚悪い。お辞儀のタイミングは、吐く息で頭を下げ、吸う息で上げるのを基本とするのがよい。