武道で鍛えるべき基本(特定の流派では特定の技量が必要な為に健康とはかけ離れる場合も有り得ます)、 | NeoMackey_ITpro&古武道のブログ

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武道で鍛えるべき基本(特定の流派では特定の技量が必要な為に健康とはかけ離れる場合も有り得ます)、あくまでも個人の考え方で異なるとは思えます。


・武術、武道を行う主体の立場等々により異なるでしょうが、基本中の基本で人として長生き出来、出来る限り健康を保ち、老化による劣化を出来る限り抑える事が、最終的に武道家武術家も含めて人として成功につながると考えます。

 簡単にいいますと戦いで斃されたり、負けてしまうと存在を危ぶまれてしまいますが、特定の武術の為に自己の身体を鍛えるのは正道でしょうが、かと言って特定の技術を高める為に自己の身体を可変させたりして、それが本来の生物としての人間の寿命を短くしたりその変化が他の臓器等に悪影響を及ぼすならばこれは本末転倒をしていると考えらえます。

簡単な話がスポーツ選手でも見られます、多くは親などは子供の健康につながる為にそのスポーツを開始させます。しかし、健康目的が試合に勝つ為に不必要なストレスを与えられすぎたりしては駄目でしょうし、体の一部を酷使しすぎて壊したり、手術しないと駄目になるのは本末転倒でしょう。プロになる為に酷使してリタイア後に体の不調を抱えて生きていくのは、人生の長さから図ると本当は正しいのかと考え直す必要があります。ヨガの修行者の様に超人的な苦行をしたり、一時的に成績を上げる為に薬を利用したりするのは悪しき例でしょう。

 これは苦労やしんどさを回避しなしと言っているのでは無く、一時期に必要な苦労に関してはどの分野どの世界でも必要です。自分の快楽や頑張る事から逃げる事を決して推奨はしません。

 しかし真の健康につながる鍛錬方法や稽古法で無いと人生をかけて行うとか、高齢になり継続していくという意義は薄れると感じます。


・本題として、体を鍛える要素として大事な事はまず柔軟性を高める事です。

これは全員がアクロバティック的な能力になりなさいと言うのとは当然異なります。それぞれの年齢、性別、元々の資質にあわせて柔軟性を高める努力をして関節の稼働域を増やし、筋肉の伸縮性を高め、股関節、肩関節、ひいては骨盤位位置、肩から肩甲骨周り、首回り、などをバランスよく整え、見た目でも負担の無い姿勢を作り上げる事です。


・必要な部分の筋力の向上

柔軟性を主体にすると誤解の有る事が多いのですが、柔らかい事に利はありますが、万能な訳ではありません、当然骨格を正しくしてその状態をよくすれば稼働域も広がったりします、ただし骨格を取り巻く、筋肉は伸縮性が大事です。一部の筋肉が伸びるだけを柔軟性が高いと評価しやすいですが、これでは一部の面からしか見ていません。反対側の筋肉が収縮するので反対側が伸びる原理は知識浅くても理解可能です。

 その中でも特に伸筋の向上は重要です。力こぶを代表する屈筋は力が入っているという意識と一致しやすく、多くの現代人の力を入れるというのはこの様な形が多数です。

武道家や武術家また現代のスポーツ専門家でもまだまだ屈筋信者は多く、場合により屈筋の鍛え過ぎによる他とのバランスを失い、そもそもの力が出せなくなっている事も見受けられます。意識の感じにくい伸筋を使う事が一つの世界を平げる要素でしょう。


・次にスポーツ武術の種目にもよりますが、有酸素運動の重要性があります。

これは呼吸法にも通じます。呼吸法はここでは割愛して最低限の説明です。

有酸素運動という意味は呼吸をしながら動けるという事につながります。単純に言えば呼吸をしないと体の全身に様々の栄養素も回しにくいのは理解されると思います。

ほんの短期間に息を止めるという動作が必要な事もあり得ます。しかし、息をしながら動作をするのは全身に新鮮な酸素を送り届けられ、長時間の動作に耐える事もできます。常に長息を心掛けて悪い事は有りません。必要な呼吸器官が使用され呼吸器官を上手く使う事が可能になり機能も向上される事でしょう。


