指導者の最低必要な技量とは?
文章は様々から参考にさせていただいておりますので、似た内容はご容赦ください。
ビッグタイトルには無縁の選手がオリンピック選手を育てるという様な出藍の誉れは、別に珍しい事ではありません。勝ち負けを競う競技は様々な要因があり、その中には運なども沢山あります、選手の人数枠とか年齢の誕生日枠とかその他政治状況で戦争とか、きれいごとを話していても現実はその様な事で様々魑魅魍魎がお金、権力、地位、等に絡み邪魔もしてきます。
そう言った事柄を除いても競技者としての実績と指導能力は全く別物です。
我々が関わっている古武道の世界だも武術の達人が優れた弟子を育成出来るとは限りません、名人の弟子が全て名人もあり得ません、中には凡暗な方向違いの弟子も相当数存在するのは近年の学校教育を見ても同様でしょう。優秀な学校でも全員秀才は育ちません、それがあまり優秀で無い生徒を集めれば出来ない人が多くてあたりまえです。
これは人を差別しているのでは無く、学校成績が悪くとも他の分野で才を伸ばす人もいるのは昔も今も同じです、一つの評価基準で人を図るのがそもそも過ちです。本題に戻りますと、名選手必ずしも名監督、名コーチならず…と言われるゆえんです。
しかしながら、全く技術的裏付けの無い人が将来有能な人材を育成出来るという事も無理がある様に思います。自らが出来てこそ様々な技術を論理化出来る訳です。このあたりの考え方が大前提です。自ら出来ても論理化出来無い人が運動や武道では多いのも確かです。
この話も誤ってもいけませんが、全くどの条件でもどの環境でもその必要な能力が出せれば一流の選手として出てくるのですが、選手としては成績を収めていなくても構わないが何等かの形で技術を見せる事が必要です。先づは自分が出来る事で無いと、解釈 解説は難しいという事です。このあたりもしっかりととらえて置く必要があります。何等かかの大きな前提の中なら技が成立する必要があります。
逆の立場の単に技術論を述べたり、評価批判は全くの門外漢でも有る程度可能です。所謂オタク的な人材です。そうでは無くて例えば野球で言えば肩の強さの加減で最低100Kのボールを投げる事が出来て、様々変化球の論理もあり、配球に上手さがあり、人間観察相手の選手の長所短所などが理解できて、それを上手く140K代の高校野球やプロの選手にアドバイス出来れば指導は可能と考えます。90K程度しか投げられない者はやはり少年野球程度の世界の指導者しか可能になりません。
全くグラウンドで野球をしたことの無い、プレーの解説が上手くて戦略なども話せる人は監督やコーチは無理で監督付のヘッドコーチは可能性はゼロでは無いという事になりますが、指導者という意味では完全ではありません。実は指導者だけでは時間や分析にも限界がありますので、昨今はIT化なども考えるとこの様な人材を抱えて置けばいわゆる勝ち負けの世界ではかなり有利だと思います、大きな意味では指導者ですが直接の監督やコーチとは役割が異なります。ちなみにサンプルの収集や分析、対策、強化方法の策定などは現代の指導者には不可欠の要素だと個人的には思います。
我々古武道は試合は有りません、しかし手を取って技をかけあったりした時にその相手の技量は見えてきます。また、自分の能力が上がってくると実際に手を取らずとも見ただけでその技量が見えてきます。それは大きくは目立たない細かい技術が理解できていて、自分もその高度な技術を使って居たりするからです、目に見えない隙が無い様に感じるとか、そのあたりの事も含まれます。
その延長で自分では出来ない技術や自分では理解出来ていない技を、本当にされている人を観た時にそれを理解出来る様にもなります、本物は本物を知ります。
発展途上の選手や生徒は出来なくても構いませんし、それを否定はしません、出来なくても先生からの課題の形で技を練習されれば良いでしょう。
しかし自分で天狗になり一時に勢いで段などを取得された方は下手をすると、往々にして先生と言われて稽古不足になり研究もしない為に身の丈に合って居ない段位に胡坐をかいてしまいます、そうなると全くかかりもしないカタチだけの技を正当だといい自分が後継者の様なフリをしだします。前提条件の中でかまわないので技を現出出来て、実際に技の効果を有る程度証明できない人はやはり指導者としては不適切となります。残念ながら合気系武道と呼ばれる世界には、あまりにも非現実的な前提条件(手を触れる程度しか掴まないとか、ものすごくスローモーションな突き、手の届かない正面打ち、等々)でしか技の形も表現出来ないケースも見受けられます。そこを精神論の愛だとか和の精神とかでごまかしているのは情けない状況かと思われます。注意、生徒やこれから学ぼうとする者は初めから逆らうつもりで何かを施すとか、前提有で一から指導してもらっている先達に対して、急に殴り掛かるとかけりを入れるというのは、単なる暴力を行っているだけであり、武道を学ぶという事からは精神面から鍛え直さないと駄目なのはあきらかです。
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