・柔軟性と筋力が高まれば、有る程度バランス感覚はついてくるのですが、バランス感覚の向上は動物にとって非常に大事な事となります。

 基本的に日本の古武道はあまり片足姿勢を取らない事が良しと見なされるはずです。

脚での攻撃技術が余り発展してこなかった事が主たる理由です、当たり前ですが武器を持って遠間に居る相手に対して素手で武器を持たず蹴り技を使うと言う事の危険性と非合理的さは通常の思考能力があれば気が付く話です。これは空手等の蹴り技の武術を否定してるのとは次元が異なります。このあたりの論を置いておいても簡単に倒れない、どのような場所、平地、高地、水場、橋の上、等々でもバランス感覚が必要な事は論を得ないと思います。目をつぶる、つま先立ち、片足立ち、足首、膝、股関節などの柔軟性も訓練の必要があるでしょう。


・姿勢の保持

これは前段のバランスや柔軟性とも関連が強いですが、人として良い姿勢を意味します。良い姿勢からは左右前後に偏らない動きながらの姿勢が重要視されます。目線がさがると姿勢が悪くなり、姿勢の悪さは背骨、骨盤、首、様々な所に対して無理を生じ、それが筋肉の凝りや痛み、骨格のゆがみを発生させたりしていき、結果人としての様々な不調も生み出してしまいます。姿勢の悪さは血管の捻り、神経の阻害、リンパの流れの不調、これらが悪影響を及ぼすと様々な身体の欠陥を生じさせる可能性が有ります。

その為にも必要な筋肉の鍛え、体の悪い癖の補正、生活習慣の修正等が大事です。

これは立位、座位、正座、蹲踞、そしてこれは歩き方の姿勢にも関連をします。


・歩法

最近、様々な研究で特にお隣の国の中国拳法の歩法が取り上げられ、全てそれが武道として正解の様な論も見受けられます。当然長年に培われた良さはどの国も持たれており、それを参考、研究するのは良い事です。

ただ、武道や日本古来を考えるのならば今一度日本の考え方や習慣も含めて見直す必要があります。これはどちらかを優としてどちらかを劣と考えるのとは根本的に異なります。日本武道の伝承や日本武道の流派名(独立や派生も含めて)を名乗るならば、他国の足さばきをあたかも日本国の武道にあてはめたりするのは避けなければなりません。

非常に簡単ですが武士は草履、それに準じた物を履物として使用していたのは明白です。西洋から来た所謂革靴文化とは異なります。革靴の歩き方はその時に合わせるべきでしょうが、草履文化(近世の雪駄や下駄の引きづる歩き方とは異なります。)の歩き方を基本的に考えれば良いと思われます。

ここに若干の力を加える方法、例えば剣を切り下したならその時に踏ん張れる形を想像すれば良い事です。

足指で鼻緒を掴んだ形で、踵からつま先の踏みしめと小指側から親指側の踏みしめを同時に行うなどです。

日本人では決してつま先を先に突き出す事はあり得ません、サンダルでその様に出すと履物に沢山の遺物を運び込むのは歴然としています。中国拳法はいわゆる足首まで覆う靴型の履物を使用している事も民族により沢山あるようです、なのであのような形が存在したのでしょう。

西洋人の走り方の様に着地と共に重心を移動しているのもこれは革靴やスニーカ状の履物だとあり得る形です。日本人の草履形は足が先に定着した後に重心移動が見られます。


・下半身の無理の無い動作

農耕民族でも有り、道の整備があまり発達していなかった事を想像すれば、簡単に倒れない、こけない事が日常生活でも必要となります。

足腰の強さと各パーツの稼働域の柔軟性は必要な要素となります。

また、上半身をひねるというのは呉服の性質上あり得ません。その為に上半身を不必要に捻る事を避け、歩幅も着物の制限からあまり大きく前後には広げません。男性の戦闘時の服装は上下が有る程度分かれていて、腰より下は短く、また袴上の物を着用していますので有る程度の自由度はあったのでしょう、しかし日常生活の武家の服装を考えると腰から上をむやみに捻らず、しっかりとした土台の上での動作を稽古していたとみなされます。下半身の力は多くは歩くから発展しています。平たく言いますと平地を歩く、少し難度の有る自然の道を歩く事でしょうね。


・日常生活でも無駄の無い力で省エネルギーは重要です。

正しく力を出しながら(正中線、水平線、左右均等の力、中心線、等)が生活にも身についている必要があります。

押したりする動作は全て縦の正中線を理解する必要があります。そしてその正中線はあまり体に近すぎると体重もかけ難いしある程度の距離が必要です、その距離が剣を構えた状態が実は一番効率よく押せる距離感です、これには当然必要な筋力、左右均等骨格の形も要素です。


・水平線は様々論が有ると思われます。

私は剣を抜いた水平性に構えた、心臓の高さが一つの力の出しやすい高さです。

最も基本の意識の高さは丹田、臍より少し低く、剣を力を抜いて、長期戦に備えて構えると柄が指し示している位置です。

次に力を入れやすいのは臍より少し上の腹筋にかかる位置で胃の高さ、剣を中段に構えた時の柄の指し示す位置です。

相手を押し込んだり上段からの剣を切り下しながら押し込む時の高さは喉の高さです。口元では高すぎ、胸元では力がこもりません。

もう少し高い位置では額の前、眉間の高さで、微妙に目よりは高い位置です。自分より背の高い相手と接して押していく時にこの高さでの力が発揮できます。

ちなみに上段に剣を構えた時に額位置の前面に拳を残すと力が出しやすくなります。

剣道の練習時の竹刀の振りかぶりでは頭を越えさせているので、目的は肩の柔軟性向上や上腕の筋トレの一環でここまで振りかぶると見えます。


・体の中心軸

頭の頂点、あくまで感覚なのですが、眉間の奥の少し奥と頭の真ん中の結び合ったあたりに意識を集中させます。そうしながら目力を緩めて相手の上半身全般をぼやッと見ていると相手が動く瞬間などが悟り易い気がします。これはあくまでも自己の内面の感覚なので、万民に共通するのかは不明です。

もう一転は体の一番下位の下丹田と言われる位置の様に思います。ここも感覚的になので説明は難しくなりますが、丹田から下丹田を意識すると下半身が安定する感覚が得られる様に思います。


・そして我々の日本武道という範囲からすると、剣の理合いは大事かと思います。

偉そうな事をいうと怒られますが、武田惣角師が剣の達人(諸説はありますが剣の修行をしっかりされた事は疑いの無い事です)であり、そこから柔術技が使われています。

剣の理合いで大事なのは、剣を扱える様な体の柔軟性や腕の力(単純な腕力とは異なります)、剣の握り方、手の内、棒術では握りの意味があきらかに異なります。剣の正中線、間合い、水平性、剣を振る時の力の出る位置、居合の姿勢(特定の流派の取る、切る事を主とした個性の身体の傾きは基本としては無用)、正座からの居合、立位にての居合、剣を止めた時の力の入れ具合、指、手の内、等は共通項も多く力任せで無い工夫を身に付ければ我々の武術の原型が見えてきます。そして我々は剣術では無いので、小太刀を同様に使う、左右逆にしての同様の稽古、切る事は二の次で抜く、納刀、受け止める、皮一つでかわす、を身に着けるべく努力をすれば、真の日本武道に近づいていけると考えます。


以上が私の浅薄ながら、鍛えるべき部位や感覚で、その手法も様々ある様です。

大東流の先輩諸氏からは丹田の話と中心線の話は聞かされた記憶があります。

大東流の先輩や師範からはこのあたりの訓練方法や細かい話は全く学ばせていただいておりません。

居合、剣術、ヨガ、座禅、気功、太極拳、その他、アレキサンダー法、整体、肥田式、柔軟法、ロルフィング、等々も参考、研究させていただきました。

 私的な論ですが、この前に述べた要素をなにがしかの方法で鍛えたり、身に着けていかないと、我々の学んでいる武術の技や合気柔術、合気の術も道遥かです、何年かけて歳を得ても真の武術の会得は遠いかもしれません。

 因みに合気は上記の事だけを深めたり発展しただけでは理解も会得も出来ないと思います。これらの要素はあくまでも古流武術に必要な要素だと考えています。